06.ブライスの初給仕
「お帰りなさいませナターリエお嬢様!」
「ただいま戻ったわ、サルマ」
王都にある貴族学校。
この学校は貴族令息・令嬢のための学校。
14から20歳までの6年間、生活もここで営む。
シェルストレーム辺境伯令嬢ナターリエがいるのは、校舎に併設された大きな宿舎の一室だった。
王都に建てられているとはいえ、そこに通う名家の若い身柄が、王家の人質として差し出されているわけでは決してない。
学校は大聖堂の敷地に隣接しており、生徒はあくまで神デインに仕える身として扱われる。
ナターリエに、侍女として身の回りを一手に担っているサルマが快活に迎え入れてくれる。
サルマはいつでも元気で明るい少女である。
辺境伯家を表す銀狼を模したピンが留めてあるコイフ、そこから覗く桜色の三つ編みとにこにこ顔を見ていると、こちらまで笑顔にしてくれる。
秋に入り、少し気の早い薄手のショールをサルマに預ける。
しかしもうしばらく経てば、厚手のストールが必要になるだろう。シェルストレームの地は大陸北方に位置する。
「ついにご卒業でございますね!明日は舞踏を兼ねた祝賀会ですし、夕食の後はゆっくりお休みになって下さい。明日は私もお嬢様のドレスアップに精一杯励みますので」
「ふふ、頼もしいわ。でもねサルマ、祝賀会は夕刻からよ」
血気に逸る侍女を主が軽く窘めると、彼女はお辞儀をしてショールをしまいに部屋を後にした。
「お茶をご用意しております」
すぐさま戻って来たサルマに、いつものテーブルへと誘われる。
傍に置かれた、彫刻で蔓や枝葉が緻密に描写された木製の椅子に腰掛けた。
身分によって程度は違うが、ナターリエの場合は自立や能動的に行動するために、サルマのみ自領から連れて来ている。
そのためここで椅子を引くぐらいは自ら行なう。
すでに卓上で用意されていた銀製の水盤で手を清める。
それが終わる頃合いに、サルマから清潔な純白のタオルを手渡される。
手を拭いている間にサルマがテーブルまで持って来たのは、陶器の茶器とカップだった。
「本日はハーブ園で摘んだばかりのカモミールを煎じたお茶をご用意しております」
「有難う」
「勿体ないお言葉です」
ナターリエの労いに対し、サルマが少し顔にを破顔した。
「あ、お嬢様。そういえば今しがた伝令が参りまして、辺境伯領よりお嬢様を護衛なさる小隊が王都内兵舎に御着陣されたとのことです」
「そう。予定通りで何よりだわ」
「はい。そしてこれも当初の予定通り、騎士爵のハマー卿が明朝、お嬢様へご挨拶に伺われるそうにございます」
「ハマー卿。騎士リヌズ・ハマーね。騎士団ではかなり古参だし、護衛騎士が面識のある御方で良かったわ」
彼の率いる小隊に伴われてシェルストレーム辺境伯領へと帰郷する。そういう手はずになっていた。
サルマが茶器から藍色で模様を彩った陶器のカップにお茶を注いでいくさまを見つめる。
すっきりして落ち着いた匂いが鼻腔をくすぐった。
「……」
――カモミール、そういえばあの日もカモミールのお茶だったかも知れない。
◇ ◇ ◇
(ーーまったく何なのかしらあの小姓。いえ存じておりますけれど)
ナターリエは憤慨していた。
それもこれも先ほど行なった挨拶の際、あろうことかこちらの手を掴んでくるという不敬を働いた小姓のせいよ。
その小姓は王国で暮らしている者で知らない者はいないというほどの英雄、フリード前騎士団長の忘れ形見。
ファルネルド子爵家の令息、ブライス。
以前父であるシェルストレーム辺境伯からも「救国の英雄フリードの倅が汝と同い年である。ナターリエもその子に負けないような立派な人になって欲しい」と声を掛けられたことがある。
城内で城勤めをしているのは知っていた。このたび彼女の給仕係になったと聞いていたから、どんな子なのか実は興味を持っていたのだ。
(それなのに……なんて馴れ馴れしい!)
不敬にもこの手を無造作に掴んで来たので風魔法で懲らしめてやった。
そのはずだったんだけど、午後の軽食の時間にはちゃっかりまた現れたので、びっくりしてしまった。
そう、彼はお父様の命で給仕係に任命されていたのだ。思わず天を仰いでしまう。
執事を伴って練習していた鍵盤ハープを置き、部屋に備え付けられているローテーブルへと移動する。
城中のメイドに伴われお茶と軽食や果物を乗せた銀製のトレイを持って近付いて来たのだ。
ブライスの動きに身構える。
しかし彼は特に不審な、それどころか無駄な挙動も見せず、つつがなく陶器製のカップにお茶を注いでいく。
カモミールの爽やかな匂いが辺りに立ち込める。
初の給仕で落ち度を見つけて糾弾しようと思っていたナターリエだったが、彼が諸事上手く熟すので口を挟むことができないでいた。
こんなに若い頃から貴族令嬢の給仕に抜擢されるような子だから、将来に見込みのある騎士なのでしょう。
そうそう粗相するような者では無いのかも知れない。
それにしても挨拶した時と違ってちゃんと分を弁えているのが余計に腹正しい。どうして最初からコレができないのかしら。
(意味が解からなくてよ!)
