08.二人きりの再会
2026.10.2追記:一人称から三人称視点へと変更しております
「……」
王都にある貴族学校。
その応接室の一つで、辺境伯令嬢ナターリエと従騎士ブライスは、沈黙の形を保って向き合っていた。
退出したハマー卿の行動を思えば、2人に気遣ってくれたようにも思える。
しかしその動機が見えなかった。
思考を張り巡らせていると、ことの重大さにようやく気付いた。
「そう云えばせっかくのお召し物が……!」
令嬢のドレスに目を通す。
「ああ、そんな大したことじゃなくてよ」
確かにここは清掃が行き届いている上に床には絨毯が敷き詰められている。土足の割に汚れが付くことは無さそうではあるが。
(いやいやそんな話ではない!貴族のご令嬢に膝をつかせてしまうなど……!)
思わず天を仰ぐ。
「誠に申し訳ございません。後ほど御用達の仕立て屋を呼んで仕上げてもらいますので…。今からお召し換えなされますか?」
「後で構わないわ」
「えっ? そ、そうですか」
貴族のご令嬢ならば「まったくだわ、早く新調されたドレスを用意しなさい!」と、要求しそうなものである。
しかしお嬢様はそうではなかったので、正直なところ戸惑ってしまった。
まあそのような事を要求するご令嬢ならば、そもそも自ら床に膝などつかないかも知れないが。
「それよりも。ご令嬢と呼ぶのは止めて。貴方にそう呼ばれると違和感があるの、とても。……それに何だか寂しいわ」
「……はい?」
最後の方は尻すぼみになってしまってよく聞き取れなかった。
「とにかく、昔みたいに呼んで頂戴」
少し語気を強めて彼に要求してきたお嬢様の表情は、よく言葉を交わしてもらっていた小姓時代に感じていたそれだった。
「承知致しました。ナターリエお嬢様」
「そうそう、それでいいのよ」
腰に手を掛け、満足そうに2度ほど頷くお嬢様。
そんな仕草を見ているうちに、ブライスは胸の中にあった逢えなかった時期の隔たりが、ゆっくり解けていくような感触を覚えた。
気が付くと、どちらからともなく笑い合っていた。ありし頃のように。
お嬢様の表情に変化の色が窺える。屈託のない笑みから、少し照れたような、それでいて物憂げな笑みへと。
ナターリエがそっと、こちらへ歩み寄って来た。
そして、彼の肩に触れた。優しさに満ちた手付きだった。
「っ!?」
「あっ。ご、ごめんなさい。何か、急に……」
「いえ、構いません」
(とは云ったものの、びっくりした!)
お嬢様が触れた箇所。そこは昔、ブライスが彼女を庇って負傷した左肩だった。
「やっぱり気になって……。もしかして、まだ痛んだりするの?」
「いえ、大丈夫ですよ、ほら、ご覧の通り」
ばつが悪くなってしまったのだろうか。後退ってしまったナターリエに向けて、やや大仰にその場で左肩を回して見せた。
「傷は? 残っているの?」
「そうですね。ですが、お嬢様の盾になれたことは私にとって誉れ。この傷は勲章でございます」
お嬢様の不安そうな表情を少しでも和らげられないものだろうかと、出来得る限り胸を張る。
口角も上げて自慢気な笑顔を作った。
ブライスに釣られたのか、それを見た彼女の表情が少し柔らかくなったような気がした。
「それにしてもずいぶん立派になったのね。見違えたわ」
「お嬢様ほどでは……。風の噂で窺っております。お嬢様が見事『浄化』の魔法を習得されたと」
「有難う。でもシェルストレームの家門に生まれた女ですもの。習得できてほっとしている気持ちが強いのだけれど」
『浄化の担い手』
連綿と続く、シェルストレーム辺境伯家の女性のみが受け継ぐ称号。
「その報が届いた際、閣下やソフィア様もさぞ喜んでおられたそうです。まぁ、普段お傍にいないので又聞きになってしまうのですが」
直接聞いた声を届けられなかったことに後ろめたくなり、自然視線が泳いでしまう。
しかしそんなブライスに向かって、ナターリエはゆっくりと首を横に振る。
「そのお二人からは手紙も頂戴したし、嬉しかったわ。これからはわたくしもソフィア様のようにシェルストレームの地を浄化し、守っていきたい」
「……お二方もさぞお喜びになることでしょう」
ブライスに対し、その瑠璃色の双眸が真っ直ぐに向けられていた。
お嬢様がまるで眩い輝きを放っているようで、とても眩しい。そして強く惹かれてしまう。
「貴方だって、国内有数の魔剣所持者よ。それに頑張っているのは知っているんだから」
「えっ」
突然話を振られ、ブライスは我に返る。
「いえ、いえ。私など二つ名の通り、魔剣が扱えてもいまだ従騎士でございますし」
しかしお嬢様は少しも表情や声の抑揚を変えず、こちらへ笑顔を向けてくれる。
