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仮面の聖女 〜完璧な社交辞令と内心は一致しない〜  作者: tky@複数作品を同時連載中
第1章:微笑みの真相

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第7話:聖女の入場と、牙を剥く伏魔殿

王宮の正門を抜けると、そこはすでに別世界だった。


白亜の壁面に、金糸の装飾が施された高い天井。


床には毛足の長い真紅の絨毯が敷き詰められ、歩くたびに微かな沈み込みを感じる。


アシュレイ家の、歩くたびにギシギシと鳴る年代物の床板とは天地の差だ。


(……この絨毯一枚で、うちの領地の三ヶ月分の食費が賄えるわね)


王家主催の茶会が開かれる庭園へと向かう回廊を歩きながら、エルリアは無意識に足元の絨毯の価値を値踏みしていた。


前を歩くのは、案内役の王宮侍従。


すれ違うのは、華美な制服に身を包んだ近衛騎士や、目も眩むようなドレスを着飾った高位貴族の令嬢たちだ。


彼女たちは、エルリアとすれ違うたびにヒソヒソと扇の影で囁き合っている。


「まあ、あの方が……」


「なんと質素な装い。王宮にあのようないで立ちで現れるなんて」


「いくら『聖女』と持て囃されているからといって、わきまえるということをご存知ないのかしら」


エルリアの耳には、そんな嘲笑の声がはっきりと届いていた。


無理もない。


今日のエルリアの装いは、装飾を極限まで削ぎ落とした薄水色のシンプルなドレスだ。


最高級のシルクや、これでもかとあしらわれた宝石、複雑なレースの刺繍を身に纏う公爵家や侯爵家の令嬢たちの中に混じれば、あまりにも貧相で、場違いである。


しかし。


(見てなさい、この布地の少なさが私の最大の武器よ。貴女たちが嘲笑えば嘲笑うほど、周囲の人間は『聖女様はご自身の装いよりも、領民のパンを優先されたのだ』と勝手に脳内変換して、勝手に私を神格化していくのよ)


エルリアの内心は、一切揺らいでいなかった。


むしろ、この圧倒的なアウェイ感すらも、自身のブランド価値を高めるための舞台装置として利用し尽くすつもりでいた。


(それに……)


エルリアは、右手に持った革の鞄の持ち手を、ギュッと握り締めた。


(私には、絶対に負けられない理由がある。愛するルカの、完璧な未来という絶対の目的が!)


昨夜流した、あの天使のようなルカの涙。


それを思い出すだけで、エルリアの胸の奥でドス黒い闘志の炎がゴウゴウと燃え上がる。


(この伏魔殿で、どれだけ嫌がらせを受けようが、どれだけ馬鹿にされようが関係ない。私はただ、この鞄に入った『ルカのための特別教育支援金要求書』を、あの腹黒王太子に飲ませることだけを考えればいいのよ)


