43.二十年ぶりの思い
目の前のアリアと思われる女性が、両手で顔を覆い、肩を震わせていた。声を掛けるべきか迷っていると、彼女の口から押し殺した声が漏れる。
「もう……会えないかと……! ずっと、ずっと!」
必死な言葉に胸が揺さぶられる。まさか、こんなにも強く自分を想っていてくれたなんて。想像すらしていなかった。
「あの……。はっきり思い出したのは、昨夜なの。だから……」
「……分かってる。アカネが自分で記憶を封じたこと、チコさんから聞いていたから」
えっ……アリアは、私の記憶が封じられていたことを知っていた? どうして? いつから?
疑問が次々と頭を埋め尽くす。おばあちゃんが知っていたなら、ハイドも知っていたはず。だとしたら、どうして私には何も言わなかったの?
知らないのは自分だけ。そう気づくと、胸の奥に寂しさが込み上げてきた。たしかに、かつて自分で選んだことだ。けれど、今はひどく後悔している。
沈黙が落ちる。でも、このままでは何も進まない。私は思い切って口を開いた。
「ここじゃ落ち着かないし……中に入る?」
「……うん、入る」
私が店内に戻ると、アリアはようやく顔を上げた。目元は赤く染まり、瞳には涙の光が残っている。本当に泣いていたのだ。
けれど、どう声をかけていいか分からない。胸のもどかしさを押し隠しながら、彼女を店内へと案内する。
「……変わってない」
アリアは店に入るなり、目を見開き、驚いたように辺りを見回した。やがてその瞳を細め、懐かしさと安堵が入り混じった表情を浮かべる。
「うん……。まるで、ここだけ時が止まっているみたい」
「……不思議ね。もっと色んな感情が押し寄せると思ったのに、今はただ、安心してる」
「テーブルに座ろうか?」
「……うん」
私たちは近くのテーブル席に腰を下ろした。けれど、座った途端に言葉が途切れる。お互いに話したいことはきっと山ほどあるのに、どこから切り出せばいいのか分からなかった。
ちらりと視線を上げると、アリアも同じように私を見ていた。胸の奥が熱くなる。何か言わなくちゃ。私は膝の上で手を握りしめ、勇気を出して口を開いた。
「実はね……おばあちゃんが亡くなって、それで私が星見亭を継ぐことになったの」
「……チコさんが亡くなったって話は聞いたわ。あの時、本当に驚いた。大変だったでしょう?」
「……うん。気持ちの整理をつけるのに時間がかかった。でも、この星見亭に戻ってきてからは、少しずつ受け止められるようになったかな」
「そっか……。アカネにとって大切な人を失ったんだもの。ずっと心配してたの。辛くて押し潰されてないかって……それに」
「それに?」
アリアはふっと悲しげに笑った。
「もう二度と、アカネに会えないんじゃないかって……絶望してたの」
胸が強く締めつけられる。どうして、そこまで? 私が勝手に記憶を封じてしまったのに。彼女の想いを思うと、戸惑いと後悔が入り混じって、うまく言葉が出てこなかった。
「でも……この世界のことを忘れてたはずなのに……。どうしてまた来ようって思ったの?」
「おばあちゃんが残した最後の手紙に、星見亭のことと、その想いが書かれていたの。その想いを、私も受け継ぎたいと思ったの」
「……そっか。チコさんのおかげなんだね。本当に、感謝しなくちゃ」
「うん。おばあちゃんのおかげで、新しい道が開けた。だから今、すごく充実してるんだ」
そう言って、私は笑みを向けた。今の自分は、日本で働いていた頃よりもずっと幸せなのだと、伝えたくて。
するとアリアも、柔らかく笑い返してくれた。その笑顔は懐かしく、昔の彼女をそのまま映したようで、胸の奥が温かくなる。
けれど、次の瞬間。彼女の表情はきゅっと引き締まった。まるで、何かを覚悟したような顔で。
「アカネ……。あの時は本当にごめん。絶交なんて言って、ひどいことばかり言った。それだけじゃない。ずっと一緒にいようって約束したのに、私が裏切ったんだ。ずっと、このことを謝りたかった」
真剣な表情で、はっきりとした口調。胸に響くその言葉に、私も自然と背筋が伸びた。彼女の勇気が、私にまで伝わってくる。
「ううん、アリアのせいじゃない。……私の方こそ、ごめんなさい。絶交って言われたのを真に受けて、勝手にこの世界に来なくなって……あげくに記憶まで封じてしまった。子供の喧嘩だったのに、取り返しのつかないことをした」
胸の奥にずっとあった思いが、ようやく口にできた気がした。もしあの時、そんな選択をしなければ。今の後悔も、辛さもなかったはず。そんなことを考えると、どうしようもなく苦しくなる。
「私ね、ずっと後悔してたの。少し時間を置いてから星見亭に行ったら、アカネがもういなくて……そこで初めて事情を知ったの。その時、心の底から後悔した。あぁ、私のせいだって」
「……違うよ。アリアのせいなんかじゃない。元はと言えば、聞き分けのなかった私のせい。強情な私が、全部いけなかったんだ」
「……そっか。結局、同じ気持ちだったんだね」
「……うん」
話してみて分かったこと、私たちは互いに後悔していたということ。私は昨夜ようやく思い出したばかりだから、後悔の時間は短い。けれどアリアは、私がいなくなったあの日からずっと後悔し続けていた。私なんかより、ずっと長い時間を。
そう思うと胸が締めつけられる。どんな日々を過ごしてきたのだろう。想像するだけで、息が苦しくなる。
だからこそ、これ以上は後悔したくなかった。
「ねぇ、アリア……。私たち、また昔みたいに仲良くなれるかな?」
「もちろん! アカネとまた笑い合いたくて、ここまで来たんだから」
アリアの笑顔が、涙でにじんで見えた。すると、霞んでいた記憶が脳裏に過る。それはアリアと一緒に楽しんだこの世界の事。
親がいなくなった私に優しくしてくれた人達。寂しさなんて感じないほどに毎日を楽しんだ日々。笑って、怒って、しょぼくれたり、喧嘩したり。どれも尊くて大切な記憶だ。
昔に感じた気持ちは、今の私に幸せな気持ちを思い出させてくれた。そうか、私は戻ってきたんだ。自分を幸せにしてくれる世界に。
温かい人たちに囲まれた異世界での生活。これからどんなことが待ち受けているのだろうか? それを考えると、幸せな期待が膨らんできた。
「今日は付き合ってくれる?」
「もちろん、そのために仕事を放り出して来たんだから!」
そういうとお互いに笑いあった。まずは、旧友との楽しい会話から。一体、どんな話が飛び出るのか楽しみだ。




