表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮面の聖女 〜完璧な社交辞令と内心は一致しない〜  作者: tky
第2章:荒れ狂う政治の荒波

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/35

第25話:深まる包囲網と、見透かされた聖女の一撃

王宮の白亜の回廊から続く、広大で美しい庭園。


色鮮やかな薔薇が咲き誇り、甘い香りが風に乗って漂うその場所で、エルリアは一人、悲しげに天を仰いでいた。


プラチナブロンドの髪が風に揺れ、透き通るような白い肌が陽の光を浴びて儚げに輝く。


「どうして……どうして、このようなことになってしまったのかしら……」


彼女の呟きは、誰に聞かせるでもない、純粋で痛ましい祈りのようだった。


まるで、一枚の宗教画のように完成された、悲劇の聖女の姿。


だが、そんな完璧な静寂と祈りを嘲笑うかのように、派手なドレスの衣擦れの音が、耳障りなほど無遠慮に近づいてきた。


「あら、アシュレイ子爵令嬢。こんなところで空を仰いで、現実逃避ですの?」


振り返ると、筆頭公爵家の令嬢セシリアが、取り巻きの令嬢たちを引き連れて、勝ち誇ったような笑みを浮かべて立っていた。


彼女たちの纏う濃厚な香水の匂いが、庭園の薔薇の香りを強引に塗り潰していく。


セシリアは、豪奢な孔雀の羽をあしらった扇で口元を隠しながら、これ見よがしに大きな溜息をついた。


「耳にしておりますわよ。あなたが担当している東部水路の治水工事、資材の石材が全く足りずに、完全に停止しているそうですわね。まあ、身分不相応な国家事業を、子爵家の分際で一人で抱え込もうとするから、そのような無様な失態を演じるのですわ」


取り巻きの伯爵令嬢や侯爵令嬢たちも、セシリアの言葉に同調して、口々に嘲笑を投げかける。


「ええ、本当に。実家の資金力もないのに、よくあのような大事業を引き受けたものですわ」


「無能な方には荷が重すぎますのよ。殿下のお手を煩わせる前に、早くお辞めになったらいかがかしら?」


くすくすと響く、底意地の悪い笑い声。


その言葉を一身に浴びたエルリアは、悲痛な面持ちで俯き、震える両手を胸の前で固く組んだ。


(私から殿下を引き離すために、治水工事の石材を買い占めるなんて、卑劣極まりないわね!それ立派な市場の価格操縦と、国家に対する悪質な営業妨害よ!私を無能呼ばわりした慰謝料と、事業の遅延損害金も含めて、主犯の公爵家はもちろん、ここでヘラヘラ笑っている取り巻きたちの実家からも、絶対に倍にして毟り取ってやるわ!)


エルリアの脳内では、瞬時に巨大な算盤が弾かれていた。


石材の遅延による日割りの損害額、精神的苦痛に対する賠償、さらには今後の事業継続を担保するための追加の『誠意』。


令嬢たちの実家を破産寸前まで追い込むための、冷酷で完璧な債権回収シミュレーションが、凄まじい速度で構築されていく。


だが、彼女の口から紡がれたのは、極めて無垢で、自己犠牲に満ちた建前だけだった。


「わたくし……民の生活がかかっている事業を、自分の力不足で滞らせてしまうなんて、胸が張り裂けそうですわ……。ただ一日も早く石材が見つかるよう、こうして神にお祈りすることしかできません……」


その言葉には、一滴の悪意も、相手への恨みも、反撃の意思すら含まれていなかった。


ただ純粋に国を憂い、自分の無力さを嘆く、か弱き聖女の姿そのものだった。


セシリアたちは、エルリアがただ絶望し、神頼みをするしかなくなったのだと完全に信じ込んだ。


「ふふっ。せいぜい、熱心にお祈りなさることね。神が石を降らせてくれるといいですわね」


彼女たちは勝利を確信し、満足げに鼻で笑って立ち去っていった。


エルリアは、その後ろ姿が見えなくなるまで見送りながら、静かに、そして慈悲深く微笑み続けた。


***


同じ頃、王太子宮の執務室。


室内の空気は、真冬の夜のように重く、そして凍てついていた。


ジークヴァルトは、執務机に広げられた分厚い報告書を前に、眉間に深い皺を刻み、苛立ちを隠せないでいた。


「……公爵家の資金の流れは掴めたが、決定的な証拠がまだ出ないということか」


地を這うような低い声に、彼の前に立つ執事のハインツが、渋い顔で頷く。


「はい。セシリア嬢とその周囲の貴族たちが、いくつものダミー商会を経由して、石材の買い占め資金を融通し合っている痕跡までは辿れました。しかし、公爵家の裏帳簿や石材を管理している『秘密の拠点』が特定できません。怪しい私有倉庫の候補はいくつか絞り込みましたが、どれもダミー名義で、公爵家と直接結びつく証拠がなく、強制的な監査に踏み切れない状態です」