「謙遜しなくてもいいのよ。でも……その、やっぱりあの件以来ずっと?」
「はい」
ゆっくりと頷く。
二人の視線が、自然と私の左肩に向けられる。
この傷を受けて以降の記憶は断片的だ。
ただ一つ確かなのは、生死の境を彷徨い、お嬢様の治癒魔法によって一命を取り留めた後、一月は魔法の使用を禁止された。
「結局魔法が解禁された、あの一月後からこれまでの間ずっと、魔法制御が追い付かなくなったままです」
生死を彷徨ったという、その曖昧で断片的な記憶の中にきっかけとなる事象があるはずなのだが、結局今まで解けずじまいとなっている。
しかしそこまでお嬢様の前で吐露することは、さすがに躊躇してしまった。
「……そう」
美しい表情を曇らせてしまう。
それは彼の本意では無い。
「とは云え、歳を重ねるごとに反作用は減ってきています。まあ、少しずつですが」
魔力は器である身体にも大きく影響を受ける。
「子供にはまだ早い」という謳い文句は、身体的な部分も内包していた。
「本当?」
「本当です」
「ううんでも、そうよね。だって魔剣が扱えているんですもの」
「そうです」
実際には魔法制御に長けることと、魔剣が扱えるということはブライスにとってはまったく別の問題だ。
しかし余計なことを云ってお嬢様に心配させてしまうわけにはいかない。
そこも敢えて伏せた。
「でも確かにその背丈、あの頃はそれほど差はなかったけど、今じゃ比べるべくもないわ」
そう云われたので頭の天辺に視線を向けてみる。そして視線を戻す。
確かに今は、お嬢様の顔が私の胴辺りの高さほどの身長差が生じている。
「父譲りかも知れません。それに魔法を制御するためには身体そのものを鍛える必要があると教わり、食もずいぶん太くなりましたもので」
「へぇ、そうなんだ。今度貴方が食べているところを見てみたくなったかも」
「お戯れを……」
そんな場面を想像して気恥ずかしくなり、知らずブライスが視線を逸らしてしまう。
心なしかお嬢様の表情も、そんな私の反応を楽しんでいるようにも見えた。
これが不思議と。まったく嫌な気がしないのだ。
その時である。
規則正しいリズムでドアがノックされたのは。
急に我に返る。
そして返ったことで気が付いた。平時では考えられないくらい、辺境伯という上級貴族のご令嬢と接近していることに。
ほぼ密着している。
おそらく同じことを思ったのかも知れない。
刹那、お嬢様が給仕係として仕えていた頃を想起してしまうほどの俊敏な動きで、ブライスとの距離を取った。
「ご令嬢、失礼致します」
声の主は案の定、騎士ハマー卿だった。
「どうぞ」
令嬢の許諾を得て、先ほどの桜色の三つ編みをした侍女サルマが扉を開ける。そこからハマー卿がまず入室した。
何事も無かったかのように凛とした佇まいのお嬢様(いやちょっとお顔が紅いか?)と、そんな御方の色んな表情を畳み掛けるように目の当りにし、あっけに取られてしまっていたブライスが2人を迎える。
卿は作ったような笑顔で入室と同時に開口した。
「お時間をいただきましたがお持ちした品々に疎漏なく、いやぁ安堵しました! おうブライス、さっきはいきなり悪りぃことしたな……って、ん?」
室内にいた2人を見て違和感を覚えたのだろうか、口早にまくし立てていた卿が急に訝る。
「おい、ブライスお前」
「何もしていませんよ!」
何かを問い出される前にブライスが牽制した。しかしそれを意にも介さず、上官が言葉を被せる。
「ご令嬢がお立ちになっているのは一体どういう了見だ。お前もしや、あの後ずっとご令嬢をお立ちあそばせたままにしていたわけじゃあるまいな」
まったくもってその通りであった。
「こ、これはその、昔話に花が咲きお嬢様と背比べなどしておりましたもので……」
苦しい云いわけである。だが、あながち嘘も付いていない、はずである。
「ん?」
部下の取り繕いに気になる所でもあったのか、ハマー卿が眉を顰める。だが、
「何だよ、肩透かしだな」
悪態をつかれるが、何故かこの上官の頬は緩んでいた。
「それではご令嬢。改めて今後の予定でございますが、まずはご着座を」
「え、ええそうね」
ハマー卿に促されるまま、ナターリエが応接室内にあるソファーに腰掛ける。
続いて席に着いたハマー卿が今後について説明を始める。
が、ブライスはと云えば、正直さきほどのナターリエとのやり取りのことで頭がいっぱいになってしまっていた。
すぐ脇に陣取りながら、この上官の言葉がまったくと云っていいほど耳に入って来なかったのだった。
ここまで読んで下さり有難うございます!