ルカのためなら、悪魔とでも契約してやる。


エルリアは完璧な聖女の微笑みを唇に貼り付けたまま、茶会の会場である王宮庭園へと足を踏み入れた。


秋の陽光が降り注ぐ庭園には、すでに数十名の令嬢たちが集まっていた。


色とりどりのパラソルが立ち並び、テーブルには宝石のように美しい菓子が並べられている。


エルリアが姿を現した瞬間、庭園の空気がわずかに変わった。


好奇心、嫉妬、そして明らかな見下しの視線が、一斉に彼女へと突き刺さる。


「ごきげんよう、皆様」


エルリアは、誰に対しても平等に、朝露のように清らかな微笑みを向けて一礼した。


完璧なカーテシー。


隙のない所作。


その美しさに、数名の令嬢がハッと息を呑んだのが分かった。


だが、すぐに一番手前にいた一人の令嬢が、意地悪な笑みを浮かべて口を開いた。


「ごきげんよう、アシュレイ子爵令嬢。……まあ、本当に『噂通り』の慎ましやかなお姿ですこと」


彼女は、自身の豪華な真紅のドレスの裾をこれ見よがしに広げてみせた。


「王宮の茶会にお呼ばれしたというのに、そのような簡素な布地しかご用意できなかったのですか? それとも、やはり子爵家の懐事情では、それが限界でしたの?」


周囲の令嬢たちが、クスクスと扇の影で笑い声を上げる。


明白な、家格と財力によるマウントだった。


エルリアは少しも動揺する様子を見せず、静かに微笑んだ。


「まあ、皆様のその素晴らしい装い……。まるでお花畑がそのまま歩いているかのようですわ。わたくしのような未熟な者が、このような美しい場所に並ぶのが恐れ多いほどです」


「お、お花畑……?」


「ええ。その見事なレース、そして煌びやかな宝石の数々。どれほどのご苦労と『財』を費やされたのかと、感嘆するばかりでございます」


(<お花畑(脳内が)。その見事な手縫いのレース、最低でも金貨三十枚はするわね。その三十枚があれば、ルカに王都で一番の家庭教師を半年は雇えるのに。無駄遣いも大概になさいな、この歩く散財装置どもが>)


内心では毒舌の限りを尽くし、金銭的換算で彼女たちをバッサリと切り捨てながらも、エルリアの声はどこまでも優しく、相手を褒め称えていた。


「わたくしのこのドレスは、領民の老婆が心を込めて縫ってくれたもの。金銭的な価値は皆様の足元にも及びませんが……領民の『愛』という、何にも代えがたい宝石が詰まっておりますのよ」


エルリアが胸に手を当て、儚げに目を伏せる。


「皆様のその素晴らしい装いには、どのような『愛』が込められているのかしら?」


「っ……!」


嫌味を言った令嬢の顔が、サッと赤くなった。


エルリアの言葉は、完璧な「褒め言葉」の形をとりながら、同時に「あなたたちのドレスには金銭以上の価値はない」と暗に突きつけていたのだ。


しかも、その反論を「領民の愛」という大義名分で完全に封じ込めている。


「な、なんて生意気な……」


令嬢たちが反論の糸口を探してざわめき始めた、まさにその時だった。


「殿下のお成りです!!」


侍従の甲高い声が、庭園に響き渡った。


一瞬にして場が静まり返り、令嬢たちが一斉にその場に跪き、頭を下げる。


エルリアもまた、完璧な動作でそれに倣った。


カツ、カツ、と。


硬い靴音が、静寂の庭園にゆっくりと響く。


第一王太子、ジークヴァルト・フォン・ベルンシュタイン。


漆黒の軍服に身を包んだ彼は、圧倒的な威厳と、息を呑むほどの美貌を漂わせて現れた。


彼の金の瞳が、跪く令嬢たちを一瞥する。


そして。


彼は迷うことなく、真っ直ぐにエルリアの元へと歩み寄った。


「面を上げよ、エルリア・ヴァン・アシュレイ」


頭上から降ってきた低く響く声に、エルリアはゆっくりと顔を上げた。


ジークヴァルトは、エルリアの薄水色の質素なドレスを上から下まで、じっくりと、そして面白そうに観察した。


「……見事だ」


彼が、ふっと笑みをこぼす。


「君のその清らかな装いは、この場にあるどの豪華なドレスよりも、私の目を引く。まさに『聖女』という名にふさわしい、穢れなき姿だ」


あえて、周囲の令嬢たち全員に聞こえるような、大きな声だった。


その瞬間、エルリアの背筋にゾクリと悪寒が走った。


(<このっ……腹黒王太子ッ!!>)


エルリアの脳内で、危険信号がけたたましく鳴り響く。


(<褒めるふりをして、私をこの場の全令嬢の敵に回すつもりね!? 自分が注目することで、周囲の嫉妬をすべて私に向けさせる……。なんて悪辣な、なんてタチの悪い包囲網なの!!>)


