07.再会
王都に併設されている兵舎に、ハマー卿率いる小隊が着陣した翌日。
まだ朝陽が辺りを照らして間もないさ中、運動を再開できるようになった体で朝練とお祈りを終え、従騎士ブライスは上官である騎士ハマー卿のもとへ向かった。
「ようブライス。よく眠れたか」
「え、ええハマー卿」
ハマー卿が宿をとった騎士身分御用達の宿舎前。何気ない挨拶である。
昨晩は久し振りにヴィオローネの練習もできた。
かなり大きい楽器であるため、結局宿舎からそんなに離れていない並木の下で演奏させてもらった。
もちろん、約束通りハマー卿を連れてだ。
演奏を聴きながら一人で酒盛りを始めた卿の周辺に何人か集まって来たので、自然とその背景音楽として奏でることになった。
しかしヴィオローネは低音楽器である。それゆえ、酒盛りの場がしっとりとした空気になってしまったことは否めない。
当の卿本人が「たまにゃこんな酒の呑み方もいいんじゃねぇか」と云ってくれたので、その件に関してはまあ、良しとしよう。
「ところでハマー卿、ですよね?」
「なんだお前? 喧嘩売ってんのか。買わねぇぞこの野郎」
買ってはくれなかったが、ブライスがおかしな質問をしたせいで卿の不興を買ってしまう。
「ああいえ。何と申しますか……見違えて」
改めてブライスの眼前に立つ、騎士爵の上官を眺める。
昨日までの旅程で着用していた軽装鎧ではなく、新調したであろう礼装ダブレットと袖無し上着であるジャーキンという組み合わせの軍装。
その上からはヴェストゥーナ王国騎士を証明する青と黄色の二色を縦に分割した外套を羽織っている。
その刺繍には悍馬に跨る騎士という、泰西騎士団を表す紋章が施されていた。
しかしなんと云っても極め付けは、無精髭が綺麗さっぱりなくなった顎と、植物油で整髪されたであろう髪の変貌ぶりだ。
「その眠そうな目まで違っていたら、ハマー卿を語る別人ですよ」とは云わないようにした。
「そらそうだろうお前。今日どなたにお目通りすると思ってんだ。シェルストレーム辺境伯ご令嬢だぞ。こんくらい当たり前だろうが」
「それはそうかも知れませんが、普段との差が激し過ぎます。驚きもしますよ」
「やる時ぁやるのが本物の騎士ってもんよ」
腕を組みながら、したり顔でそう宣われる。
「下らねえ事云ってねぇでさっさと行くぞ」
「お供します」
急に仕事の顔になったハマー卿が歩き出す。ブライスはその後に随行し、共に貴族学校の宿舎へ向かった。
◇ ◇ ◇
「こちらでお待ち下さいませ」
王都ルナドーア内にある貴族学校にて。
王家から派遣されている学校管理員に案内され、応接室へ通された。
室内にある調度品には質の良い材質が使用されており、上級貴族の邸宅となんら遜色のない趣向を凝らしていた。
まあ各地の権力者である貴族の令息・令嬢の通う学校なので、当然と云えば当然なことなのかも知れない。
事前に面会時間を確保していたリヌズ・ハマー卿と共に、ブライスもその部屋で辺境伯令嬢ナターリエを待つことになった。
「道中での話、覚えてるぞ。お前ご令嬢と面識があるんだったよな」
部屋の中を視線で物色していたブライスに、ハマー卿が問い掛ける。
ブライスは首肯した。
「はい、小姓時代に短い期間でしたがご令嬢の給仕係も務めておりました。それに私にとってあの御方は、命の大恩人でもあります」
「そうか、そいつぁいい。ご令嬢もお過ごし易いだろうよ」
「あ、いや、さて……どうでしょう」
ブライスが思わず口籠る。
彼が最後にお嬢様とまともに会話をしたのは、10年も前のことである。
その間、彼をどのように思っていたのか、そもそも魔法も制御できなくなった小姓のことなどまだ覚えているものなのか。
皆目見当も付かない。
「なんだよその歯切れの悪い反応は。直前でそんなこと云われちゃ俺もやりにくいだろが」
「仰る通りです。いやしかし、その、何と申して上げて良いのやら……」
呆れ顔のハマー卿を前にしてばつが悪かったが、他に云いようが見つからなかった。
そんな時である。
応接室内にある唯一の扉がノックされたのは。
「――っ! どうぞ」
一瞬息を呑んだハマー卿が相手を促す。
「失礼致します」
若い女性の声が聞こえたかと思うと、おもむろに入口のドアが開いた。
桜色の髪を乳白色のコイフで覆った、従者らしき出で立ちの女性が恭しく姿を現す。
そして彼女がドアを開けたまま、脇に控えた。頭も少し下げている。
(お嬢様だ!)
