10.大聖堂の司祭を訪ねて
辺境伯令嬢ナターリエが着替えを終えた後、ブライスがハマー卿と共に護衛として向かった先は大聖堂だった。
「凄ぇだろ、ブライス」
2つの尖塔を携えたその建造物の中心にある大きな両開きの扉。
そこへと続く10段に満たない階段を登りながら、したり顔でハマー卿が片眉を上げた。
その大きさと造りに感嘆していたブライスが「確かに凄いですね」と返すより、ハマー卿が言葉を継ぐ方が先だった。
「大聖堂が騎神デインを含む数多の神を信奉する教団本部にもなってるが、それだけじゃねえぞ。布教だけじゃなく、国王陛下の戴冠式でさえここで催されるんだ。西の王城と並ぶここ王都の象徴だぜ」
「それは確かに凄いですね」
ブライスが準備していた相槌をようやく挟む。
「そして国内でもっとも魔法修練が盛んな場所でもあります」
先を歩くナターリエが、2人の会話に加わった。
「確かに。ご令嬢が学ぶならこちらでしか無かったでしょうな」
ハマー卿が同意を示すと、ブライスも頷いた。
そしてその巨大な扉を潜り、その建物に足を踏み入れた。
ナターリエに先導され、回廊を進む。
大聖堂の中にある、神を祭るそれぞれの祭壇脇から奥へと続く広い一室。そこは『聖神アトレイアの修練場』と銘打たれていた。
ここにナターリエが目当てとしている人物がいるのだ。
幾何学模様の大理石が縦横無尽に敷き詰められた床の上で、世界的にも希少で価値の高いステンドグラスから流れ出る色とりどりの陽光が注がれている。
見上げるほど高い天井の下、ブライスは令嬢からやや距離を空け、後方で待機していた。
ハマー卿はというと、ブライスよりも更に後方、出入口の扉に近い所に陣取っていた。
扉と我々、いずれもが視界に入るような体勢を取っている。
一にも二にもナターリエと意識を向けているブライスとの違い。それがそのまま騎士と従騎士との役割の差を如実に表わしていた。
「6年間に及ぶ修学、改めておめでとうございます」
「有難うございます。司祭様にお力添えしてもらい、卒業するまでに『浄化』の魔法を会得できましたこと、感謝の念に堪えません」
司祭様と呼ばれた初老の女性が目を細めた。
白と青を基調とした丈の長い聖服姿。
白いベールから覗く、顔に刻まれた皺が彼女のこれまで生きてきた時間の長さを物語っている。
「ご謙遜なさらなくて良いのです。シェルストレームの家門ではない私は、ただご令嬢が正しくお力を発揮できるよう、支えただけです。そしてご令嬢の人としての価値は、『浄化』魔法の使い手だけに留まらないでしょう。そんな貴女様には是非こちらをお渡ししたく」
司祭が近くにある祭壇脇の小卓に置かれていた、布包みを持ち上げた。
(贈り物であれば私の出番だ)
そう意識して注視する。
恭しく布包みを受け取ったナターリエが一礼した。
そしてその視線が包みに向けられたのを見て、司祭が穏やかな笑みを浮かべる。
「どうぞ、お確かめください」
そう促されたナターリエが包みを解く。
幾つかの乾燥した赤い花が顔を出している。
「これは?」
「緋衣草です。お聞きになったことがおありでしょう」
「これがあの緋衣草! 以前、父に見せてもらったことがあります。確かその葉を焚くと邪気が払われるとか」
「その通りです。確かにシェルストレーム辺境伯殿なら商いにも長けておられますし、ご存じのことでしょう」
「このような大陸南方にしか無い貴重な品を……。有難うございます。いまだ何も成し遂げていない身。司祭様のご厚意に、ただただ身が引き締まる思いですわ」
と、ここでナターリエが抱えていた布包みごと、体の向きをほんの少し開いた。
今度こそ合図だと、その場から歩み出た。
ブライスが近付くと、彼女は「お願いね」という言葉の次に包みを彼に委ねた。
無言ではなくこんな配慮の言葉が出て来るお嬢様に対し、(尊い……)と感激しつつも、なんとか平静を装う。
「承りました」
恭しく受け取り、1歩下がる。2人にそれぞれ一礼する。
一礼しながら下げた視界の中で、抱えた包みの中にある赤い花が僅かに揺れた。
「腰に下げておられるのは魔剣ですね」
はっと我に返る。
ブライスが姿勢を戻した先に、司祭の穏やかな表情があった。
「はい」
外見に、魔剣ならではの特徴がある。
柄、鞘。それぞれ異なる古代文字が刻まれている。そして魔力を帯びている。
王都にある大聖堂の司祭様なら、十分に識別能うだろう。
「やはりそうですか。そして、この国で魔剣を持つ従騎士は1人しかおりません。ご両名、宜しければお名前を伺っても?」
「騎士リヌズ・ハマーと申します」
「従騎士ブライス・ユンベルグと申します」
