34.看板娘メル、誕生!(2)
「二人とも、お疲れさま」
朝の忙しい時間がひと段落し、私は労いの言葉をかけた。すると、カウンターの上で悠々と座っていたハイドが、しっぽをゆらゆら揺らしながら、トントンと前足でカウンターを叩く。
「だったら、早く食事だ。メルもお腹が空いただろう?」
その言葉に、近くの椅子で休んでいたメルが恥ずかしそうにお腹を押さえる。
「……はい。いっぱい動いたので、お腹が減りました」
小さく切ない声に、私まで胸がくすぐったくなる。確かに、今はお客さんが引いて一息つける休憩時間。ここで食事を取らなければ、次に備えられない。
私は慣れた手つきでミックスサンドを用意し、デザートには甘いチョコパンを添える。仕上げにコップへ飲み物を注ぎ、それぞれのお皿をきれいに並べれば、私たちの朝食が完成だ。
「はい、二人とも。お待たせ」
皿を差し出すと、ハイドとメルの瞳が同時にきらりと輝いた。まるで宝物でも見つけたかのように、二人は目の前の料理を見つめていた。
「「「いただきます!」」」
元気いっぱいのメルの声に続いて、ハイドもお行儀よく前足を揃えて頭を下げる。白い耳がぴんと立ち、しっぽがゆったりと揺れた。二人そろっての挨拶は、何度見ても微笑ましくて胸が温かくなる。
最初にミックスサンドへ手を伸ばしたのはメルだった。両手で大事そうにサンドを持ち、はむっと小さくかじる。もふもふの白い耳が嬉しそうにぴくぴく動き、しっぽもぱたんぱたんとリズムを刻んでいる。
「んんっ……! おいしい……!」
頬をほんのり染めて、メルは幸せそうに目を細めた。パンの柔らかさと具材の旨みを噛みしめるたびに、その表情はさらにとろけていく。見ているこちらまで幸せになるような笑顔だ。
一方のハイドは、白い毛並みを揺らしながらサンドに顔を寄せる。前足で器用に押さえ、ぱくりと一口。ふわりと目を細め、喉の奥で小さく「ゴロゴロ」と音を鳴らす。
「ふむ、悪くない……いや、かなり旨いな」
偉そうに言いながらも、しっぽは正直で、嬉しさを隠せずにゆらゆらと左右に揺れている。
並んでサンドを頬張る二人は、どこかよく似ていた。雪のように白い毛並みと耳、もふもふの尻尾。まるで兄妹のようにそっくりで、そして同じくらい幸せそうに食べている。
その尊い光景を眺めながら、私は心の奥がじんわり温められていくのを感じていた。そして、同じように食べると、充足感に包まれる。
三人で「おいしいね」と笑い合いながら食べる時間は、それだけで尊く、心をほぐす癒しのひとときだった。やがて、皿の上のミックスサンドがすっかりなくなると、次に視線が向かうのはデザートのチョコパン。
メルはそっとそれを両手で持ち上げる。パンの内側には艶やかなチョコがとろりと染み込んでいる。恐る恐るかじった瞬間――。
「……っ! あ、甘くて……! でもふわふわで……!」
目を丸くして、次の言葉が見つからない様子で小刻みに耳がぴこぴこと動く。口の端にはほんの少しだけチョコがついて、それに気づかないまま、夢中で頬張る姿はとても可愛らしい。
一方、ハイドはというと、パンをかじった瞬間に白いしっぽをぶんっと跳ね上げた。
「んー! やっぱり、この甘さは堪らないな!」」
次の瞬間、彼はカウンターの上でごろりと転がり、白いお腹を見せながらゴロゴロと喉を鳴らす。前足をぱたぱたさせたり、背中をぐにぐに捩じらせたり、まるで喜びが体から溢れ出して制御できないとでもいうようなはしゃぎっぷりだ。
「ははっ……! ハイド、すごい顔になってるよ」
その無邪気すぎる姿に、私は思わず吹き出してしまった。メルも口いっぱいにパンを頬張りながら笑い、店の中には幸せな笑い声が広がっていった。
三人だけの小さな食卓。けれど、この何気ないひとときが、何よりも尊くて愛おしかった。
◇
にぎやかな店内に、また扉の開く音が重なった。
「いらっしゃいませ! 星見亭へようこそ!」
すぐさま元気いっぱいの声が響き渡る。満面の笑みを浮かべた少女が駆け寄り、丁寧にお辞儀をした。
「あちらのお席が空いておりますので、どうぞお掛けください」
にこやかな笑顔のまま、首を小さく傾けて案内する。その仕草を見たお客さんは、思わず感極まったように口元を押さえた。
「えっ、可愛い!」
「昨日まではいなかったよね!?」
「ねぇ、マスター! どういうことなの!」
興奮気味にこちらへ問いかけてくる。
「今日から星見亭でお手伝いすることになった、メルです。どうぞ、よろしくお願いします」
軽く会釈するメルの言葉に、お客さんたちは「なるほど」と深く頷きながら、名残惜しそうに彼女を見つめつつ席へ向かっていった。
店内を見回せば、誰もが頬を緩め、幸せそうにメルの姿を目で追っている。突然現れた愛らしい看板娘に、すっかり心を奪われてしまったのだ。
もともと和やかだった空気は、メルの明るい声が響くたびにさらに柔らかく、活気に満ちていくのだった。
メルは小さな手でトレーを持ち上げた。上には水の入ったコップがいくつも並んでいて、見ているこちらが不安になる。
「よ、よいしょ……」
慎重に歩き出すメル。その姿を、お客さんたちは思わず固唾を呑んで見守った。
「だ、大丈夫かな……」
「こぼれそう……!」
「がんばれ、がんばれ!」
店内の視線が一斉にメルに注がれる。ほんの数歩進むごとに、テーブル席のお客さんから小さな声援が漏れる。
メルは真剣な顔で足元を確認しながら、少しずつお客さんの席へと近づいていく。そして——ついに、無事にテーブルの上へとコップを置くことができた。
「はい、お水です!」
にっこりと笑顔を見せた瞬間、客席から小さな拍手が起こった。
「すごいねぇ、上手に運べたね!」
「いやぁ、ハラハラしたけど、完璧だったよ!」
「こんな可愛い子に水を持ってきてもらえるなんて、贅沢だなぁ」
メルは少し照れくさそうにしながらも、「ありがとうございますっ!」と元気に頭を下げた。その愛らしい姿に、店内の空気はますます和やかに、明るく満ちていった。
メルがいるだけで、こんなにもお店の雰囲気が変わるなんて――正直、驚きだった。
小さな身体で一生懸命に動く姿を見ていると、不思議と胸が熱くなり、自然とこちらまでやる気が湧いてくる。もっと丁寧に、もっと心を込めてサービスをしたい。そんな気持ちが自然に満ちていくのだ。
そして、メルが笑えばお客さんも笑い、メルが元気に声をかければ、店中の空気が一段と明るくなる。ほんの小さな行動が、こんなにも大きな力を持っているのかと気づかされる。
気がつけば、お客さん同士の会話まで柔らかく弾み、笑い声があちこちから聞こえていた。料理の味も、飲み物の香りも、きっといつも以上に美味しく感じられているに違いない。
メルが来てくれたおかげで、星見亭には幸せがいっぱい生まれている。そのことを実感しながら、私は胸の奥でそっと思った。
「……本当に、幸せだな」
店内に広がる温かな空気に包まれながら、心からそう感じたのだった。




