24.夕方の営業(3)
「えっ……。でも、それじゃあ……マスターが辛くなるんじゃ……」
私の言葉に、少年は戸惑いを見せた。自分の話が私を悲しませてしまうかもしれない――そう思ったのだろう。
けれど、そんなことはなかった。むしろ私は、異世界で暮らしていたおばあちゃんの姿をもっと知りたくなったのだ。
こんなに慕われているおばあちゃんは、どんな毎日を過ごしていたのだろう? そう思うと胸が高鳴る。
「私は異世界でのおばあちゃんを知りません。だから、ぜひ教えてください」
そう微笑むと、少年は袖で涙を拭き、ゆっくりと顔を上げた。
「……おばあちゃんは、とても優しい人でした。いつも気にかけてくれて、料理もすごく美味しかったんです。大きくなったら、おばあちゃんの淹れたコーヒーを飲んでみたかったな……」
そう語る表情は、次第に凛々しく、生き生きとしたものへと変わっていく。悲しみを超えて、思い出を語る喜びが顔に宿っていた。
「僕、お店の前で入るか迷っていたことがあって……。そしたら、おばあちゃんが扉を開けて声を掛けてくれたんです。そのおかげで緊張が解けて、星見亭に入れました」
「そうだったんですね。おばあちゃんが招いてくれたのが、君と星見亭の始まりなんですね」
「はい。大人ばかりで、子供の僕が入ってもいいのかなって不安だったんです。でも、入ったらチコさんもお客さんもみんな歓迎してくれて……すごく嬉しかったんです」
懐かしむように語る少年の言葉からは、おばあちゃんらしい温もりがにじみ出ていた。聞いているだけで、私の胸まで温かくなる。
「初めて見るメニューばかりで驚いたんです。どんな料理が出てくるのかワクワクして……。そして食べてみたら、想像以上に美味しくて、また驚かされました」
「初めての味は衝撃ですよね。……おばあちゃん、嬉しそうにしていましたか?」
「はい! とても嬉しそうでした! その笑顔を見て、僕も安心したんです。それで、『またここに来たい』って心から思いました」
おばあちゃんの笑顔には、人の心を溶かす力があったのだろう。少年の心をこんなにも温めるなんて、本当に特別な人だ。
「それからは、ずっと通うようになりました。どんなときもおばあちゃんは優しく迎えてくれて、お客さんたちも声を掛けてくれて……。ここが僕の居場所になったんです。えっと、それから……ふふっ」
「何か楽しいことを思い出しました?」
「楽しいというより……おばあちゃんがすごくカッコよかった出来事があるんです」
「へぇ、それはぜひ聞きたいです」
勿体ぶるように言った後、少年は目を輝かせて話し始めた。
「僕が外を歩いていたとき、怖いお兄さんたちに囲まれちゃったことがあって……。すごく怖かったんです。そしたら――」
「あっ、分かります! おばあちゃんが助けに来てくれたんですね」
「もう! それ、僕が言おうと思ってたのに!」
思わず口を挟むと、少年は悔しそうに声を上げた。けれどその顔は、むしろ嬉しそうで。悲しみはすっかり和らぎ、そこにあるのは温かな思い出を分かち合う喜びだった。
「……それで、おばあちゃんが来てくれて、ものすごい顔で怒ったんです。今まで見たことがないくらい真剣な顔で、びっくりしました」
「その時のおばあちゃんは……怖かったですか?」
「ううん、全然。むしろ安心しました。それで、お兄さんたちを魔法で追い払ってくれて……。あの時のおばあちゃん、本当にカッコよかったんです」
思い出を語る少年の表情は、さっきまで涙を浮かべていたとは思えないほど幸せそうだった。
その顔を見ているだけで、私の胸まで温かくなっていく。
「素敵なお話を聞かせてくれて、ありがとうございます。おばあちゃんとの思い出、とても楽しかったです」
「……マスターは、悲しくならないんですか?」
「いいえ。全然悲しくなんてありません。むしろ、もっともっと聞きたいくらいです。だから、君も……そして皆さんも、どうか遠慮しないでください。おばあちゃんの話を、どんどん思い出してあげてください」
こんなにも大切に思われているなんて――それは、とても幸せなことだ。
もし思い出話を避けてしまえば、それこそおばあちゃんが寂しがってしまう。だったら、ここで語られるひとつひとつを宝物にして、笑顔で盛り上がる方がきっといい。
私の言葉に、お客さんたちは最初こそ驚いた顔をしていた。けれど、私が本当に平気な様子を見て、少しずつ肩の力を抜いていく。
「……俺にもあるぞ。チコさんに助けられた話、聞いてもらいたい」
「私も。素敵な思い出も……ちょっと恥ずかしい思い出もね」
「一つひとつが宝物みたいな記憶だ。絶対に忘れたくない」
口々に漏らされる言葉は、どれもおばあちゃんを大切に思う気持ちに満ちていた。だったら、その思いを心にしまい込むのではなく、もっとたくさん聞かせてもらいたい。
「今度、みなさんのお話もぜひ聞かせてください。きっと私にとっても、大切な思い出になりますから」
そう微笑むと、お客さんたちの顔がぱっと明るくなった。
「おう、そう言ってもらえるなら、いつでも話すぜ!」
「ふふ、懐かしいことを思い出すのも、悪くないわね」
「じゃあ今度は、みんなで昔話に花を咲かせようか」
そのやり取りに、自然と笑い声が生まれる。少年も涙を拭いながら笑顔を浮かべていて、見ているこちらまで胸が温かくなった。
星見亭に、再び息が吹き込まれたようだった。
おばあちゃんの思い出と共に、みんなの笑顔がこの店を満たしていく。まるで、ランプの光がひときわ柔らかくなったように、店内は温かな空気で包まれていた。