「…………」


ジークヴァルトは、ギリッと奥歯を噛み締めた。


(セシリアだけでなく、その周囲の愚か者たちも結託して、彼女の治水事業を妨害し、窮地に追い込んでいる。一刻も早く、加担したすべての家門を根絶やしにしてやりたいが、決定的な証拠がなければ、筆頭公爵家という巨木を切り倒すことはできない……!)


ジークヴァルトの金の瞳に、暗く冷たい怒りの炎が揺らぐ。


彼女が嫌がらせを受け、事業を妨害され、悲しい思いをしているというのに。


自分は、確固たる大義名分がないために、ただ待つことしかできない。


ジークヴァルトは、愛するエルリアを守りきれない己の無力さと、大貴族の狡猾な隠蔽工作に対する苛立ちで、理性を削がれそうになっていた。


***


数時間後、王宮のサロン。


公務の合間にわずかな休憩を取るため、サロンに顔を出したジークヴァルトの周囲には、いつものようにセシリアをはじめとする令嬢たちが群がっていた。


彼女たちは、自分たちの工作でエルリアの事業が頓挫しかけているという優越感から、いつも以上に厚かましい態度でジークヴァルトに擦り寄っていた。


「殿下。アシュレイ子爵令嬢は、資材調達すら満足にできない無能な方のようですわ。やはり、国を支える大事業は、あのような下位貴族ではなく、私ども公爵家が殿下の隣でお支えするべきですのよ」


セシリアは、胸元を寄せるようにして身を乗り出し、自分こそが王太子妃に相応しいと強烈にアピールする。


ジークヴァルトは、完璧な無表情のまま、氷のように冷たく鋭い視線をセシリアに向けた。


「……無能かどうかは、私が判断する。事業の進捗を、個人的な快不快や派閥の論理で語る者こそ、国の重職を担う家門として相応しくない」


感情の欠片もない、絶対零度の声。


普通であれば震え上がるような冷気だが、セシリアは「殿下は素直になれないだけで、照れていらっしゃるのだわ」と、信じられないほど都合よく解釈し、余裕の微笑みを深めた。


(泳がせておくのもここまでだ。これ以上、あの醜悪な女たちを、彼女の視界に入れるわけにはいかない。だが……裏帳簿や隠し場所など、決定打となる証拠はどこにある……?)


ジークヴァルトは、令嬢たちの嬌声を雑音として処理しながら、喉から手が出るほど欲しい「最後のピース」を求め、冷酷な思考を巡らせていた。


***


その夜、エルリアの客室。


静かなランプの灯りが揺れる自室の机に向かい、エルリアは羊皮紙の上に、猛烈な勢いで羽ペンを走らせていた。


彼女の手元には、以前に恩を売った下町の商人たち、特にマリス商会などを通じて密かに取り寄せた、膨大な裏情報が整理されている。


(商人たちの情報網を駆使して、石材を不正に買い占めて隠しているダミー商会の貸し倉庫を完全に特定したわ!おまけに、その商会と公爵家、さらには買い占め資金を融通した取り巻き令嬢たちの実家が結託していることを示す、違法な独占契約書の写しまで手に入れた。これで損害賠償と慰謝料を、全家門に一斉に叩きつける完璧な準備ができたわ!)


