30.狐獣人の幼女
「じゃあ、アカネ。私は仕事に行ってくるニャ!」
「うん、頑張ってきてね」
「頑張れよー」
チャルカは元気いっぱいに手を振りながら、通りを駆け抜けていった。その姿はあっという間に人ごみに紛れて、見えなくなる。
「じゃあ、私たちはこのまま町を散策しようか」
「そうだな。道に迷ったら、俺が魔法で案内してやるからな」
「はい、頼りにしてます」
腕の中でハイドが自信満々に胸を叩く。その頼もしさに思わず笑みがこぼれ、心強い道案内人に安心感が膨らんでいく。私はハイドを抱きかかえたまま、賑やかな通りを進んでいった。
道の両脇には、色とりどりの屋台が並んでいる。香ばしい肉を炙る匂い、甘い果実を煮詰めた砂糖菓子の匂いが混ざり合い、歩くだけでお腹が鳴りそうになる。焼き立てのパンを山積みにしている屋台もあれば、揚げ物を油から引き上げて湯気を立たせている屋台もあった。
さらに進むと、食べ物だけでなく雑貨や食材を並べた店も見えてくる。カラフルな布地を広げている店、磨き上げられた果物を籠いっぱいに積んでいる店、旅人用の革袋や調味料を売る店。声を張り上げる店主たちの呼び込みで、通りはますます賑やかだ。
「へぇ、こんなものまで露店で売ってるんだ」
「色んな物があって面白いぞ! ちょっと見て行こう」
「うん、賛成」
私たちは人波に流されるように、ひとつひとつの店を覗き込んでいった。
「見て見て、これすごく綺麗!」
露店の一つに、手のひらほどの大きさのガラス細工が並んでいた。光を受けてきらきらと輝き、まるで宝石みたいだ。
「おぉ、凄いな。けど、落としたら一瞬で粉々になりそうだな」
ハイドがじっと見つめ、尻尾を小さく動かす。そのちょっと怖がっている仕草が妙に子猫っぽくて、思わず頬が緩んでしまった。
さらに先に進むと、布を広げた店に出る。
「これ、肩掛けかな? 刺繍がすごく丁寧……」
色鮮やかな模様が織り込まれた布を広げると、店主が誇らしげに説明をしてくれた。どうやら遠くの国から運ばれてきたものらしい。
「アカネの店の装飾に使ったらどうだ?」
「いいかもね。でも、今は見るだけで我慢かな」
その次に目を引いたのは、香辛料を量り売りしている店だった。小瓶に詰められた赤や黄色の粉がずらりと並び、鼻を近づけると、ピリリと刺激的な香りが漂ってくる。
「うわ、すっごい匂い! これ料理に使ったら絶対おいしいよね」
「……ちょっと辛そうだぞ。俺は甘い方がいいな」
「ふふ、じゃあハイド用には蜂蜜を探さなきゃ」
そう言いながら歩いていくと、目の前に、店主へ熱心に話しかけている小さな獣耳の子がいた。その真剣な声に、思わず足を止める。
「お願いします! なんでもしますから、働かせてください!」
「んー……悪いけど、人手は足りてるんだ。だからお嬢ちゃんを雇うわけにはいかないね」
「……そうですか。すみません、ありがとうございました」
白い毛で覆われた大きな耳がしゅんと垂れ下がり、ふわふわの尻尾も力なく揺れる。深々と白い髪色の頭を下げてから店を離れると、彼女は小さな拳をぎゅっと握りしめ、無理やり笑顔を浮かべて次の店へ駆けていった。
「こんにちは! 働き手は必要ありませんか? 私、なんでもします!」
元気に飛び込んでいくものの、やはり首を横に振られてしまう。小さな肩が落ちて、耳も尻尾もまたしょんぼりと垂れた。それでも諦めきれず、彼女は顔を左右に大きく振ると、ぎこちない笑みを張り付け、また別の店に突撃していく。
「……あの子、あんなに小さいのに必死なんだね」
「アカネには珍しく見えるかもしれんが、この世界じゃ子供が働くのは普通のことだ。けど……あそこまで一生懸命なのは、そう多くはない」
「そうなんだ……」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。あんなに健気に頑張っているのに、誰からも受け入れてもらえない。その小さな背中が、やけに寂しそうに見えた。
気づけば私は幼女の行く先を目で追いかけていた。断られるたびにしょんぼりし、それでも必死に顔を上げて前に進もうとする姿が、どうしても放っておけない。
「……ねぇ、ハイド」
「なんだ?」
「あの子、私が雇うよ」
自分でも驚くほど、迷いのない声だった。
「えっ、アカネが?」
「うん。うちの店は、まだ人手が欲しいって思ってたところだし……。何より、あんなに頑張ってる子を見てたら、放っておけないよ」
幼女がまた次の店に飛び込んでいく。その小さな背中を見つめながら、私は静かに決意を固めていた。
その様子を、ハイドが真剣な眼差しで見つめていた。やがて小さく息を吐くと、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「いいんじゃないか? あの子は働き者に見えるし、何より……あの笑顔だ。きっと客からも好かれる、立派な看板娘になるぞ」
「うん、私もそう思う」
心強い言葉に背中を押され、決意は固まった。もう迷う理由はない。私は落ち込んで立ち尽くす幼女のもとへ歩み寄った。
「あの、ちょっといいかな?」
呼びかけると、ぴくりと小さな耳が動き、幼女が顔を上げる。その表情を見た瞬間、胸が締め付けられた。必死に笑顔を作ろうとしながらも、瞳は潤んでいて、今にも涙がこぼれそうに揺れている。
「な、なんでしょうか……」
小さな声は震えていて、弱々しかった。私は思わず膝を折り、目線を合わせる。
「……大丈夫? 辛くない?」
気づけば自然と、心配そうな声が口をついて出ていた。無理に笑っているその幼い顔が、どうしようもなく痛々しく思えてならなかった。
「ご、ごめんなさいっ。ご迷惑、でしたか?」
「ううん、全然そんな事ないよ。そんなことよりも、あなたに良い話があるの」
「……良い、話……ですか?」
幼女の耳がかすかに動き、涙で潤んだ瞳が、わずかな期待を含んでこちらを見つめてきた。私はその子の手を握ると、出来るだけ優しい笑顔を向けた。
「私の喫茶店で働かない?」
そっと差し伸べるように言葉を掛けた瞬間、幼女の大きな瞳から涙が一粒、ぽろりと頬を伝った。目を大きく見開き、信じられないものを見るようにこちらを凝視する。
「ほ、本当……ですか?」
か細い声は震えていた。私は微笑み、ゆっくりと頷く。
「うん。本当に。私は、ぜひあなたに働いてほしいの。……ダメ、かな?」
不安を和らげるように、柔らかく問いかける。
「ぜ、全然! 全然ダメじゃないです!」
幼女は涙を拭うのも忘れて、勢いよく首を振った。
「むしろ……私の方こそ、お願いしたいくらいで……!」
その必死な声に、私も自然と頬が緩む。
「ふふっ……。じゃあ、決まりでいい?」
問いかけると、幼女は小さな体を弾ませるように首を上下に振った。何度も、何度も。
さっきまで曇っていた顔はもうどこにもなく、そこにあるのは――幼さをそのまま輝かせた、心からの笑顔だった。




