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王立劇場で十二年間、名無しの代役でしたが、外れ役紋【空白】で旅一座を始めます~訳あり役者の舞台は今日も満員です~  作者: やまご


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15/17

第15話 百人の静かな拍手

 書き直した上演届には、四つの名前が並んだ。


 演目――『風を待つ椅子』。


 出演――リヴィア・フェン〈空白〉。


 脚本・進行――ノア・ヴァイス。


 影絵演出・図案――トワ。


 そして四つ目は、客席だった。


 役名は〈風と光〉。


 参加は自由。報酬なし。特定の人物への配役なし。安全な色板を用い、合図に合わせて手を動かすだけ。


 王立役紋局の監督官は、届出書を最初から最後まで二度読んだ。


「影絵師は、人物や動物を動かさないのだな」


「太陽と月、道、窓、時間の移り変わりを映します」


「物語上の役は、リヴィア・フェン一人だけ」


「はい」


「観客の参加は、拒んでも不利益なし」


「切符代も席も変わりません」


 監督官は次に、安全配置図を確認した。


 客席後方の角灯は、石台へ固定して鉄板で囲う。火のそばには係員を置き、通路を一歩分広げる。色板は薄く、角を丸め、割れても刃にならない素材だけを使う。


 最後に、トワが描いた三枚の合図札を見た。


 青い手は、左右へ揺らす。


 金の手は、高く掲げて止める。


 何も持たない手は、指を開いて空へ向ける。


「規則の隙間を使ったつもりなら、途中で止める」


「規則に書かれた舞台を作ったつもりです」


 リヴィアが答えると、監督官は上演停止命令へ黒い線を引いた。


「一回限り、監督官立ち会いで許可する」


 残された時間は二日だった。


 百人分の色板を作り、芝居を直し、八十枚以上の切符を売らなければならない。


 サナの工房は、正式な舞台道具の注文として色板を引き受けた。


 ノアが材料費を帳簿へ記し、リヴィアが切り口を磨く。トワは一枚ずつ灯りへかざし、濁りや傷が影に出るものを除いた。


 青が五十枚。金が五十枚。


 余った細片も捨てず、案内の旗へ縫いつける。


 トワの取り分は、契約どおり必要経費を引いたあとの八分の一だ。安く使うための手伝いではない。自分で舞台を作り、その結果に応じて報酬を得る仕事だった。


 声を張った呼び売りはできない。


 代わりにトワは、町じゅうへ細長い旗を張った。


 青と金の旗が風に揺れ、その先をたどると一枚の大きな看板へ着く。


 白い幕の前に置かれた、一脚の椅子。


 客席から伸びる、たくさんの手。


 看板には、短い言葉だけがあった。


 ――声はいりません。


 ――あなたの手を、一つ貸してください。


 その下には三人の名前が、同じ大きさで書かれていた。


 主演、リヴィア・フェン。


 脚本、ノア・ヴァイス。


 影絵演出、トワ。


 最初に足を止めたのは、子どもたちだった。


 トワが工房の窓へ小さな白幕を張り、合図札を掲げる。子どもたちが青い板を振ると、幕いっぱいに風の色が走った。


 一人が二人を呼び、二人が家族を連れてくる。


 大人たちも、声を出さずに参加できる芝居なら見てみたいと切符を買った。


 初日の夕方に三十一枚。


 翌朝には六十七枚。


 公演日の昼、規定の八十枚を超えた。


 それでもトワは旗を下ろさなかった。


 日が岩壁の向こうへ沈む直前、切符箱から百枚目がなくなった。


 風除け広場の客席は、人で埋まった。


 幼い子どもも、仕事帰りの職人も、町の鐘を管理する老人もいる。


 門でノアの帽子を飛ばしたとき、眉間を押さえていた門番も、最後列に座っていた。


 全員の膝に、青か金の色板が一枚ずつ置かれている。


 町の鐘を管理する老人だけは、板を膝へ置いたまま腕を組んでいた。


 参加しない客がいてもよい。


 それも許可を得るための建前ではなく、この舞台の約束だった。


 開演前の稽古は、トワが担当した。


 青い合図札が上がる。


 青い板を持つ人々が手を動かす。最初は速すぎて、白幕の上で色が暴れた。


 トワが「遅い」の札を見せる。


 今度はゆっくり。


 隣の人と速さを合わせ、波が端から端へ流れる。


 金の合図では、板を動かさず高く掲げる。


 客席後方の灯りを受け、金色の光が白幕に朝を作った。


 最後にトワが、何も持たない両手を上げる。


