3:逃避行の果ては存在しない
二人して屋上を後にする。残りの昼休み時間はあと20分足らず。手荷物が足りないので急ぎ足で教室へと戻り、鞄を手に取って去っていく。
背後から友人の声が掛かるが適当な返事を返して逃げること優先。まともに取り合うこともせずにひらりと振った手が別れの合図だ。
ブーイングが飛んでくるがそんなのいつものことである。ノリのいい返しをしてくれる彼らはきっとこの後のことを上手く誤魔化してくれるだろう。
「相変わらず亮は人気者だね」
「そうか? そんなことないと思うけど」
「知らぬは本人ばかりなり、ってこのことかな?」
「いや、啓輔の考えが可笑しいだけだろ」
「酷いなぁ。僕は事実を言ってるだけだよ」
皆に愛されてるね、と茶化しながら小さく笑う声に俺は首を横に振る。
「そんな事実ないって言ってるんだよ」
「当の本人だから気付かないだけでしょ? きっと僕一人が去っていったとしてもあんな風に声を掛けてくれる人はいないよ。人気者の亮だから声を掛けてくれてるんだ」
そう言って俺を持ち上げる啓輔に俺は首を傾げるしかない。伺いみる啓輔の顔は笑っているように見えるのに、どこか歪だ。無理矢理作った笑みのような、そうでないような。感情を伴わないそんな表情に少しだけ不安を覚える。
啓輔に人気者だと言われても俺には全くピンとこない。今のようなやり取りは俺にとって日常茶飯事で、俺以外の奴が早退(と言う名のサボり)をしたとしても同じことをすると思う。
周りの人間関係に恵まれている自覚はあるのだ。啓輔を筆頭に知り合った人達は先輩、後輩関係なく気の合う良い人達ばかり。最初の印象が悪くても時間を重ねれば気にならなくなったり、変わらず気が合わないと思えば距離を置いてしまえばいい。無理に付き合う必要性を感じないからそうしている。
来る者拒まず去る者追わず。結構ドライな付き合い方しか俺はしてない、つもりだ。
しかし啓輔に関してだけは別。物心ついた頃からずっと一緒で、何があっても傍にいるんだと信じてる。それは今でも変わらないし、万が一にも啓輔が離れたがったとしても俺から距離を置くことはない。
一番の親友と言われたら啓輔の名前を真っ先に出すし、啓輔の為なら苦労を厭うことはない。
そう思っているにも関わらず、俺はこの場所を離れることを恐れてる。距離を置いたとしても繋がりが途絶えるわけじゃないと、どこかで信じ切れていない俺がいることが悔しくて、悲しい。
「亮? どうしたの?」
不意に立ち止まってしまった俺を気にして、啓輔が顔を覗き込んでくる。心配そうな眼差しは俺を真っ直ぐ捉えているのに、俺の視線はそこから逃れようと自分の爪先だけを意識して見つめていた。
「……逃げるの、止める?」
ポツリ、広がる波紋のように音が囁かれた。俺は慌てて視線を上げた。
啓輔は微笑んだまま答えを待っている。俺の我儘を叶えてくれようとしているのに、いざ逃げ出すその道中で俺が足を止めてどうする。
渦巻く不安も、信じられない自分も、受け入れられない現実も、何もかも全て捨てて逃げてしまいたいから――けど、どうしても手離せない啓輔だけを道連れにしようとしたのに、言い出しっぺがこんな体たらくじゃ話にならないだろう。
俺は首を横に振り、啓輔を真っ直ぐ見つめて促した。
「止めない。俺はお前と一緒に逃げる」
「そっか……それじゃ、一緒に逃げようか」
一つ頷いて、啓輔は前を歩き出す。変わらない啓輔の微笑みは俺に安心感を与えてくれるのに、何故だろう――一瞬、突き放されてたような気がしてならなかった。
(俺は今からお前と一緒に逃げるんだよな?)
