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6:物言わぬ躯は手紙の姿をしている

「亮へ

 この手紙を読んでいるってことは、きっと僕はもうこの世にはいないのでしょう。

 なんてありきたりな始まりで書いているけど、いないことは確定事項としたい。僕は明日、自ら命を絶つと決めたから。

 万が一にも生き延びたとして、生き続ける事だけは絶対に選ばない。僕は、僕の生を手放すと決めたから。


 なんでこんなことをしたんだって、君は思うんだろうね。

 理由を言えって言われたら、なんとなく、としか言えないかな。

 変な話だろ? なんとなくで手放せるほど僕は自分の命を軽んじてる。


 物心ついた頃からずっとそうだった。君と別れた後にはもう、手遅れだった。

 優しい両親、親切な友人達、恵まれた環境。生きていく上で大事なものは全部揃っている。

 それでも僕は苦しかった。生きることそのものがしんどくてたまらなかった。


 優しい両親の期待に応えること。

 親切な友人達にいい顔をし続けること。

 恵まれた環境で生き続けること。


 全部、全部、捨てて逃げてしまいたかったんだ」


「この両手から何もかもを手放して、僕という存在すら消してしまえれば、きっと楽になれると思ってた。

 だけど、その為に一人になることだけはどうしてもできなくて。

 息苦しさに喉を締め付けられながら生きるしかない人生に、自分の弱さに落胆した。


 唯一その状況から解放されるのは、君と一緒にいる時だけ。


 君が笑って僕の手を引いて前を歩いてくれる。その道は苦しく感じるものが何もなくて、周りの視線も気にならない。

 君の言葉が、君の声が、君の存在そのものが、僕にとっては救いであり、生きる理由でもあったんだ。


 あの日、君が逃げたいと言った時。僕は心底喜んだ。

 同じように君も逃げたいと思うのだと、その連れ合いに僕を選んでくれるんだと、僕は君の傍にいていいんだと。

 全部捨ててしまいたい僕が、唯一捨てられなかった君が、最後まで傍に居てくれるんだって、そう思って――僕は気付いた。


 これは「逃げ」ではなく、ただの「依存」だと。


 一人で生きることができないから、傍にいてくれる君を理由に僕は生きようとしていただけなんだって気付いてしまったんだ。

 その事実に対する吐き気がするほどの絶望と、君と逃げるという選択肢への嫌悪に僕はあの時、上手く笑えなかった。

 形だけ取り繕って、笑っている風には見せられたと思う。実際君は気付いてなかっただろうしね」


「昔からそういうのは得意なんだよ。両親や友人、赤の他人に対して本心を見せないようにすることがね。

 亮に対してだけは最初からそれをしてこなかったから、余計に気付かなかったのかな?

 そもそもする必要もないくらい、君の事は信じてたんだよ。


 きっとこれからも、生きることが下手くそな僕を生かしてくれるだろうって意味でね。


 少し話が逸れちゃったかな? 元の話題に戻すとしようか。

 君の提案である逃げることを受け入れたのは僕だけど、本当の意味で君が逃げることはないと分かってたよ。

 追い詰められた顔をした亮の「逃げたい」は現実逃避でしかなく、落ち着いてしまえば前を向いて歩いて行けるだろうと知ってたから。

 亮はただ、受け入れる時間が欲しかっただけなんだって。

 実際、あの海の場所で亮は気持ちの整理をつけて逃げることを止めたじゃない?