「ハマー卿、ユンベルグ殿、会えて光栄です。……ハマー卿はアーレヴィンゲルの戦いには?」
「従軍しております」
「それでは国家の英雄ですね。あの犠牲の上に、今の人間の平和があるのですから。改めて私からもお礼申し上げます」
「身に余る光栄。王都におわす司祭様から直々にお言葉を賜るとは、長生きはするものですな。とは云え、全ては聖神アトレイアのご加護と、全軍を束ねた今は亡き前騎士団長の功によるものです」
ハマー卿が部屋の一角に建てられた聖神アトレイアの石像、次いで司祭に向かって右の掌を胸に当て、軽く頭を下げる。
女性の姿をした神、アトレイアの石像。
花冠を戴いた巻き毛は今にも風になびきそうで、嫋やかな肢体を包むローブ姿の襞にまで丁寧に刻まれているように見える。そこから露わになっている右手を前方に差し出していた。
そして石造りでありながら、見る者に労いを向けるような、それでいて自然とかしずかせるような凛とした眼差し。
そこがお嬢様と重なって見えた。
司祭が、ハマー卿からブライスへと向きを変えた。
「そして――フリード前騎士団長。その、ご子息ですね。魔剣を携えておられる従騎士ユンベルグ殿」
「仰せの通りにございます」
今度はブライスが胸に手を当てて一礼する。
「お噂はかねがね聞き及んでいます」
王都まで広まりそうな噂と云えば、1つしか無いだろう。
「『魔剣頼みの出来そこない』、その二つ名が司祭様にまで聞き及んでおられるとは、お恥ずかしい限りです」
2人の会話に出て来たアーレヴィンゲルの戦い。
それはブライスやナターリエが生まれる以前の出来事。
東の隣国である諸島連合に侵攻してきた帝国軍と、援軍として侵略者に立ち向かったヴェストゥーナ王国軍が、刃を交えた戦場の名を冠した戦いだ。
そこでの敗戦を機に、帝国が領土拡大政策を諦めたきっかけになったとも伝われており、王国軍司令官だった私の父フリードが大陸全土にその名を轟かせた戦いでもある。
平静を保ってはいるが、そんな偉大な英雄の息子が、騎士爵を与えられない、出来そこないなのである。
(それが私。社交辞令ではなく、本当に恥じている。この事実だけはどう取り繕うとも――)
「ブライス、何を云っているのです」
知らず視線を下げていた彼は、その一言で顔を上げた。
そこには真剣な眼差しをした、ナターリエお嬢様が視界に映っていた。
「ブライス、思い出して。その魔剣、英雄の子息だからと無条件で与えられたのですか」
「いいえ……」
「そうでしょう。貴方自身の魔力でその剣を引き抜いたのでしょう?」
「……お嬢様」
「貴方が扱えない『人馬一体』の魔法。確かに泰西騎士団の騎士となる必須条件です。では魔剣は? 騎士になればみな魔剣を扱えるのですか」
「それは……」
騎士だからと魔剣を扱えるわけではない。むしろ、常人にはその鞘を抜くことすら能わない。
「その剣を扱える者が、恥じ入る必要など無いのです、何も」
「……」
瞼を閉じ、次いで天を仰ぐ。
そして胸に手を当てながら片膝を付き、頭を下げた。
「お言葉、胸に刻みます」
彼が行なえる最敬礼を示しながら、ぐっと何かを堪えた。
「――そういえば最近」
ややあって、司祭が話を切り出した。
私はゆっくりと視線を上げ、話の続きを待った。
「紙が少しずつ安くなり、この大聖堂だけでなく各地の教会に学びを求める者が後を絶ちません。疫病についても、呪いではなく病そのものを調べようと試みる者も増えてきているようです」
そこで話を区切った司祭はナターリエとブライスに笑みを向けた。
「いま時代は大きく変わろうとしています。このような変革の時に、あの英雄フリード殿のご子息がシェルストレームの姫君を迎えに来られるとは。何か運命めいたものを感じずにはいられませんね」
「……」
告げられたことに頭の整理が追い付かない。
そのまま、ふと、すぐ傍にいるお嬢様に視線を向ける。
お嬢様もこちらを向いていた。
いまだ片膝を付いている身から、お嬢様を見上げる形となっている。
遠く離れたアーチ型の天井、ステンドグラスとその彩光。それらを背後に置き、逆光のなか佇んでいるお嬢様がそこにいた。
お互い見つめる形となった。お嬢様がすっと目を逸らした。二度ほど目をしばたかせて。
けれども、彼は視線を逸らすことができなかった。全く。
身動ぎすら能わなかった。
(お美しいです、お嬢様)
小姓時代、給仕係に任命されて挨拶した時と同じことを想っていた。
ただ当時と違ったのは――
(今ここで拝めたお姿を、この目に焼き付けておこう)
そう、心に誓ったことだった。
ここまで読んで下さり有難うございます。
追記:ブクマ有り難うございます、大変嬉しいです!




