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仮面の聖女 〜完璧な社交辞令と内心は一致しない〜  作者: tky
第2章:荒れ狂う政治の荒波

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第33話:聖女と王妃のえげつない平和の祈り

王太子宮の応接室に、数日ぶりの再会を喜ぶ明るい声が響いた。


「お姉様! お加減はもうよろしいのですか!?」


厳重な護衛を伴って王宮に到着したルカが、パッと花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる。


「ええ、ルカ。すっかり良くなりましたわ。長旅で疲れてはいないかしら?」


エルリアは、愛する弟を抱きしめ、その柔らかな金髪を撫でながら心底安堵した。


(ああ、私の天使……! 無事に王宮の安全圏に入ってくれて本当によかった!)


ルカは嬉しそうに目を細めると、今度はエルリアの後ろに立つジークヴァルトへ向き直り、深く、そして完璧に洗練された礼をとった。


「ジークヴァルトお義兄様。この度は、僕たち家族を王宮へお招きいただき、本当にありがとうございます。お姉様をお助けいただき、心より感謝申し上げます」


「よく来たな、ルカ。君が無事に到着してくれて、私も嬉しいよ」


ジークヴァルトは、いつもの冷徹な王太子とは打って変わった、ひどく穏やかで優しい顔でルカの肩を叩いた。


完璧な身のこなしと、丁寧な敬語を使う愛らしい天使(弟)と、それをごく自然に「お義兄様」として受け入れている王太子。


そのあまりにも微笑ましく、そして「既成事実が完全に固まっている」光景を前に、部屋の入り口に立っていたアシュレイ子爵(エルリアの父)は、滝のような冷や汗を流して震え上がっていた。


「……息災か、アシュレイ子爵」


ジークヴァルトが、ルカへ向けたものとは全く違う、圧倒的な威圧感と王の覇気を纏った視線で子爵を見据えた。


「は、はははははいぃぃっ! も、勿体無きお言葉! 我がアシュレイ家、殿下の海より深き御慈悲に、平伏するのみでございます!」


田舎のしがない貧乏領主である子爵にとって、この状況は完全にキャパシティを超えていた。


(ど、どういうことなんだ!? エルリアの奴、王宮で上手く立ち回って実家に帰ってくるはずじゃなかったのか!? なんで王太子殿下が、ルカのことを『義弟』のように可愛がっているんだ! なんでエルリアは、王太子宮の奥深くに完全に囲い込まれてるんだ!?)


胃痛で今にも倒れそうな子爵に対し、ジークヴァルトは淡々と、しかし決定的な言葉を告げた。


「エルリアには、国の要として多大な貢献をしてもらっている。彼女の安全のため、当面の間、ルカ殿にはこの王太子宮で共に暮らしてもらう。私が責任を持って、最高の教育と安全を約束しよう」


「は、はいぃっ! ありがとうございますぅぅ!」


「……そして」


ジークヴァルトの金の瞳が、熱を帯びた光を放ってエルリアを見つめた。


「近々、国王と母上の承認を得て……エルリアとの婚約を、内々に決定したいと考えている」


「…………」


その途方もないスケールの爆弾発言を聞いた瞬間。


子爵は「こ、こ、婚約ぅぅ!?」と声にならない悲鳴を上げ、盛大に白目を剥いて、そのままソファーの上へドサリと気絶してしまった。


***


アシュレイ家の歓待を終えたジークヴァルトは、激しい怒号が飛び交う王宮の軍議室に居た。


「殿下! 先日から、聖女派閥の当主たちより『戦争反対』の嘆願書が山のように届いております! ここで強引に軍を動かせば、貴族たちの強い反発を招きます!」


閣僚の悲痛な訴えを、軍議の席の上座に座るジークヴァルトは、氷のような視線で一蹴した。


「反対する者は、反逆とみなす」


その一言で、軍議室の空気が完全に凍りつく。


「彼女は、命を狙われたのだぞ。……ガルディアという脅威がこの大陸に存在する限り、彼女の真の安全は確保できない。私の全権限をもって、全軍の編成を強行する。準備を急げ」