ブライスは早鐘のように高鳴る心の臓を抑え切れぬまま、ハマー卿と二人、その場で左手を胸に当て片膝を付き、ヴェストゥーナ王国軍の最敬礼を行なった。
そのままやや顔を下げて視線を落とす。
人が入ってきたであろう、僅かな布切れの音と、規則正しい靴音。
その音が一度止まり、そうかと思うと今度はおもむろにドアががちゃりと音を発して閉まった。
一拍置き、
「ご両名、顔をお上げになって」
先ほどの女性の声色とは違う。紛れもなくお嬢様の声だった。
それだけで全身が硬直してしまった。
「はっ」
応えたのはハマー卿だった。
しかしその後方に控えるブライスはと云えば、その彼女の放った美声だけで陶酔してしまったようだ。返事もままならない。
なんとかゆっくりと顔を上げる。
「……!」
思わず息を呑む。
彼の眼前に立っていたのは、間違いなく辺境伯令嬢ナターリエその人だった。
月日は流れたが、見間違えようがなかった。
鮮明に記憶に残ったままの真っすぐで長い亜麻色の髪はハーフアップに。そこには髪飾りとしローズマリーの花が添えられていた。
やや切れ長な瑠璃色の双眸は昔の面影を残しつつ、伸びた睫毛と相俟って吸い込まれそうになる。
立派な淑女となった四肢に纏うのは、紺を基調としながらもスカート部分に薄藍と白とで階調を付けたドレスだった。
胸元にある翡翠色の石を備えた首飾りが、一瞬煌めいた。
ハマー卿が名乗り、挨拶を述べていた。
その間、時間にしてごくわずかであったが、ブライスが目を見開いたまま固まっていたので、気付いたのだろう。
令嬢が彼へと向き直り、自然、互いの視線が交差する。
「え?……!! ブライス――」
彼の名を呼んだのだろうが、云い切るまでにお嬢様は口元を両手で覆い隠し、身体ごとそっぽを向かれてしまった。
「ご令嬢!?」
「おっ、お嬢様!? いかがなされました?どこか具合でも――?」
やや俯き加減の令嬢に向かって、ハマー卿が片膝のまま身を乗り出し、お付きの侍女が慌てて駆け寄る。
ややあって、
「……大丈夫。何でもないわ」
そう云うと、傍に寄り添う侍女の支えをやんわりと手で制した。
そして、ナターリエが再び彼へと向き直る。
それに応えるように、ハマー卿に引き続き、挨拶を試みる。でき得る限り冷静に。
「はい。お久しぶりですおじょ……いえ、シェルストレーム辺境伯ご令嬢。このたび騎士ハマー卿に随行しております、従騎士のブライス・ユンベルグです」
ここで「お嬢様」と云えば、上官と歩調が合わなくなってしまう。
ハマー卿が「ご令嬢」と呼んでいる以上、ブライスもそれに倣うことにした。
「そ、そうね…久しいわね」
「久しいわね」の辺りから、今度は視線だけ逸らされてしまう。
「……」
「……」
それっきり、沈黙に包まれる。
と、不意に斜め前方にいたハマー卿がこちらを振り返ってきた。眉根を顰めているその表情は、怪訝な色に満ちていた。
「……?」
その場で敬礼を崩して立ち上がった上官は、ブライスの背後に回ると、突然その片腕を取り、肩を抑え付けてきた。
「――!? なっ!?」
なす術もなくその場で上半身を床に這わされる。
「ハマー卿!?」
「――っ!?」
動揺し、名を口にする令嬢と、口元を押さえ声も出ない侍女。
「ご令嬢、よもやこの男、過去にお嬢様に対し無礼を働いたことがおありなのでは――」
「無い! 無いですございません!」
卿から受けたとんでもない嫌疑の言葉を遮り、ブライスは慌てて身の潔白を主張した。
(誓って無いとも云い切れないが、誓って邪な動機でお嬢様に接したことなど無い!!)