 僕の予想通りだったよ。内心、少し安心したんだ。


 君は僕がいなくても一人でも生きていけるって、分かったから」


「寂しいと思わないわけではなかったけど、それ以上に喜ばしいことだと思えた自分が、ちょっと誇らしいかな。

 君に依存して生きようとしていた僕が思うには可笑しな話かもしれないね。


 それでもこれは本心なんだよ。


 君に君らしく生きて欲しいと願う気持ちそのものが、僕の嘘偽りのない本心だ。


 亮。あの日僕達が選んだ逃避行は、最後の最後に失敗に終わったのかもしれない。

 でもね、僕は成功だと思ってる。

 逃げた先に得た答えが、君を前に進めさせる大事な一歩に繋がったのなら、それは間違いじゃないんだ。


 逃げたくなったら逃げてもいい。


 逃げ続けた先に望む答えがあるなら、僕はいつだってそれを選ぶ君を支持するよ。

 君の選択に間違いはないって、自信をもって背中を押してあげる。

 君の逃げはね、後ろ向きの逃げじゃない。前向きの逃げだから。

 それだけはどうか、忘れないで」


「僕があの時逃げることを止めたのは、一人になりたくなかったから。

 全部捨てて逃げてしまいたいなんて言っておきながら、いざそれを実行するとなると一人になるのを怖がってできないなんて滑稽もいいところだ。


 分かってたよ。僕は弱いから。

 逃げることなんてできないんだって。


 亮が引っ越して隣から居なくなる。

 繋がりが途絶えるわけじゃない。傍にいないだけ。

 ぽっかり空いた空欄は埋められることはなく、埋められるものでもなく、僕の隣には誰もいない。


 誰もいないから、僕は結局「独り」なんだと悟った。


 どれだけ優しい両親が僕を気にかけても、

 どれだけ親切な友人達が僕に声を掛けても、

 どれだけ恵まれた環境で生き続けていようとも、


 君がいない。それだけが僕にとっての現実で、一人である証明だった。


 だから、逃げることにした。

 僕はどう足掻いても一人になる。

 ひとりになった。


 ――独りに、なれてしまった。


 だから宣言通り逃げることにした。

 君との再会はきっとこんな形なんだろうなと、あの日の別れの際に確信してたからこうして言葉を残すことにしたんだ」


「亮。あの日、僕と一緒に逃げてくれてありがとう。


 一人で逃げることすらできない臆病者の手を離さないでいてくれて、本当に嬉しかった。

 亮が受け入れられなかった転校の理由が僕だったことも凄く、凄く嬉しかった。


 嬉しくて、嬉しくて――とても申し訳なかった。

 申し訳なくて、虚しくなって、死にたくなった。


 亮を此処に繋ぎ留めている理由が僕であっても、亮は僕がいなくとも生きていけると悟ったから。

 僕だけが、亮がいなければ息をすることすら上手くできない不出来な存在で在ることを思い知らされる。

 亮に依存していたから今まで上手くやり過ごせた生活が、今後は地獄のように様変わりするのだろうと思えば怖くて怖くてしかたなかった。

 どうして僕を置いて一人にしてしまうの、と亮に対して恨み言を口にしてしまいそうな自分がいたんだ。


 亮。僕は、君の事を大切に想いながら殺したいほど憎らしく思っていたよ。

 そしてそんなことを想ってしまう自分自身が、心底大嫌いだ。


 大嫌いな独りの僕を、僕は、殺してしまおうと決めた。

 それは僕にとって逃げることでもあった。

 

 だから、僕は明日、この命をあの場所から突き落とすと決めた。

 君が僕に逃げようと誘いをかけた、学校の屋上から。

 学校そのものは違うけど、屋上という場所は同じだからいいよね」

 

「きっと明日は綺麗な青空が広がっているだろうな。

 なんとなく、そんな予感がする。

 逃げるにはいい天気になるよ。

 旅立ちの日に相応しい青色が見れるだろう。


 あぁ、青色といえば、君と二人で見た海の碧。僕はそれも好きなんだ。

 遠く続く地平線の彼方まで途絶えない碧。落ちていく夕日が碧の中に溶け込んで、呑み込まれて、黒く変わっていく光景も好き。

 

 僕の、一等好きな海色。君に贈るよ。


 これはあの海で見つけたシーグラスなんだよ。どれだけの航海を経てあそこに辿り着いたのかは分からないけれど、形が雫のようで一目惚れしちゃったから持って帰ってきたんだ。

 色合いもあの海を切り取ったかのように綺麗な碧だと思わないかい?

 この贈り物を君が受け取った後は自由にしてくれていい。

 捨ててもいいし、壊してもいい。

 なんなら母さんに譲り渡してもいいよ。

 僕が残した最後の遺品だと言って。


 でもできるなら、君に持っていてほしいな。

 僕がちゃんと此処で生きていたという証として。

 君の中から、僕という存在が消えてしまわないように。

 逃げ出してしまう僕が言えたことではないけれど、願えたことではないけれど。


 君が少しでも僕を想ってくれるなら――どうかこれを傍においてほしい。


 亮。僕と出会ってくれて、僕を生かしてくれて、僕と一緒に逃げてくれて、本当にありがとう。


 さようなら、僕の大切な親友」

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