 手のひらを前へ向け、指を開き、小さく揺らす。


 サナが同じ動きをし、近くの客もまねた。


 それが音を立てない拍手だと知ると、客席のあちこちで笑顔が広がった。


 腕を組んだ老人は、最後まで手を上げなかった。


 トワは急かさず、その席にも色板を残した。


 トワは一礼し、幕の後ろへ入る。


 監督官が配役表と舞台を見比べた。


 違反はない。


 ノアが青札を掲げた。


 芝居が始まった。


 白幕に一本の道が現れる。


 リヴィアは、空の椅子を一脚運んできた。


 胸元の〈空白〉に、英雄も姫君も呼び出さない。


 名のない誰かを、決められた型へ押し込めずに演じる。


 道の見える場所へ置き、隣に自分の椅子を並べる。


 二つの杯へ水を注ぐ。


 片方に座り、待つ。


 幕の上を太陽が進んだ。


 ノアの青札が上がる。


 客席の手が動き、青い風が道を渡った。


 最初の波は少し乱れていた。


 前列が速く、後列が遅い。


 それでも幕裏のトワが小さな札を示し、ノアが「遅い」の合図を客席へ返すと、百人の手は互いを見ながら速さを合わせた。


 一つの長い風が、谷の向こうから舞台へ届く。


 リヴィアは動かなかった。


 椅子に座り、道の先を見る。


 台詞がないからと、何かで空白を埋めようとはしない。


 夕日が月へ変わる。


 夜が明ける。


 隣の杯には、まだ水が残っている。


 また一日。


 また一晩。


 水を替え、椅子を拭き、座って待つ。


 客席から送られる風は、少しずつ季節を変えた。


 青い波が鋭くなれば冬。


 ゆるく揺れれば春。


 トワは花びらや雪を動かさない。ただ、窓の形と光の角度を変え、時間の流れを作っていく。


 誰かの役を演じなくても、彼女の影絵がなければ、この長い年月は存在しない。


 リヴィアは空の椅子へ手を伸ばした。


 いつものように布で拭こうとして、止まる。


 杯の水は、もう乾いていた。


 帰らない者のためだけに、椅子を空け続けるのか。


 それとも、待った時間ごと捨ててしまうのか。


 彼女はどちらも選ばなかった。


 椅子を持ち上げる。


 道へ向いていた椅子を、ゆっくり客席へ向け直した。


 新しい水を一杯だけ注ぎ、空の椅子の前へ置く。


 トワが、白幕へ最初で最後の言葉を映した。


 ――ここにいる。


 金の合図札が上がる。


 客席から、一枚の色板が掲げられた。


 次に、その隣。


 前から後ろへ、金色の光が増えていく。


 最後まで板を膝へ置いていた老人が、周囲を見回した。


 誰にも促されず、自分で金の板を持ち上げる。


 最後の一筋が、空の椅子へ差し込んだ。


 百人が同時に朝を作った。


 白幕も、椅子も、リヴィアの指先も、柔らかな金色に染まる。


 声は一つもない。


 それでも、空の椅子はもう寂しく見えなかった。


 リヴィアは立ち上がり、深く頭を下げた。


 ノアが角灯の覆いを閉じる。


 白幕から、道と朝が消えた。


 静寂が広場を満たす。


 王立劇場で代役を務めた夜、リヴィアはこの沈黙を恐れた。


 拍手が来ないのではないか。


 誰にも届かなかったのではないか。


 今は違う。


 暗い客席で、サナが両手を上げた。


 門番が続く。


 子どもたちが、色板を膝へ置いて両手を掲げる。


 一列ずつ、花が開くように手のひらが増えていった。


 百を超える手が、指先を輝かせながら揺れている。


 音のない拍手だった。


 青と金の色板に残った光が、掲げられた手の間を渡る。


 小さな光は白幕の前で集まり、風に乗る鳥のように舞台を巡った。


 喝采魔法。


 拍手は音ではなかった。


 見たものを大切に思い、それを舞台へ返そうとする心そのものだった。


 胸元の〈空白〉が熱を持つ。


 だが痛くない。


 役を無理に入れ替えたときの、身体を裂くような熱とは違う。


 客席の風と、トワの影と、ノアの合図と、リヴィアの待った時間が、一つの場所へ重なる温かさだった。


 リヴィアは幕の後ろへ手を差し出した。


 トワがその手を取り、舞台へ出る。


 反対側からノアも並んだ。


 三人の名前が書かれた看板の前で、三人一緒に頭を下げる。


 客席の手が、さらに大きく揺れた。


 風響晶は淡く光ったが、突風は起きない。


 百人の静かな拍手は、誰の声も奪わず、確かに舞台へ届いていた。

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