エルリアが内心で狂喜乱舞し、ペンを握る手に力を込めていると、部屋の隅で控えていたメイドのリーゼが、わざとらしく心配そうな声をかけた。


「エルリア様。石材の調達が、本当に深刻な状況のようですが……夜会にも出られず、ずっとお一人で書類と向き合っておられて、お加減は大丈夫ですか?」


エルリアは、スッと羽ペンを置き、そっと胸に手を当てて、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべた。


「ええ、とても悲しいことですが……。でも、決して絶望はしておりませんわ。民のために必要な石材を大量に保管しているという、ある商会の『貸し倉庫』の住所が判明いたしましたの。わたくし、石材の行方を探していただけですけれど、神はお見捨てになりませんでしたわ」


どこまでも無垢で、清廉で、一点の曇りもない建前。


だが、それを聞いたリーゼの目は、静かに、そして心底楽しげに細められた。


(……ふふっ。またこの方は、私にはその完璧な聖女の顔で誤魔化せていると思い込んでいらっしゃるのね。今お手元で揃えていらっしゃる書類の束が、どう見ても完全に『借金取り』のそれですのに。それにしても……殿下があれほど騎士団を使って血眼になって探していた証拠の糸口を、この方は『ただの事業の遅延損害金を取り立てるため』という私怨だけで、あっさりと引き当ててしまった。これは、私が密偵として中途半端に報告するよりも、ご本人から直接殿下に伝えていただいた方が、殿下の反応が極上で面白そうですわね)


リーゼはメイドとしての報告義務よりも、自身の娯楽を最優先することを決意し、「それは良かったですわね」とだけ言って、優雅に一礼して沈黙を守った。


***


翌日、王太子宮・執務室。


エルリアは、週二回の定期報告としてジークヴァルトの執務室を訪れていた。


彼女は、申し訳なさそうに眉を下げ、潤んだ瞳でジークヴァルトを真っ直ぐに見つめる。


「ジークヴァルト様……。東部水路の件、石材の調達に遅れが出ており、大変申し訳ございません」


ジークヴァルトは、彼女が誰よりも国のために奔走していることを知っている。


「……君のせいではない。謝る必要はない」


彼がそう静かに慰めようとした瞬間、エルリアが言葉を継いだ。


「ですが、神のお導きで、石材を大量に保管している商会の『貸し倉庫』の場所が判明いたしましたの。わたくし、明日、そこの倉庫へ直接話し合いに向かおうと思いますわ。きっと、誠心誠意事情を説明すれば、彼らも悪気はないはずですから、民のために石材を分けてくださると信じておりますの」


(これを提出しておけば、私が話し合いという名の脅迫に行っている間、護衛や監査という名目で騎士団をタダ働きさせられるはずよ。殿下には私の真の目的が『慰謝料と遅延損害金の取り立て』だとバレているだろうけど、表向きはあくまで『民のための平和的な話し合い』。誰からも文句の出ない、完璧な大義名分だわ!)


エルリアは、美しい建前と共に、倉庫の住所が書かれた紙と、その商会がセシリアたちの一派と繋がっていることを示す証拠の書類をジークヴァルトの机に差し出した。


当然のごとく、ジークヴァルトは彼女の聖女ムーブの裏にある本性を、完全に理解していた。


(……話し合い、だと? 自分の事業の損害金を取り立てに行くつもりだな。相変わらず、隙を見せない白々しい建前だ)


ジークヴァルトは、心の中で深くため息をついた。


しかし、手渡された住所と書類を見た瞬間。


彼は、ハッとして息を呑み、金の瞳を見開いて完全に硬直した。


(この住所は……近衛がマークしつつも、証拠不十分で手が出せなかった倉庫の候補地の一つ!そして、この書類があれば、公爵家とこの倉庫が完全に結びつく……!)


ジークヴァルトの背筋に、冷たい戦慄が走る。


(この守銭奴は、己の事業の金を回収するという執念だけで、騎士団すら見つけられなかった公爵家の秘密倉庫……国家の暗部を、ピンポイントで引き当てたというのか!?)


ジークヴァルトの中で、エルリアの異常なまでの有能さと執念に対する、強烈な驚愕が渦巻いた。


そして、同時に。


(いくら有能でも、大貴族の裏社会と繋がるような危険な場所に、女一人で行かせるわけにはいかないだろうが!)


ジークヴァルトの胸の中で、彼女への過保護な独占欲と焦燥感が、ついに臨界点を突破した。


「……いや。君が一人で行く必要はない」


ジークヴァルトは、エルリアの差し出した書類をガシッと力強く掴むと、勢いよく立ち上がった。


彼の金の瞳が、冷酷な歓喜と、獲物を完全に追い詰めた狩人の光でギラリと輝く。


「明日、私が『護衛』として、共にその倉庫へ向かおう」


エルリアの完璧な建前と、その建前に乗っかるジークヴァルトは、奇跡的な相乗効果を生み出したのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