31.新しい従業員
「じゃあ、まずは……親御さんに挨拶をしないとね。どこにいらっしゃるのかな?」
なるべく柔らかい声で尋ねると、幼女はびくりと肩を揺らし、ぱたりと表情を曇らせて俯いてしまった。
「……いないんです」
「え……?」
思わず声が漏れる。その言葉に戸惑う心を落ち着かせて、もう一度聞く。
「じゃあ、他の大人の人とかは? 親戚とか、世話をしてくれる人とか……」
問いかけるたびに、幼女はかすかに唇を噛み、しぼり出すように言った。
「……いません」
胸の奥がざわつく。親も保護してくれる大人もいないなんて。そんな状況が本当にあるの?
戸惑っていると、幼女は服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で打ち明けてくれた。
「私……商人の下女をしていたんですが。『新しい人を雇ったから、もういらない』って……そう言われて、この町に捨てられたんです」
「そ、そんな……! 人を物みたいに……そんなことって、あっていいの?」
幼女はうつむいたまま、微かに首を振った。
「……でも、現にこうして。だから……頼れる人もおらず、行く場所がどこにもないんです」
信じがたい。けれど、その小さな肩の震えが、彼女の言葉が真実だと訴えていた。
新しい雇い手が見つかったからと、子どもを平気で捨てるなんて。怒りと悲しさが胸の奥で渦を巻く。
この子は、本当に一人なんだ。そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと痛み、いても立ってもいられなくなる。
「……分かった」
私は大きく頷き、胸を叩いた。
「後のことは私に任せて。あなたの面倒は、私が見るから」
幼女の瞳がぱっと大きく開かれ、涙をこらえるように震える。
「……ほんとうに?」
「もちろん」
力強く返すと、少女の顔に初めて安堵の笑みが浮かんだ。
「……ありがとうございます!」
小さな声が、けれど確かな希望を込めて響いた。その笑顔を見た瞬間、私は心の底から、この子を絶対に一人にさせないと誓った。
「じゃあ、着いてきて。私のお店を紹介するわ」
「はい! あの……なんとお呼びすればいいでしょうか?」
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。私はアカネ。それから、この猫はハイドよ」
「猫じゃない! 高等な精霊のケットシーだ!」
と、ハイドがむっとした顔で尻尾を膨らませる。
思わず笑いながら軽く自己紹介を済ませると、少女は姿勢を正し、両手を揃えて丁寧に頭を下げた。
「私はメルと申します。……アカネ様、これからよろしくお願いします」
「アカネ様……?」
私は目を瞬かせて首を振る。
「そんな、わざわざ様をつけるような大した人間じゃないわよ。気軽に呼び捨てでいいの」
「えっ……で、でも……!」
「いいから、いいから。私のことはアカネで。分かった?」
まだ迷いを浮かべるメルの背を、そっと押してやる。
「さ、行きましょ。必要な物を買ってから店に戻って、歓迎会といこうじゃない」
「えっと……はいっ!」
メルの返事はまだ少しぎこちなかったけれど、そこには確かな明るさが宿っていた。
◇
「あの……どうでしょうか?」
淡いピンク色のワンピースに、フリルの付いた真っ白なエプロン。メルはぎこちなく裾をつまみ、くるりと一回転して全身を見せてくれた。
「うん、とても似合ってるわ。ほんとに可愛い」
「他の色も良かったし、毎日どんな服を着るのか楽しみになってきたな」
にこやかに言うと、横からハイドが大きく頷く。
「俺はラベンダー色のやつも気に入ったぞ! 明日はぜひそっちを着てくれ」
そんな風に褒めちぎるものだから、メルは顔を赤くして俯き、もじもじと指先をいじっている。
「あ、あの……その……こんなに沢山のお洋服を買っていただいて……ありがとうございます。あの、お金は……必ず返します!」
「これは従業員として必要な備品。だから雇い主が支払うのが当然で、あなたが気にすることじゃないの」
そういうと、メルは戸惑ったようにオロオロしだした。
「えっ、で、でも……他にも色々と買っていただいて……」
「それも必要経費だ。気にするな」
「……っ! あ、ありがとうございます!」
目に涙を溜めながら頭を下げるメル。捨てられた時、彼女は文字通り身ひとつしか持っていなかった。だから、生活に必要なものは全部買い揃えるしかなかったのだ。
「さ、じゃあ次は買ってきた物を整理しようか」
「わぁ……こんなにいっぱい」
テーブルの上には、新しい靴、下着や寝間着、リボンや髪留めなどの小物、そして実用品の石鹸やタオル、歯磨きなどが並んでいる。
「これが寝間着。夜はこれを着てゆっくり眠るのよ」
「はい……!」
「このリボンは髪を結ぶ時に使うんだ。白い髪だから、どんな色でも似合いそうだな」
「そ、そんな……」
「おぉ、この靴、歩きやすそうだな。これなら店の仕事でも外出でも安心だ」
ひとつひとつ手に取りながら説明していくと、メルの表情が徐々にほころんでいく。最初の遠慮がちで不安げな顔つきは消え、子どもらしい輝きが戻ってきた。
「本当に……夢みたいです。私、自分のものをこんなに持ったのは初めてで……」
小さな声に、私はそっと微笑んだ。
「これからは夢じゃなくて現実よ。ここでの生活に必要なものは、ちゃんと全部揃えるから安心して」
その言葉に、メルはこくんと強く頷いた。そして、強い眼差しを向けてきた。
「私……一生懸命働きます! だから、これからよろしくお願いします!」
メルは小さな体を折り曲げるようにして、頭を深々と下げた。
まだ幼い少女のはずなのに、その仕草には妙な必死さがにじんでいる。きっと、今までどれほど厳しい環境に身を置いてきたのか、その背中が物語っていた。
本当なら、少しくらい大人に甘えてもいい年頃なのに。けれど彼女には、それを許される余裕すらなかったのだろう。
だからこそ、私は心に決める。焦らず、ゆっくりでいい。少しずつ甘やかして、年相応の可愛らしさを取り戻させてあげたい。
「……うん。こちらこそ、これからよろしくね」
柔らかく微笑みかけると、メルは顔を上げ、はにかんだような笑みを返してくれた。その笑顔が、小さな宝物のように胸に灯った。