案の定、周囲に跪く令嬢たちの視線が、一瞬にして「好奇心」から「明確な敵意と殺意」へと変わるのを肌で感じた。


しかし、エルリアはここで表情を崩すわけにはいかない。


「殿下のお言葉、身に余る光栄に存じます」


エルリアは慎ましく目を伏せ、謙虚に受け流した。


「だが、無理はしていないか? そのような薄着では、秋の風が冷たくはないか?」


ジークヴァルトはさらに追い打ちをかけるように、優しくエルリアの手を取ろうとした。


「もったいないお言葉。わたくしには、神の御加護が――」


エルリアは、自然な動作で一歩下がり、ジークヴァルトの手を躱した。


「――神の御加護がございますゆえ、寒さなど少しも感じておりませんわ。それよりも、他の方々こそお風邪を召されませんよう」


完璧な拒絶。


しかし、言葉尻はあくまで相手を思いやるものだ。


ジークヴァルトは宙に浮いた自分の手を見て、ふっと面白そうに目を細めた。


「そうか。君は本当に、どこまでも慈悲深いな」


彼は手を下ろすと、庭園の中央に用意された最も豪華なテーブルへと向かった。


「さあ、茶会を始めよう。……エルリア嬢、君は私の隣へ」


「……はい?」


エルリアは思わず、素の声を漏らしそうになった。


王太子が座るテーブル。


そこは本来、公爵家や侯爵家の筆頭令嬢など、最も身分の高い者だけが座ることを許される「特等席」である。


子爵家の令嬢など、末席に座るのが関の山だ。


「さあ、こちらへ」


ジークヴァルトが、自ら隣の椅子を引いて彼女を促す。


周囲の令嬢たちの敵意は、もはや隠しきれないレベルにまで達していた。


(<冗談じゃないわよ! これ以上私にヘイトを集めてどうするつもり!? 帰る頃には背中からナイフで刺されてもおかしくないレベルよ!>)


だが、王太子の命令を拒否することはできない。


エルリアは諦めて、静かに、そして優雅にその席へと腰を下ろした。


周囲の視線が痛い。


出された最高級の紅茶も、まるで泥水のように味がしなかった。


茶会が始まり、令嬢たちが必死にジークヴァルトの気を引こうと会話を投げる中。


ジークヴァルトは、ふいにおもむろに口を開いた。


「さて、聖女殿。本日は君に、ぜひ意見を聞きたいことがあって来てもらったのだ」


彼は手元の紅茶を一口飲み、鋭い金の瞳をエルリアに向けた。


「アシュレイ領の治水問題についてだが……王室からのインフラ支援に関する検討書は、すでに目を通しただろうか?」


ついに、本題が切り出された。


公的な話題を振ることで、彼がただ彼女を「女として」特別扱いしているのではなく、「有能な人材として」評価していることを周囲にアピールする狙いもあるのだろう。


(だが、そんなことはどうでもいいわ)


エルリアの瞳に、かすかな冷たい光が宿る。


(私に餌をちらつかせて、自分の思い通りに操ろうとしていることには変わりないのだから)


エルリアは、自分の膝の上に置かれた革の鞄をそっと撫でた。


この中には、ルカの未来がかかった、あの「教育支援金要求書」が入っている。


「ええ、殿下。ありがたく拝見いたしましたわ」


エルリアは、春の陽だまりのような微笑みを浮かべてジークヴァルトを見つめ返した。


「領民を思う殿下の海より深い御慈悲に、わたくしは涙が止まりませんでした。……ですが」


エルリアはあえて言葉を切り、周囲の視線を集めた。


「わたくしからも、殿下に一つ、ご提案……いえ、『お願い』がございますの」


聖女の微笑みの奥で、エルリアの「強欲な商人の目」がギラリと光った。


(さあ、あの素晴らしい検討書に、どこまで私の要求を上乗せして、いくら吐き出させるか……決めましょうか、腹黒殿下)


王家の特等席で、二人の化かし合いの戦端が、今、静かに切って落とされた。

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