38.深夜営業(1)
「よし、これでいいかな」
扉に新しい鈴を付け替え、指先で軽く鳴らしてみる。澄んだ高音が店内に広がり、以前よりも明るく、耳に心地よい響きが返ってきた。どこか胸の奥まで透き通るようで、その音を聞いていると自然と元気が湧いてくる。
「鈴の音、良い感じですね」
「うん。これならお客さんもきっと気に入ってくれると思う」
「……ただ、いきなり呪いが復活したりしなければな」
「ちょ、やだ! ハイド、そういうこと言わないでよ!」
元は呪いを帯びていた鈴。けれど、ヴァルヘルムの神域に触れたことで穢れは浄化され、代わりに不思議な力を宿すようになった。もう二度と、あの暗い力に戻ることはない……そう信じたい。
「さぁ、今日も開店だよ。二人とも、よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
「客の応対は任せておけ」
気持ちを新たに、私は二人に声をかける。軽やかな鈴の音が、今日の星見亭の一日を明るく告げていた。
◇
星見亭が開店すると、ほどなくしてお客さんたちが店に入ってきた。扉をくぐるたびに新しい鈴が軽やかに鳴り、その音色にみんなすぐ気づいたらしい。
「おや、鈴が変わったのか?」
「いい音だなぁ」
「どうして変えたんだ?」
そう声をかけられて、私は昨日あった出来事を簡単に話した。お客さんは「またか……」と言いたげな顔をして、すぐに事情を理解してくれた。どうやらおばあちゃんの遺品やヴァルヘルムの存在については皆それとなく知っていたようだ。
けれど、実際に遺品に触れる機会はなかったのだろう。みんな興味深そうに鈴を眺め、耳を傾けていた。
やがて、鈴の響きがもたらす効果を一人、また一人と実感し始める。
「……おぉ、なんだか疲れがすっと消えていくようだ」
「ほんとだ、身体が軽くなるな! 元気が戻ってくるみたいだ」
「こりゃ、ますます星見亭に通うことになりそうだな!」
お客さんたちの顔に自然と笑みが広がっていくのを見て、私は胸をなで下ろした。飾り付けた甲斐があった、と心から思えた。
もちろん効果はお客さんだけにとどまらない。一日中店にいる私たちこそ、一番の恩恵を受けているのだ。
鈴が鳴るたびに心身の疲れがすっと抜け落ち、代わりに新しい力が満ちていく。まるで疲れ知らずの身体になったようで、気持ちまで軽くなる。ふと目を向ければ、ハイドもメルもいつも以上に表情が明るく、笑顔が柔らかく見えた。
新しい鈴は、星見亭に小さな奇跡をもたらしてくれている。それが、みんなに広がって本当に良かった。
この鈴のお陰で今日の深夜営業まで疲れ知らずで働けそうだ。
◇
「ごちそうさまでした!」
「今日も最高だった!」
「はい、お粗末さまでした」
元気いっぱいのメルとハイドの声が食卓に響く。三人で囲んだ夕食は今日も美味しく、これからの活力をくれるようなひとときだった。
私は食器を魔法できれいに洗い上げ、棚へと戻す。そしてエプロンの紐をきゅっと結び直し、気持ちを切り替えた。
「さて……今日は初めての深夜営業ね。二人とも、準備はできてる?」
「もちろん。鈴のおかげで疲れも残ってないし、朝までだって働けるぞ」
「私も元気いっぱいです! まだまだ頑張れますよ!」
「ふふっ、心強いわね。それじゃあ――開店しましょうか」
二人の頼もしい笑顔に、私も安心してうなずく。きっと深夜営業も問題なくやっていけるだろう。
私は看板を掛け替えるために扉の外へ出た。すると、すでに何人かのお客さんが入口の前で待ってくれていた。
「お待たせしました。深夜の星見亭、ただいま開店です」
そう告げると、並んでいたお客さんたちはぱっと顔を輝かせ、小さな拍手を送ってくれる。その温かな反応に少し照れながらも、私は笑顔で店内へと案内した。
「やぁ、ハイド。懐かしい顔だな」
「よぉ、おっさん。また来てくれたか」
「数か月ぶりの星見亭よ。楽しみにしてたの」
「それは嬉しいな。ゆっくりしていってくれ」
「やっぱり、ここのコーヒーじゃないと駄目だな」
「へへっ、そう言ってもらえると張り合いが出るぜ」
店に入ってきた常連客たちは、まずハイドの姿を見つけて気さくに声をかけていく。ハイドも懐かしい顔ぶれに尻尾を揺らし、嬉しそうに応えていた。
やがてお客さんたちがそれぞれ馴染みの席に落ち着くと、メルがお水を配って回る。その健気な姿に、お客さんたちはどこか驚いたように、けれど温かい目を向けてくれた。
すると今度は、私の方へと会話が向かう。
「ここも、とうとう従業員を置くようになったんだな。チコさんは最後まで雇わなかったのに……。本当に良かった」
「新しい仲間と一緒に頑張ります。どうぞよろしくお願いしますね」
「ふふっ、仕事帰りにこんな可愛い子に会えるなんて嬉しいわ。いっそ毎日、深夜営業をしてくれないかしら?」
「ふふ、それは無理です。でも……週に一度は必ず開けますから、ぜひそのときに会いに来てください」
「仕方ないな。……いや、これは通うしかないな」
そんなやり取りに、自然と笑いがこぼれる。店内には穏やかな空気が満ち、慌ただしさとは無縁の、優しい時間が流れていた。
会話を楽しみながらコーヒーを淹れ、料理を整えていく。やっていることはいつもと同じはずなのに、深夜の営業はなぜだか落ち着いていて、心が澄み渡るような気がした。
そんな穏やかな時間が流れていた時、ふと誰かがポツリと呟いた。
「……そろそろ、あのお方が現れる頃じゃないか?」
その一言に、他の常連客たちが顔を見合わせ、懐かしそうに頷く。
「もうすぐ九時ね。……来るわよ」
「久々に会えると思うと胸が躍るな」
常連客たちが口にする「あのお方」。一体、誰のことを言っているのだろう?
私もメルも、不思議そうに首をかしげていると、店内の時計が九時を告げる鐘の音を響かせた。
その瞬間だった。
チリン……と鈴が鳴り、ゆっくりと扉が開く。
そこから、まばゆい光が溢れ出し、深夜の店内を昼のように明るく染め上げた。光は柔らかでありながらも、どこか畏怖すら抱かせる神々しさを帯びている。
やがて、白銀の靄をまとったような輝きの中から、ひとりの人影が姿を現した。
純白の衣を身にまとい、長く流れる翠の髪は風もないのに微かに揺れている。その頭には、枝と葉と花で編まれた冠が飾られ、淡い光の粒子が花弁から零れ落ちていた。
その姿はまるで、異世界の神殿から舞い降りた精霊王か女神のようで――私の目は自然と奪われ、息を呑んでしまう。
現れた人物はゆっくりとこちらを振り返り、柔らかに微笑んだ。
「こんばんは。お久しぶりですね、アカネ」
……どうして、この人が私の名を知っているの?




