5:はたされた約束の成れの果て
「こんな形で再会するとは思わなかったよ、啓輔」
真っ白な棺の中で眠る啓輔。記憶の中の彼が背を伸ばし、大人びた風貌でそこに居た。
死化粧が施された顔を見つめる。まだ生きているかのように錯覚してしまいそうだ。もう眼を覚まさないなんて嘘だと叫びたくて、縋りついて身体を揺らして――なんて、現実にはそんなことできるはずもなく。
そしてどこかでこうなるだろうとは、予感していた。
あの日、俺と一緒に逃げてくれた啓輔。本当に逃げたかったのは啓輔一人で、俺は逃げる振りをしたかっただけ。
そこからズレていったのだろう。俺達はあれだけ傍にいたのに、何一つ分かってやることもできないまま離れて、そして、それっきり。
連絡を取り合っていても、だんだんと疎遠になっていけばいくほどまた今度と言い訳している自分がいた。
大切だと、離れたくないと思っていた過去は薄れて、今の自分の生活を、未来を見据えた前進に集中して――あの頃から変わらず俺は俺の事しか考えられていないのだと、改めて思い知る。
「なぁ、俺、言ったよな? また会いに行くからそれまで逃げるなって、そう、言ったよな?」
承諾を得たわけじゃない。一方通行な言い分。絶対にまた会おうという言葉にだけ頷き返してたこと、知ってたよ。
それでも、それでも、もう一度会ってくれるのなら、また次があるのならと――そんなどこにもありはしない期待に胡坐を掻いた結果がこれだというのなら、あんまりじゃないか。
屋上から飛び降りたと聞いた。どれほどの高さなのかは想像しかできないが、きっと物凄く痛かったに違いない。でも、そんな痛みよりも生きることの方が痛かったのかもしれないと思うと、啓輔にはこの選択が最善だったのかもしれない。
一人になってしまったのだろうお前が何を考えていたのか、俺には一切分からないけれど、声に出してくれてもよかったんだよ。
俺はお前の声で、お前の言葉を最後まで聞きたかった。どんな叫びでもいい、恨み節でも構わない。俺は、啓輔の事を、もっと、ちゃんと知りたかった。
そんな今更なことを口に出せないまま去っていったのは俺の方なのに。
「一人に、ならないでくれよ」
「俺を、置いていくなよ」
「どうして――」
俺は、お前の手を離してしまったんだろう。
後悔だけが胸の奥にこびりついて離れない。歪んだ視界が啓輔の顔をぼやけさせてしまう。それが嫌で無理矢理掌で拭った。擦れて痛んだ眦は、何度も何度も水溜まりを作ろうとしてくるので厄介だ。
「亮君」
呼ばれた名前に後ろを振り返る。そこには喪服に身を包んだ啓輔の母親が立っていた。
窶れた身体。こけた頬。無理矢理に持ち上げられた口角は震えている。
「この度は、御愁傷様でした」
俺は頭を下げた。お通夜の時間に合わせて会場に足を運んだはいいものの、啓輔の母親にはなかなか会えず、挨拶がまだだったのだ。
啓輔の父親には先に会えたので挨拶は済んでいる。久々に会ったが俺の事を覚えてくれていたようで、啓輔の見送りに来てくれてありがとう、と涙を流された。
「ご丁寧にありがとう。今日は、無理を言ってごめんなさいね」
「いえ、呼んでいただけて嬉しいです。最後に会うこともできないまま別れるのは、寂しい、ですから」
「そう、そう、よね……」
啓輔の母親は言葉を詰まらせ、ほとほとと溢れる涙を手持ちのハンカチで拭う。なんと声を掛けるべきなのか。啓輔には分からず、何も言えず、ただ黙って傍に立つことしかできない。
「ごめんなさいね。泣いてしまって」
「いえ、気にしないでください。当然のことだと思いますから……」
「ありがとう。気を遣わせてしまったわね」
「…あ…いえ……そ、それより、うちの両親が来れなくてすみませんでした」
「あぁ、それこそ気にしないでちょうだいな。きちんと連絡も頂いているし、亮君が来てくれただけで十分よ」
ふわりと微笑むその表情は啓輔の微笑みとよく似ていた。啓輔は母親似だったのだろう。そんなことを今更知ることになるとは思わなかった。
「ところで、お通夜の後少しだけ時間をもらえないかしら?」
「構いませんが、どうしてですか?」
「貴方宛てに、啓輔から手紙を預かっているの」
「啓輔、から……?」
故人の手紙を預かっている。啓輔の母親の言葉は俺に大きな衝撃を与えるに十分だった。
まさか啓輔がこうなると分かっていて自ら手紙を残したのだろうか。
啓輔の性格を考えれば有り得ない話ではないが……だが、そんな、遺書のような手紙を啓輔は母親に託すだろうか。
訝しんでいる俺に気付いたのか、啓輔の母親は先程の微笑みを哀し気なものへと変えて笑う。
「預かっている、と言うよりは貴方宛に残された手紙が机の上に置いてあったと言った方が正しいわね」
「そう、なんですか?」
「えぇ。今日ね、啓輔の部屋に入ったの。もしかしたら啓輔はまだ生きてて、部屋で寝てるんじゃないかって、そう思って」
「……」
「だって、あんなにも綺麗な寝顔をしているんだもの。本当は、まだ、死んでなくて、あれは人形で、だから、啓輔は部屋にいるんだって、そう思って……でも、啓輔はいないのよ」
「……」
「ちゃんと、分かってたはずなのに、駄目ねぇ私って」
崩れない微笑みの奥で、瞳が泪に濡れていく。色彩に輝きはなく、淀んだ眼差しが俺を貫いた。
「それでね、せめて何か残ってないかと思って啓輔の部屋の中を見てたら、机の上に手紙が置いてあったの」
「手紙……それが、俺宛の?」
「そうよ。宛名は貴方宛だったわ。切手も貼っていない、封だけされた状態だったから、近々送ろうとしていたんだと思うわ」
「そう、ですか」
啓輔が残した最後の手紙。俺宛の、手紙。啓輔の母親が見つけなければ俺の元に届いていたかどうかも分からない。
啓輔が何を思い、俺宛に言葉を残したのか。出来れば今すぐにでも読みたい衝動にかられるが、読むことが怖くて怖気づく俺がいる。
「お通夜の後、その手紙を貴方に渡したくて――いい、かしら?」
その言葉に喉が乾いて、無意識のうちに口内の唾を呑み込んだ音だけが、耳の奥で木霊していた。
啓輔の手を離して、置いていった俺にその手紙を読む資格はあるのか。答えが出ないまま、俺は啓輔の母親に受け取る旨を伝えていた。