「待って。卿、離して! ブライスは何も悪くないわ!」
その時、ナターリエがまったく躊躇を見せず駆け寄って来た。
さらにそのまま床に膝を付き、ブライスに手を差し出す。
その思い切りの良過ぎる行動に、ブライスは自身の置かれている状況など完全に頭から飛んでいた。
それよりも、眼前でふわりと広がるスカートが近過ぎて、火が出そうなほど、瞬時に顔から熱を感じた。
視線を逸らすように、慌ててナターリエを見上げる。
「っ!? も、申し訳ございません」
明らかに声音で狼狽していると解かるハマー卿が部下から腕を離すと、その場から距離を置いたようだった。
「大丈夫? ブライス」
ハマー卿の拘束から解放され、ゆっくりと上半身を起こした彼に、ナターリエが手を差し出した。
その手が彼の肩に触れた。
しかも 単に触れただけでなく、軽く擦ってくれているではないか。
「!? だ、大丈夫で……す」
そう返事をするが、突然のことに思考が追い付かない。
「あっ」
こちらの視線が肩に触れる手に釘付けになっていたからだろうか、突如彼女が慌てて手を引っ込める。
そして、まるで見られてはいけない物を見られてしまったかのように、その両の手を背中に隠してしまった。
「……」
「……」
その場で二人、やや俯きながら、上目遣いで互いを窺いながら黙り込んでしまう。
「……」
「……」
「ああ~っと!」
思わず声のした方――背後を振り向く。
視界の先で、ハマー卿が左掌に判を押すように右手を打っていた。
「は、ハマー卿…?」
今度は何事、とナターリエが思わず問う。
「我が輩としたことが、お持ちした積み荷の中に忘れ物をしてしまったのかも知れません」
「?? ……どういうことですか」
訝し気に問うナターリエに対し、ハマー卿が苦笑いを浮かべながら後頭部を搔く。
「いえいえ。辺境伯領からお持ちした積み荷の中に、こちらへお運びするはずの品物を忘れてしまったようなのです」
「いやぁ何でしたかな~」と、まるで天井と会話するように、軽く上向きながら呟いている。
そして、ナターリエへと顔の向きを戻す。
「もし、本日の祝賀会で使用される物なら早急に兵舎へ取りに戻る必要がございます。つきましては品物の確認をするために、そちらの侍女殿をお借りしたのですが」
「えっ」
急に話に巻き込まれた侍女から思わず声が漏れた。
彼女はその困り顔を、ナターリエとハマー卿との間で行き来する。
「そのようなこと、私が」
ブライスが慌ててその場で完全に立ち上がってみせる。しかしその言葉は卿の伸ばした手で制された。
「さすがに今日の今日ご使用される品物に手違いがあったら洒落にならねぇ。お前はここでご令嬢の警護に当たれ」
「しかし」
「おい、ブライス」
唐突に場の空気が変わった。
凄みを効かせた卿の気に、気圧される。
「警護に関しちゃ俺よか適任だと思っていたが、違うのか?俺の杞憂は……当たりってことか?」
「っ!」
卿が気に食わない返事をしようものならたちどころに斬られる。たとえ今お嬢様の謁見のために剣を腰に下げていないとしてもだ。それほどの気迫を感じた。
なのでこちらも誠心誠意、言葉に力を込めて応える。
「いえ。身命を賭してご令嬢をお護りする所存です」
時間にしてごくわずかだったが、眼力での鍔迫り合いを演じた後、おもむろに卿が口を開く。
「その言、違えるんじゃねえぞ」
挑発的な物云いに反して、ハマー卿は満足そうにしたり顔を見せた。
「ご令嬢、よろしいですかな?」
「……解かりました。サルマ」
「は、はいお嬢様」
「ハマー卿と共に、お父様から頂戴した品々を確認してもらえるかしら」
「……承知致しました」
サルマと呼ばれた侍女が、ナターリエとブライスの方をやや曇った顔付きで振り返ったが、それも一瞬だった。
令嬢、従騎士という順に、スカートの裾を軽く持ち上げながら挨拶の礼を行なった。
「それでは」
侍女を伴って部屋から退出する間際、ハマー卿も敬礼を行なう。
そしてブライスとナターリエを部屋に残し、扉は閉じられた。
心なしか、その音はいつもより大きく聴こえた。
「……」
「……」
「……行ってしまわれましたね」
「……そうね」
ここまで読んで下さり有難うございます!




