39.深夜営業(2)
光と共に姿を現した麗人。その瞬間、店の空気が一変したように感じて、私は思わず息を呑んだ。あまりに眩しくて、目を奪われる。
そんな中、常連客が何の迷いもなくその人へと歩み寄る。
「やぁ、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「えぇ、あなたも変わりなくて安心しました」
「久しぶりに、こんなに明るい光を浴びたよ」
「眩しくて……申し訳ありません」
「またこうして話せるのが嬉しいよ」
「はい。私も、とても嬉しいです」
まるで人ではないかのような存在感を放っているのに、常連客はいつも通りに声をかけ、自然に会話を交わしている。その光景が不思議でたまらなかった。
どうして、あんなにも躊躇なく話しかけられるのだろう。まるで、この場所にいるのが当然であるかのように――。
いや、それ以上に気になることがある。あの人は、まるで私のことを知っているように挨拶をしてきた。
二十年近くも前に私はこの世界にいた。もし本当に私を知っているなら、この人はその頃から星見亭に通っていたということになる。けれど、見た目はどう見ても若い。矛盾だらけで、頭が混乱する。
……もしかして、昔仲良くしていた小さなお客さんが成長した姿? でも、記憶にある面影とはどこか違うような気もする。
「アカネ、カウンターに座ってもいいですか?」
不意に声をかけられて我に返った。
「あっ……すみません。どうぞ、お掛けください」
「では、失礼いたします」
麗人は静かに微笑み、所作も美しく席に腰を下ろす。その姿は、この場にいるのが不思議に思えるほど高貴で洗練されていた。
どうして、こんな人がこの星見亭に現れたのだろうか。不思議に思って視線を向けると、その麗人がにこりと笑う。
「まずは注文をしてもよろしいでしょうか?」
「えっ、あ、はい。どうぞ」
「カレーライスを一つ。それから、食後にホットコーヒーをお願いします」
……えっ、カレーライス? この人の纏っている雰囲気からすると、もっと洒落た料理を頼むものかと思っていた。いやいや、いけない。お客さんを外見で判断するなんて失礼だ。ここに来る人はみんな、好きな食事を楽しむために訪れてくれるんだから。
注文を受け取り、私は慣れた手つきで調理に取りかかった。その背に、柔らかくも澄んだ声が届く。
「少し、お話してもいいでしょうか? 実はアカネと……いろいろ話をしたいと思っていたのです」
「私と……ですか? えっと、もちろん構いませんけど」
鍋をかき混ぜながらも、胸の奥にざわめきが広がる。不思議に思いながらも、私は自然と耳を傾けていった。
◇
「仕事を終わらせても、次から次へと問題が起きて! そのたびに呼び出されて! 四六時中、ずっと部下のことでてんやわんやなんですよー!」
「兄さん、いつも本当に大変だよな。周りに頼れる人がいないってのは辛い……その気持ち、分かるぜ」
「分かってくださいますか! もう、周りは右往左往してるだけで、誰も解決しようとしないんです。結局、私が全部やる羽目になるんですよ!」
「周りがそうだと自分がやらなきゃって思っちゃいますよね。私も昔そうでした」
「アカネもそうだったんですか! その辛さ、分かってくれますか!?」
「えぇ、痛いほど分かりますよ」
「わーん、良かったー! ここに私の気持ちを分かってくれる人がいるー!」
麗人が思わず声を震わせると、常連客も私も深く頷いた。最初に声を掛けたときは何を話すのか身構えていたけれど、蓋を開ければ出てくるのは職場の愚痴ばかりだった。
終わらない仕事、増え続ける業務、使えない部下。問題が山積みで、麗人は日々疲弊しているように見えた。
「こんな愚痴、職場じゃ言えませんよ……ここが私の心の安息地です。皆さんに聞いてもらうだけで、本当に救われます」
「兄さん、頑張りすぎなんだよ。そういうところが優しいんだけどさ」
「優しくても辛いことは多いです。もっと強く言えればいいんですけど、そうもいかなくて」
「だったら、俺が行ってガツンと言ってやりたいよ」
「もう、お願いです! 皆さん、私の職場に来て、部下たちを矯正してください!」
麗人の懇願に、常連客たちからは肯定の声と冗談交じりの同意が飛んだ。店の空気は一気に和み、笑いと共感が混じり合う賑やかな時間になっていく。
その場の盛り上がりに乗せられて、私もつい熱を込めて自分のあるあるを語り始めた。話題は次々に広がり、星見亭の深夜はいつの間にか、愚痴を分かち合う小さな慰めの場となっていった。
「お待たせしました。カレーライスです」
「あぁ、待っていました。あちらでは、こんな刺激的な食べ物はありませんから……これを食べる日をどれだけ楽しみにしていたか分かりません」
出来立てのカレーを差し出すと、麗人は眉を寄せて目を潤ませ、ありがたげに手を合わせた。まるで神事のように丁寧な所作に、思わず笑いそうになる。
「んんっ……! この味、この辛さ……星見亭のカレーは、本当に格別ですね」
「ありがとうございます」
一口ごとに顔がほころび、次第に笑顔が溢れていく。スプーンが皿に触れる音も、器に当たる湯気も、全部が幸せの演出に思えた。麗人のその幸せそうな様子を見ているだけで、こちらの胸にも満ち足りた気持ちが広がる。
慣れ親しんだ人々と語らい、素朴で温かな食事を分かち合う。麗人にとって、ここはかけがえのない安らぎの場なのだろう。そんな場所を、私が提供できていることを実感して、静かな誇りと嬉しさが込み上げた。
麗人がカレーを食べ、水を飲み干した時、メルがポットを持って近寄ってきた。
「あの、水のお代わりいりますか?」
「あぁ、もちろんです。では、お願いしましょう」
そう言って、メルを抱き上げて膝の上に乗せた。メルは少し慌てたようだけど、すぐに気を取り直してコップに水を淹れる。
「星見亭にも従業員が出来たんですね。とてもいいことです。しかも、こんなに小さくて可愛い子が……。小さい頃のアカネを思い出します」
やっぱり、この人は私の小さい頃を知っている。
「もしかして、その頃はお兄さんも小さかったんですか?」
「いいえ、その頃と今の姿は変わりません」
「えっ……じゃあ、何十年も姿が変わってないんですか?」
「えぇ、まぁ、特別な存在なので」
少し照れくさそうにそう言った。異世界の人って凄い……。何十年も姿が変わらない人がいるだなんて。いや、この人の場合人を超越しているようにも見える。
「アカネがまたこの世界に来てくれて嬉しいです。ということは、アリアとは仲直りしたんですか?」
その名前に鼓動が鳴った。その名前――聞いたことがある。




