42.緊張の朝
「ごちそうさまでした」
「はい、おそまつさま」
朝食を終えると、私は食器に軽く洗浄の魔法をかけた。食器は瞬く間にぴかぴかになり、洗い物は嘘のようになくなった。メルと一緒に棚へ戻すと、やるべきことは全部終わったはずなのに、胸の中はぽっかりと空いている。
するとメルは小さな肩掛けバッグを肩にかけ、ハイドをそっと抱き上げる。目元が柔らかくなるその仕草が、どこか頼もしく見えた。
「じゃあ、私たちは町の散策に行ってきますね。アカネはアリアさんとのんびり話しててください」
「昨日、客さんからもらった小枝はチャルカに渡しておくから。あとは、あいつがなんとかしてくれるだろう」
「うん。二人とも、気を遣わせてごめんね」
「いいんですよ。久しぶりに会う友達ですから。たくさん話してください」
「その通り。話していると、また記憶が戻るかもしれないじゃないですか」
明るく励ましてくれる二人の声が、どこか遠くに聞こえる。そう言われると安心するはずなのに、どうしてか胸の奥がざわついて落ち着かない。もじもじと一人でいると、二人は笑って扉を開けた。
「では、行ってきます」
「行ってくるな」
「い、いってらっしゃい……」
手を振る二人を見送ると、扉がバタンと閉まり、店内に静寂が戻ってきた。その静けさが一層もどかしい。私はカウンターの席に沈み、頬杖をついた。少ない断片の記憶を引っ張り出そうと、目を閉じる。
星見亭を抜け出して、通りで一緒に遊んだ記憶。日本から色んなおもちゃを持ってきては、アリアと一緒に遊んでた。それが楽しくて帰りが遅くなった時はおばあちゃんに怒られたよね。
一緒にサンドイッチを作った時もあった。お互いに作り合いっこして、お互いのサンドイッチを食べた。美味しい時は一緒に笑って、美味しくない時も一緒に笑い合っていた。きっとアリアと一緒だったから、なんでも楽しかったのだろう。
記憶を掘り起こせば、大切な思い出が蘇って来る。どれも大切な思い出で、胸が切なくなる。
私は深く息を吸って、手のひらで胸を押さえた。記憶の欠片が戻ったことで、生まれたのはただの思い出だけではない。温かさと、確かな欲求。会いたいという気持ちが、静かに、しかし確実に膨らんでいった。
『私、聖女になる。だから、教会に行かなくちゃいけないの』
ふいに胸の奥から蘇ったのは、あの時の記憶だった。アリアが聖女に選ばれ、そのことを私に打ち明けてくれた時のこと。
強い眼差しで、まっすぐに告げるアリアの言葉。最初は私も心から祝福した。けれど、その直後に続いた言葉が、私の喜びを一瞬で打ち消した。
『だから、もうここには来られないかもしれない』
ずっと一緒にいよう。そう約束したはずなのに。アリアがいなくなる。そんな未来を突きつけられて、私はどうしても受け入れられなかった。
『アリアの嘘つき! ずっと一緒にいるって言ったくせに!』
『無理になったのは仕方ないでしょ! 私のせいじゃない!』
『アリアのせいだよ! そんな話、断ればいい!』
『断らない! 聖女ってすごい人なんだよ! 私もそういう人になりたいの!』
『だからって、私との約束を破るの!?』
『仕方ないじゃん!』
互いに感情のまま言葉をぶつけ合い、最後には手まで出しての大喧嘩になった。大人たちが間に入っても、私たちは止まらなかった。そして――。
『もういい! アカネとは絶交する!』
『こっちこそ! アリアなんて知らない!』
その一言で、私たちは決裂した。喧嘩別れ。冷たい幕切れだった。
今思い返すと、どうしてあんなにも感情的になってしまったのか分からない。どうして、相手の気持ちを受け止めてあげられなかったのか。
もしあの時、ほんの少しでも落ち着いていられたなら。きっと、あんな形で別れることはなかったはずなのに。
『私、もうこの世界に来ない! 忘れたい!』
そう言って、おばあちゃんを困らせたっけ。それから、私は日本で生活するようになり、すっかり異世界の事を忘れてしまった。
そして、今日――二十年ぶりくらいに喧嘩別れをしたその友達に会う。
まずはなんて言ったらいいんだろう? あの時の事を謝ったほうがいい? それとも、近況を話した方が良い?
始めの一言を考えるけれど、全然決めきれない。相手も会いたいって言ってくれているんだから、きっと私と同じ気持ちなはずだ。
だったら、その時の素直な気持ちを言葉に言った方がいいんじゃないか? でも、素直過ぎても……。
考えは纏まらず、思わずため息が出て行く。もっと、じっくりと考えた方が――。
その時、扉がノックされる音が響いた。その音に驚いて、体が跳ねあがる。鼓動が煩く鳴り、ゆっくりと扉を向いた。
また、扉がノックされた。
「アリア?」
恐る恐る、扉に近づく。扉の取っ手を掴むと、鼓動が最高潮に鳴り出した。深呼吸をして、鼓動を落ち着かせると、勇気を出して扉を引いた。
扉を開けると、そこには――白い衣装に身を包んだ一人の女性が立っていた。
「……」
「……」
お互いに顔を見合うと、押し黙ってしまう。じっと見つめる相手の顔。それは知らない人の顔で、でもどこか懐かしさを感じるもの。
なんと声を掛ければ戸惑っていると、その女性がおずおずと口を開いた。
「……アカネ?」
確かめるように名前を言った。
「……はい」
私は肯定するように、頷く。すると、女性の顔がくしゃりと歪み、両手で顔を覆った。
「ようやく、会えたっ……!」




