12.シェルストレーム辺境伯家の嫡男
陽の力に翳りが見え始めた夕刻。
舞踏会を兼ねた貴族学校の修了祝賀会は、王家主催のもと、王宮庭園で開かれる。
庭園入口までは馬で移動。広い石畳の馬車寄せには、すでに多くの馬車が並んでいた。
舗装された広い停留地帯に、辺境伯令嬢であるナターリエとその侍女サルマを乗せた馬車を、王都の地理を把握している騎士ハマーが騎馬で先行。そして従騎士ブライスは最後尾を警護した。
先導していたハマー卿が馬を停止した先には、幾人かがすでに待ち構えていた。
身なりから察するに、いずこかの貴族とその従者達といった様相である。
件の貴族は青碧のダブレットに身を包み、翡翠色の瞳をした青年だった。
仕立ての良い上下の服装の至るところに金糸の刺繍がされており、かなり高貴な家の出と解かる。
やや暖色寄りの金髪を、覆うように被っている帽子に目が留まる。余り見たことが無い、鍔が三方向に折られた紺を基調とした帽子だった。
(ここでお嬢様を待っている高貴なお方……。通達通りであれば、あれがアルフォンス様なのだろう)
シェルストレーム辺境伯令息アルフォンス。
辺境伯ルドヴィク閣下の子息。嫡男であり、ナターリエとブライスの2つ歳上でもある。
停止した馬車の台から御者が降り、後ろ手に回った。
その間、ハマー卿とブライスが下馬する。
地上に降り立ったハマー卿が、すぐさま令息であるアルフォンスに向かって胸に手を当てて頭を下げたのに気付き、ブライスもそれに倣う。
御者が馬車の後ろの扉に手を掛けると、背後に控えていた従者を残し、辺境伯令息が1人で歩み始めた。
馬車の前後を盾のように固めている2人に応えるように、アルフォンスが軽く胸に手を当てた。
彼の答礼を合図として、ハマー卿とブライスが姿勢を戻す。
アルフォンスはそのまま御者が開いた扉前まで辿り着くと、中から顔を出した辺境伯令嬢ナターリエを出迎える。
「お兄様」
「待っていたぞ。我が妹よ」
兄の差し出した手を取り、ナターリエが馬車からゆっくりと降り立った。
ブライスは馬車に乗る前にも見たはずだが、それでも彼女の晴れ姿に改めて釘付けになっていた。
彼ら泰西騎士団の小隊が、辺境伯領より運んできたドレス――深緑、若葉、白を基調とし、袖口や足元の裾にフリルを重ね、金糸の刺繍がふんだんに装飾されている――を着こなしていた。
上半分だけ結い上げている亜麻色の髪には銀細工の花飾り。そして絹製の深緑と白のリボンが添えられていた。
胸元には、家紋に使用されている狼を模した首飾りを身に付けている。
それはドレスの色と相俟ってナターリエがどの家門の者であるかを静かに、しかし雄弁に証明して見せていた。
そんな麗しいお嬢様を拝謁するだけでも大変なのだ。そのうえ紅を差した唇と切れ長な瑠璃色の双眸を同時に向けられた時には、危うく卒倒しそうになった。
あれだけ脳裏に焼き付けようとしていた大聖堂でのお嬢様の姿が、半日も経たずして記憶を塗り替えられそうな勢いである。
(こんなお嬢様の御前に、無粋な匂いで舞い戻らなくて本当に良かった……!)
