09.瞳に宿ったものは
先ほどの学校内の共用部である応接室とは別室に、辺境伯令嬢ナターリエはいた。
すぐ傍らには侍女のサルマを伴っている。
一行は応接室を離れ、ナターリエに宛がわれた寮内の自室へと移っていた。
騎士ハマーと従騎士ブライスを私室内にある客間で待たせ、サルマに手伝ってもらいながら衣装室で着替えを行なう。
(ブライス。本当に見違えたわ)
粛々と進んでいく着替えの最中、先ほど言葉を交わした偉丈夫の従騎士が自然と脳裏に浮かぶ。
あのあどけなかった輪郭が、すっかり年相応の端正な顔立ちへと成長していた。
ふと、ナターリエを覗き込むように見つめてくる赤褐色の双眸を思い返す。
それは記憶の中にある純粋で円らな瞳のままでは無かった。
確かに昔の面影も残ってはいたが。
「お嬢様、泰西騎士団の方々が来て下さって宜しゅうございましたね」
サルマに声を掛けられ、振り返る。
笑顔に笑顔を重ねたような表情をしているこの桜色の髪をした侍女を前にして、少し心が騒ぎ掻き立てられた。
そんなこちらの心情を気取られないよう、努めて冷静に振る舞おうと試みる。
「そうね。って、何よ藪から棒に」
「今のお嬢様、なんだかとても良いことがあったようなお顔でしたので。こちらも思わず嬉しくなったのでございます」
完全に見透かされている。(いや、もしや解りやすい顔になっていた?)と、見えない頬に視線を落とす。
「そ、そう? いつもと変わらないわよ。そういえば貴女、ハマー卿と二人きりで退出したけれども大丈夫だったの?……その、不快な思いとか」
やや探るように問うが、サルマはいつも通りの笑顔を振り撒いてくれた。
「大丈夫です。ハマー卿は泰西騎士団所属の騎士様らしく、とても紳士的な殿方でございました……話し方以外は」
「話し方? ああ……」
彼の口調を思い出し、思わず吹き出してしまう。
「では、特に何もなかったのね」
「はい。あ、卿はむしろお嬢様の身を案じておられました」
「……そう? 大丈夫よ、わたくしは」
不思議な心配をするものだと内心苦笑してしまう。
ブライスを取り押さえたのはハマー卿本人である。にもかかわらず、そんな嫌疑の相手を主君の娘と二人きりにさせたのは、ほかでもない卿自身なのだから。
ブライスは大丈夫よ、と思った矢先に不思議な気持ちに陥る。
(不思議ね、出会った頃はあんなにも彼の奇行を警戒していたのに)
再び思い返す。
あの純粋そのもののような瞳の輝きが完全に失われたわけではない。
しかし、それよりももっと強い何か。肝が据わり、気構えがその眼から伝わってきた。
――戦いに赴くとはそういうことなのかも知れない。
変わらない意思を貫くために、心構えが変わったのだろうか。変わらざるを得なかったのか。
それはナターリエには経験したことが無い世界だった。
少なくとも彼は、小姓の頃からずっと、シェルストレームの地のために剣を振るってくれている。
本人の努力の甲斐もあり、魔剣を扱えるようになったブライスは小姓から従騎士となり、その活躍はナターリエの耳にも届いていた。
いや、敢えて耳に入るように差配した、が正しい。
ただ、その名が流布するに比例して良くない噂も届くようになる。
『魔剣頼みのでき損ない』はその最もたる例だが、その他にも魔法が扱い切れていないだけで騎兵であるブライスに向かって『最強の歩兵』などと揶揄している連中がいることも知っている。
(なんて失礼極まりない)
興奮を抑えるように、最小限の動作で首を振る。
(落ち着いて。こんな時はサルマの顔を見るのよ。ああ、うんそう、この桜色の三つ編み。癒しだわ)
「?」
着付けに勤しんでくれていたサルマが、鏡越しにあるナターリエの視線に気付く。
するとその愛くるしい瞳を、こてんとでも擬音語が付くかのように首を傾げて見せてくれた。
庇護欲をそそる可愛さである。
(……そんな仕草を計算づくでされていたとしたら、これからわたくしは他人の挙動すべてを疑わなければならなくなるわ)
どうかこれが天然であって欲しいと、願わずにはいられなかった。
と同時に、下種な権力者達の手付きなどに遭わないよう、自分がしっかり目を光らせなければ、と一人息巻く。
そんな行動が奇異に映ったのか、サルマは一瞬目を見開いた。しかしすぐに吹き出すように笑い出し、
「どうしたのですかお嬢様」
「貴方の貞操はわたくしが護るわ」
片手を腰に当てて、鏡越しの侍女に向かってそう決め台詞を吐いたわたくしに対し、サルマが先ほどよりさらに輪を掛けて笑った。お腹まで抱えている。
「かっこいいですお嬢様、まるで騎士様に口説かれているようです」
「何云っているの。わたくし巷で『戦姫』と呼ばれているのよ。騎士なんて目じゃないわ」
王国の東方は長いあいだ厭戦状態である。いま戦線が敷かれていのは西方だけなのだ。
そしてナターリエは最西端にある国防の家門。そういった事情からの二つ名だった。
(勿論、まったく嬉しくない呼び名だけれども)
そうは思いながらも、ちょっと涙目になりながら緩みっぱなしの口元を見せてくる侍女に対し、横向きついでに髪を掻き上げ、さらりと宙に舞わせる。
それに合わせて鏡に映る銀の髪飾りが煌めいた。
完璧に決まった後、鏡越しではなく、じかにサルマと目が合う。今度は2人で一緒に笑い合った。
「本当に嬉しいですお嬢様。お嬢様のようなご令嬢の奉公が叶い、サルマは果報者です」
ひとしきり笑い合った後、彼女がまるで天使のような無垢な笑みを主に向けた。
「そうだったら良いのだけれど」
「そうでございますとも! 使用人の身を案じて下さったり、こんなに一緒に笑い合って下さるご令嬢は他にございません」
「そうかしら。だってわたくしは――」
「忠誠を向けてくれている従者に恩がある」と、続けようとしたところではたと思い出した。
8年前、デイン神殿への巡礼。
脳裏に浮かんだのは、緑生い茂る森の中、12歳のナターリエを庇い、そしてその身の上で倒れたブライスの姿だった。
あの鮮血の色も、彼の重みも、いまだはっきりと覚えている。
「……」
「どうなさいました? お嬢様」
「……え?」
サルマが心配そうにこちらを見つめていた。
(いけない)
「なんでもないの。気にしないで頂戴」
「そ、そうですか」
心配してくれているサルマを脇に置き、ナターリエが鏡の前で体や首をゆっくりと左右に捻ってみせる。
藍色から空色がメインとなったドレス姿のわたくしがそこに映っていた。
「うん、良いわ。有難うサルマ」
「勿体無いお言葉です」
労いの言葉に、彼女は軽くお辞儀で返してくれた。
「ハマー卿とブライスを待たせてしまっているわ。客間に向かいましょう」
「はいお嬢様」
サルマがそう返事をするや否や、衣装室の扉を開けに先行した。
その間、鏡の自分を一瞥する。
――貴族令嬢らしく、もう少し感情を表に出さない練習が必要かしら、とついそんなことを呟かずにはいられなかった。
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