問おうとした言葉を口の中で噛み砕く。湧き上がる不信感を音にしてしまえば、もう、戻れないと思ったから。
俺はそれ以上何も言わず、啓輔の道案内に着いて行くことにした。
学校を出て、最寄り駅で切符を買う。迷うことなく告げられた金額に俺は財布から千円札を取り出し機械に挿入。お釣りで出てくる十円玉二枚。随分遠くへと行くのだなと今更な感想を抱く。
啓輔も同様に切符を買うと駅構内にあるコンビニへ誘われた。
「目的地到着まで時間が掛かるし、飲み物だけ買っていこう。必要ならお菓子とかもね」
「いいけど、周りに何もないのか?」
「うん。あそこにあるのは一つだけだから」
「一つだけ? なんだそれ?」
「ふふ、それは着いてからのお楽しみ」
そう言ってその後俺がどれだけ問い詰めても内緒の一点張り。楽しそうに笑いながら口を割らない頑固さを突破したことは一度としてないので俺は渋々諦めることにした。
適当にペットボトルの水を手に取り、道中の腹減り対策でスナック菓子を二つ買うことに。
持ち運びしやすいようにカップタイプのものを選んだ。啓輔は飲み物だけにするようだ。
互いに支払いを済ませたら電車の時刻を確認。
丁度いいタイミングで電車が来るようで、そのまま啓輔と駄弁りながら待つこと数分。到着した列車種別はなんと普通である。
「急行じゃないんだ」
「うん。普通しか止まらない駅なんだよ」
「なるほどなぁ。結構な過疎地が目的地だったり?」
「どうだろう? 過疎地と言うほどじゃないと思うけど、利用者がそういない場所ではあるのかな?」
「へぇ。そんな所にあるたった一つのものってなんだろうな?」
「なんだろうね」
誘導尋問的な感じでポロっと零さないかな、と期待半分の問いかけはさらっと躱され、啓輔は電車の中へ。俺も取り残されないようにと乗り込んだはいいものの、殆ど誰も乗っていないような車両内。
扉近くの席に二人並んで腰掛け、その後は目的地まで沈黙を保った。
いつもなら何かしら絶えず話題が浮かぶのに、今日に限ってそれが無い。けど、この沈黙が辛いということもない。向かいの窓から通り過ぎていく景色は穏やかで、俺の中にある寂しさ、不安、憤り等の感情を一つ一つ丁寧に落ち着かせてくれる。
ちらりと啓輔を見れば、同じように窓の風景を見つめていた。引き結ばれた唇は何も語らず、濃褐色の瞳が時折差し込む日差しを眩しそうに眇めている。
車内のクーラーが時折悪戯するかのように啓輔の前髪を揺らす。艶のある黒髪はさらりと流れては元の場所へと戻りを繰り返している。
啓輔は美人だ。一度も染めたことがない黒髪は綺麗に整えられ、肌は色白で日に焼けた姿を見た記憶がない。
筋肉が付きにくいのが悩みだと本人は言っていたが、適正体重で細く見える体型が俺は羨ましかった。
そんな啓輔は外見だけでなく、内面も美しいと俺は知っている。
誰にでも優しくて、気配り上手。勉強も得意で、両親の言うことをしっかりと聞く。大人しいけれど黙ったままじゃなくて、場の空気を取り持ちながら一歩後ろに下がって見守っているタイプだ。
ただ、時折啓輔が見せる冷めた眼差しが気掛かりではあった。それは学校内で友人と話している時によく見かける。誰かを見ているわけじゃない。全体を俯瞰しているだけなのだろうと思うけれど、その視線だけはどこまでも冷たく、全てを切り離すような、突き放されているような感覚に襲われる。
声を掛ければ一瞬で消えてしまうので、いつも気のせいだと流してしまうことが多いのだが――これは杞憂なのか、それとも。
なにはともあれ啓輔のいいところをあげだせばキリがない。こいつの隣を狙う奴は学校に沢山いる。俺のことを人気者だと言うが、啓輔の方がよっぽど人気者だと俺は思う。それこそ知らぬは本人ばかりなり、だ。
俺はそんな啓輔を尊敬しているし、同時に嫉妬したりもする。俺にできないことがあっても啓輔は難なくクリアしていく。
俺がどれだけ努力しても啓輔に追い付けないことが多い。それが悔しくて更に努力するけど先を行く啓輔の背中はまだまだ遠い。
いつかその背を追い越すことが出来たなら――漠然とした未来を夢見て、それが叶う日が来るまで絶対に啓輔の隣を誰にも譲らないと決めていた。
決めていたのに――大人の事情はそんなこと知らないとそっぽを向いて俺が進みたい道を通行止めにしてしまうのだ。
落ち着いていたはずの負の感情がぶり返す。眉間に皺が寄り、いつの間にかへの字に曲がった口が俺が不機嫌であることを隠そうとしなくなった。
そんな顔を啓輔に見られたくなくて視線をずらしたが、少し遅かったようだ。
「そんな不機嫌にならないで。あともう少しだから」
苦笑いと共に窘められるが、俺の不機嫌の理由を到着の遅さと捉えられてしまったことに何と言い返すべきか。
上手く言葉にできなくて、結局への字を深めることしかできなかった。