厩舎での点検作業の後、ブライスは香草水や香油で身だしなみを整え、上着であるジャーキンや青の外套を新たに替えた。
そしてハマー卿と合流し、事務仕事手伝い。
その後、2人して貴族学校に向かい、令嬢を迎えに上がり、今に至る。
ナターリエの次に馬車から出て来たのは侍女のサルマだった。
ブライスは警護の任を熟しつつ、視界の隅にしっかりとナターリエの姿を枠に収める。
出発前にお嬢様のドレスアップを完遂させて「この学校での集大成、改心のできです!」と、熱弁していたサルマの仕事振りを胸中で絶賛した。
しかしそんなブライスの思考を、一人の行動が打ち消す。
辺境伯令息アルフォンスが左手で帽子を取って胸に抱く。
そしてナターリエが完全に降り立ってから身を屈め、妹の手を取ってその甲に軽く口付けを落とした。
「今日は一段と美しいなナターリエ。ドレスもよく似合っている。お前は俺の自慢の妹だよ」
「お兄様こそ素敵な帽子をお被りになっておりますね」
アルフォンスは姿勢を戻し、件の鍔が三方向に折られた帽子を軽く頭に乗せ直し、軽く顎を上げて見せた。
「ふふん、そうだろう。これはヌースランド諸島連合で流行っている代物でな。なんでも海軍のお偉い方は皆この帽子を被っているという話だ。面白い形をしているから1つ買い付けたんだ」
兄妹の会話が弾み出した。
ならば、お二人には周りなど気にせず言葉を交わして欲しい。その分、周囲を警戒するのは自分の役目だと、ブライスは警護に思考を完全に切り替えた。
アルフォンスとナターリエの会話を聞き流しながら、通過する他の馬車との距離感、行き交う群衆が発する声の調子、そして空気中を漂う魔素の変化などに神経を張り巡らせる。
いまだ魔法制御に手こずってはいるが、積んできた修練のお陰かマナに関しては鋭敏だ。
馬車を前後で挟むように下馬したので、ちょうどブライスの背後をハマー卿が、ハマー卿の背後をブライスが視野に収め、補い合った。
兄妹の会話にはいまだ花が咲いている。
2人のやり取りを、サルマ含め周りの侍従達は微笑ましく眺めていた――ハマー卿とブライス、そしてアルフォンス付きの護衛騎士を除いて。
ブライスはアルフォンス側の従者の中で一番前に陣取る、件の護衛騎士と面識があった。
それどころか共闘した記憶まである。
彼は泰西騎士団の騎士だ。アルフォンス様が次期辺境伯であるため、王都滞在中も辺境伯家から人を遣わしているのだろう。
「本日お付き合いいただき有難うございます。この後お務めがあると聞き及んでいるのですが」
「そうなのだ。帽子を譲ってくれた諸島連合の来賓を歓待しなくてはならない。勿論、可愛い妹をしっかり会場まで送り届けてからだけどね」
おどけるようにアルフォンスがウインクを披露する。
ナターリエは苦笑いして応えた。
「他国からの使者をもてなす大役を仰せつかるなんて。妹としてお兄様を誇らしく存じます」
「大役といってもまあ、所詮補佐だし気楽なもんさ。剣よりかはよっぽど言葉を使う方が性に合っているしね」
「まあ」
呆れ顔を、彼女は隠そうともしなかった。
「……剣が辺境伯領において、どれほど重きをなすことかご存知でしょうに。お兄様の王都での宮仕えはあと3年なのですよ」
「外交だって立派な務めじゃないか。諸外国との交誼だって港を持つ辺境伯領の益にこそなれ、害にはならないだろう」
「それはそうかも知れませんが」
「それに――」
そこで意図的に言葉を区切ったアルフォンスが、次に周囲を見渡す。否、彼はやや離れて左右に控えているハマーとブライスを順に見遣ったのだ。
「剣ならすでにここにいるではないか」
「え?」
兄を見上げた妹が、自身ではないところに兄が視線を置いているのに気付き、なぞるようにブライスに視線を向けた。
「まあそんな訳だ。辺境伯領の平和は諸卿らにかかっている。励みたまえ泰西騎士団の勇者達よ」
楽団から流れてくる音曲に乗せて、英雄譚でも始まりそうな物云いだった。
辺境伯ルドヴィク閣下も、興に乗った時の口上は饒舌になる。だがそのご嫡男は、いつもこの調子なのかも知れない。
ブライスにとってアルフォンスは、主君の子息とは云えほとんど面識が無かった。
しかしそれはどうやらブライスだけだったようで、
「まったくお変わりなくお過ごしのご様子、何よりでございますな」
「ははは、案ずるには及ばんぞハマー卿。しかしなんとも懐かしい顔だ、1年振りか」
「1年だと余り懐かしくはございませんな」
会話をこなしつつも、この上官はアルフォンスへと向きながら、視線はずっと先に置いているように窺える。
令息の相手をしながら警護の質を落としていない。ブライスはそう感じた。
「少々老けたのではないか。私の護衛騎士として王都での生活を満喫していたから、辺境伯領に戻っての生活はきつかろう」
「別に満喫もしておりませんでしたし、元々老け顔です」
「そうは云っても心配はしていたんだぞ。シェルストレームの地に戻って早々、勘が鈍って魔物に食われてなどいないかと」
「どうも某のマナは不味いようで。昔からあまり魔物の興味を引かぬようです」
「ははは、それは祝着至極。無事是名馬。お前は騎士団の誇りだよ、騎士リヌズ・ハマー」
「勿体無きお言葉」
ハマー卿が胸に手を当て、軽く頭を下げた。
これで何故ハマー卿が、この度ナターリエお嬢様をお迎えする小隊を率いることになったのか判明した。
卿の礼を満面の笑みで2度ほど頷いたアルフォンスは、再びブライスへと視線を向けた。
正確にはその足元から徐々に上へと。まるで品定めでもするかのように。
そしてその視線の先が顔まで行き着いた時、アルフォンスがおもむろに口を開いた。
「では、魔剣を腰に差している君のマナは、よほど美味なのかな?」
「――っ!?」
そんな言葉を浴びせられて軽く身じろぎするブライスに対し、辺境伯令息は不敵な笑みを浮かべたのだった。
ここまで読んで下さり有り難うございました!