そう思いながら、ちらちらと様子を見遣る。
隣に佇むメイドと同じく部屋の壁際で、ポケットなどに手を突っ込むような無作法もせず、しっかり身体の前で白い手袋をした両手を重ね、背筋は伸びているがやや顔を伏せ気味にして佇んでいる。
挨拶の時のように、急に近付かれたりされたら落ち落ちお茶も嗜められないので、しっかり確認しておく。
(うん良し良しちゃんと大人しくしているわね)
安堵したら目の前のお菓子に興味が移る。
優雅にお茶を一服し、ティースタンドに乗せられたお菓子の中から一つ手に取る。
やや小振りのクッキーのようだが、なんだかいつもより軽く感じる。
「美味しい!」
頬張った瞬間思わず言葉が漏れる。
今まで味わったことのない優しい食感で、一口で気に入ってしまった。
「とても美味しいわ。何というお菓子かしら?……あっ」
と、給仕係に質問を投げた矢先に不覚を取ったと自責する。
そう、今日からこのブライスが給仕係なのである。
思わずこちらから声を掛けてしまうという失態を犯してしまう。
ナターリエが後悔先に立たずといった面持ちで口をつむいでいると、ブライスは彼女に目が細くなるくらいの満面の笑みを向けた。
「その舌触りから猫の舌という、バードセン料理長が故郷から持ち込んだ自信作だそうです。ナターリエお嬢様がお気に召されたと聞けば、料理長も喜ぶことと思います」
と、まるで我がことのように屈託なく喜ぶ笑顔が素敵で――
(素敵……じゃないわ、危ない!)
思わず惹き込まれそうになった気持ちをすぐさま引き戻す。
ちょっと油断したらまたすぐとち狂った距離感で迫ってくる危険な子なんだから。と、改めて身構えた。
「そ、そうね。是非バードセンに伝えて頂戴」
「畏まりました、お嬢様」
そう云って微笑むと、また粛々と佇む。
慣れているのが解かる。
ナターリエ付きの給仕に指名された者は大抵失敗を恐れておどおどしているか、良い所を見せようとして失敗するか、そうでなければもっとずっと年長の経験者か、である。
もしかしたらここへ奉公にくる前から身に付けたのかも知れない。
とはいえそれを確かめるためにナターリエから声を掛けるのは、彼女の自尊心が許さない。
そんなことを思いながら二つ目のお菓子に手を伸ばしたのだった――
◇ ◇ ◇
すでに陶器のカップには湯気だったカモミールティーが注がれ終えており、その爽やかながらも優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
「お嬢様?」
怪訝な顔でサルマがこちらの顔色を窺っていた。
サルマには自身の主が思い出ではなく、カモミールの香りに浸っていたように見えたのかも知れない。
思い出し笑いをしていたなんて恥ずかしいので、その方がナターリエにとっても好都合だった。
(ブライスはお父様からまだ騎士爵を賜っていないのだから、わたくしの護衛騎士としてここに赴くことなんてないはずなのにーー)
ナターリエの給仕係に抜擢され、デイン神殿への巡礼にも随行し――そこで魔法を制御できなくなったブライスは、子爵家から追放されることになった。
「有難う、頂くわ」
お茶を一服し、夕食までのほんのりとした穏やかな時間に、花を添えられたような心地になる。
「そう云えば護衛の方々がお持ちになられた明日用のドレス、今から楽しみですね」
「そうね」
銀製のトレイを軽く胸に抱えながら、ナターリエではなくまるでその瞳に宿る憧憬に向けて語るサルマ。
そんな彼女に相槌を打ったものの、なんとなく最後の祝賀会における父の趣向は察する事ができる。
お父様ならわたくしをシェルストレームの娘だと、はっきりと解かる形で示したいはず。
であれば、家門を示す銀か緑か、またはそれらを組み合わさったドレスといったところが想像に難くない。
明日はハマー卿との引見に始まり、色々と挨拶周りが続く。
そして夕刻からは学校における最後の社交の場。
忙しい一日になりそうね、と胸中で呟く。
好物であるカモミールティーの2服目を頂戴する。
そして夕食までに一仕事片付けるべく、今日届いた書簡の束を、サルマから受け取ったのだった。
回想シーンはは4話回想後の話となってます。
ここまで読んで下さり有難うございます!