ジークヴァルトの瞳には、愛する者を傷つけられた狂気的な殺意と、暴君と見紛うほどの冷酷な決意が宿っていた。


政治的圧力がどれほどかかろうとも、彼の開戦への意思を止めることは、誰にもできそうになかった。


***


「……というわけで、殿下が暴走なさっております。王妃様、どうか殿下をお止めくださいませ」


王妃イザベラの私室。


最高級の茶が香る優雅な空間で、エルリアは悲痛な面持ちで頭を下げた。


イザベラは、扇で口元を隠しながら、面白そうに目を細めた。


「気持ちはわかるけれど、エルリア。やられっぱなしでは国の威信に関わるわ。報復は必要よ」


イザベラの言葉は、政治家として極めて真っ当なものだった。


だが、エルリアにとって「戦争」とは、物価を高騰させ、物流を停滞させ、税金を上げるだけの、コスパ最悪の赤字事業に他ならない。


(冗談じゃないわ! せっかくルカを安全な王宮に呼び寄せたのに、戦争なんて始まったら、防衛費の増税でルカのお小遣いが減っちゃうじゃない! 報復なら、血を流さずにもっと『効率的』にやるべきよ!)


エルリアは、そっと胸に手を当てて、潤んだ瞳でイザベラを真っ直ぐに見つめた。


「わたくしも、国の威信は守るべきだと存じます。ですが……武力で国を焼き、罪なき民の命を奪うなど、慈悲に反しますわ」


エルリアは、神聖な祈りを捧げるように、静かに言葉を紡ぐ。


「ですから、わたくしが、周辺諸国の大商会や教会へ『平和の祈り(手紙)』をお送りいたします。悲しみを生む物資や武器をガルディアへ輸出して利益を得るようなことはせず、わたくしと共に、平和を祈ってほしい、と」


それは、一見すると、平和を願う無垢な聖女の祈りそのものだった。


だが。


その言葉の裏にある「真意」を、王妃イザベラは一瞬で、そして完璧に理解した。


(なるほど。慈善事業の最高顧問であり、我が国の物流と商人を完全に牛耳っているエルリアからの手紙。それは他国の商人にとって、『ガルディアと取引を続けるなら、我が国との儲かるビジネスから完全に締め出す』という、逃げ場のない究極の『二次的制裁セカンダリー・ボイコット』の脅迫に他ならない……!)


「平和への祈り」という誰も批判できない絶対的な大義名分を使いながら、その実態は周辺諸国を巻き込んで敵国の商流を完全に断ち切る、あまりにも現実的で、えげつない経済的包囲網の構築。


「……恐ろしい娘」


イザベラは、扇で口元を隠しながら、堪えきれない様子でクスクスと大笑いし始めた。


「血を一滴も流さずに、敵国を丸ごと飢えさせる気ね」


「……わたくしはただ、平和を祈るだけですわ」


エルリアは、鉄壁の聖女の微笑みを崩さなかった。


イザベラは、かつてないほど気の合う「共犯者」を見つけた喜びに満ちた顔で、立ち上がった。


「いいでしょう、エルリア。貴女のその崇高な『祈り』、私が全力で後押ししてあげるわ」


イザベラの瞳が、冷酷な政治家の光を放つ。


「商人の動きだけでは、まだガルディアは抜道を探すかもしれない。ならば私が、周辺国の『王族』たちへ、聖女の崇高な祈りを全面的に支持するようにと『親書』を送ろう。……これで、ガルディアは大陸から完全に孤立するわね」


(っしゃあああっ!! 王妃様まで巻き込んで、これで完全に戦争の赤字は回避できたわ! 戦後賠償より時間はかかるけど、ジワジワ真綿で首を絞めて、合法的に全財産むしり取ってやるんだから!)


聖女の容赦のない経済圧力と、王妃の圧倒的な政治外交。

二人の女性の結託により、ガルディアを地獄へ突き落とす、完璧な大陸規模の経済封鎖網が完成した瞬間だった。


***


王太子宮・執務室。


開戦準備の指示を出し続けていたジークヴァルトの元へ、王妃の使者が訪れた。


「王妃殿下からの勅命です。『直ちに軍事行動を停止し、聖女主導の外交圧力(経済制裁)へと移行せよ』とのこと」


「なんだと? 母上が、報復を止めろと言うのか!?」


ジークヴァルトが反論しようと立ち上がった、その時だった。


「ジークヴァルト様」


執務室の扉が開き、エルリアが静かな足取りで歩み寄ってきた。


彼女は、怒りに燃えるジークヴァルトの前に立つと、彼の大きな手を、両手でそっと包み込んだ。


そして、少しだけ小首を傾げ、潤んだエメラルドグリーンの瞳で彼を下から見上げた。


「わたくしのために、貴方の美しい手が血に染まるなんて耐えられませんわ。……どうか、剣を収めてくださいませ」


「……っ!」


不意のゼロ距離からの上目遣いと、自身の手を包み込む小さく柔らかな感触。

そして、自分のためを想ってくれる(と彼には聞こえた)甘い声。


先程までジークヴァルトの全身から立ち昇っていた地獄のような怒気と殺意が、一瞬にして霧散した。

代わりに、彼の端正な顔がみるみるうちに耳の裏まで真っ赤に染まっていく。


「あ、いや……しかし、君を危険に晒した国を……」


ジークヴァルトは完全に毒気を抜かれ、視線を彷徨わせながらしどろもどろになった。


だが、照れ隠しのように視線を落とした先にある、王妃からの勅命書。

ジークヴァルトは、その内容(経済制裁の全容)と、目の前で可憐に微笑むエルリアを照らし合わせた。


彼の聡明な頭脳は、即座にその「平和的な方法」の正体を理解した。


(彼女の祈りと、母上の親書……。これは、中途半端な軍事侵攻よりも、ガルディアという国を確実に、そして一切の反撃を許さずに内部から崩壊させる、悪魔のような策だ)


自分を止めたのは、ただの平和主義などではない。

二人の女性が組んだ、完璧で、最も残酷な『報復』なのだと悟った。


彼女の知略と、自分への愛情(と彼が思い込んでいる建前)に、ジークヴァルトは熱くなった頬のまま、深く息を吐き出した。


「……君が、そこまで言うのなら」


ジークヴァルトは、彼女に包まれた自身の手に額を押し当て、ついに開戦の剣を収めた。


***


事態が収束し、王太子宮のプライベートな客室には、穏やかな時間が流れていた。


テーブルには、ルカの大好物である高級な焼き菓子が並べられ、三人でのお茶会が開かれている。


「ジークヴァルトお義兄様!」


ルカが、目を輝かせてジークヴァルトに尋ねた。


「では、お義兄様は本当にお姉様と結婚して、僕の『家族』になってくださるのですか?」


その無邪気でストレートな問いに、ジークヴァルトは柔らかく微笑み、深く頷いた。


「ああ。あとは内々に婚約の手続きを進めるだけだ。……君のお姉様が、私を受け入れてくれれば、だが」


ジークヴァルトの熱を帯びた金の瞳が、エルリアを真っ直ぐに射抜く。


その視線を受け止めながら、エルリアは脳内で猛烈に算盤を弾いていた。


(ルカと一緒に、一生安全な王宮で暮らせる。ガルディアからは、経済制裁の解除と引き換えに超特大の慰謝料が国庫に入ってくる。おまけに、王妃様という強力なバックアップまで手に入れた。……あれ? 私の『平穏と利益』の目標、完璧に達成されてるじゃない!)


もはや、彼から逃げる理由も、強がる理由もない。

何より、自分に向けられるこの不器用で熱烈な愛情が、決して嫌ではない自分がいた。


(……仕方ないわね。この最高の優良物件(王太子)、私が最後まで責任を持って管理してあげるわ)


エルリアは、ボンッ!と顔を真っ赤に染め上げながら、視線を彷徨わせ、最後に小さく、けれどはっきりと頷いた。


「……よろしく、お願いいたしますわ。……ジークヴァルト様」


最強の守銭奴聖女と、過保護な腹黒王太子の、甘く恐ろしい婚約関係が、今ここに完全に成立したのだった。

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