40. 【帝国】死線の果ての英雄譚
最奥の部屋へと一歩踏み出した瞬間、世界から音が消えた。
濃密すぎる魔素が聴覚すら狂わせる、絶対的な静寂。
だが、その静寂は不気味な脈動によって無残に引き裂かれる。
――ガリッ、と。
何もない虚空が、見えない爪で引き裂かれたかのように歪んだ。
そこから這い出てくるのは、漆黒の法衣を纏い、巨大な鎌を携えた、あの『黒い死神』だ。
出現の瞬間、アイリの心臓が凍りつく。だが、今回は違う。
「先手必勝よ!『屠焉黒風!』 さぁ――吹き荒れなさい!」
ヴァレンタインの叫びと同時に、彼女の周囲に渦巻いていた『黒い風』が、咆哮を上げて解き放たれた。
それは風というよりは、無数の極小の刃が真空を切り刻む破壊の奔流だ。
死神の法衣を削り、その動きを物理的に縛り付ける黒い風。
「遅いッ!」
風の隙間を縫うように、銀光が走る。マグノリアだ。
最短距離、最速の踏み込み。騎士団長の誇りを乗せた連撃が、死神の骸骨のような腕と鎌を叩く。
2人の「攻勢」が、死神に反撃の隙すら与えない。
「アイリ、今よ! 魔道具を設置地点まで運びなさい!」
「えっ、設置場所……うそ、あそこまで!? き、聞いてないですよ、あんな死神の目の前だなんて!」
ヴァレンタインが指し示したのは、死神の足元からわずか数メートルの至近距離だ。一度鎌を振るわれれば、首が飛ぶ。
「私が、やらなきゃ……。行かなきゃ、終わるんだ……!」
アイリは震える膝に拳を叩き込み、自分を奮い立たせた。
魔道具を抱え、文字通り「死の領域」へと突っ込んでいく。
背後では、ドレイヴンが立ち尽くしているように見えた。
だが、それは静止ではない――。
極限まで練り上げられた身体強化魔法が、彼の筋肉を一房ごとに鋼へと変え、爆発的な力を充填しているのだ。
その練り上げられた魔力は、彼の周囲の景色を、力強くそして静かに揺らしていた。
時計の針が進む速度は一定のはずだ。
だが、死神と対峙する彼女たちにとって、時間は奇妙に歪んでいた。
実際には数分が経過していたが、張り詰めた神経には、一瞬が永遠にも感じられる数十秒の積み重ねに思えた。
死神の法衣が逆立ち、その不気味な眼の中にある、青白い炎が輝きを増す。
「――ゴガアアアァァァァ!!」
死神の不可避の一振りが、マグノリアを襲った。
マグノリアは大剣の腹で受け流そうと必死に剣を合わせる。
しかし、度重なる連撃による疲労が、わずかな指先の狂いを生んだ。受け流しに失敗し、大剣が悲鳴を上げる。
「ぐっ……ぬわぁあああ!」
ガギィンッ! と、火花が散り、衝撃に耐えきれなかったマグノリアの体は木の葉のように後方へと弾き飛ばされた。
死神が、無防備なヴァレンタインへとその鎌を向ける。
「わしの従者に、何をさらけとるかッ!」
地響きのような咆哮。
2人の間に割って入ったのは、巨大な壁のような背中だった。ドレイヴン。
彼は最上段から、身の丈を超える大剣を渾身の力で叩きつけた。
――ガギィィイイインッ!!
洞窟全体が震えるほどの金属音。
ドレイヴンの大剣が、死神の鎌を真っ向から受け止め、そのまま床の石材ごと押し潰す。
「たくっ、遅いのよ、この脳筋辺境伯……!」
ヴァレンタインは悪態をついたが、その瞳には信頼の色が滲んでいた。
「設置、完了しましたぁあああ!!」
闇の奥からアイリの絶叫が響く。
彼女は死神のすぐ傍で魔道具を固定し、そのまま全速力でこちらへ駆け戻ってくる。
「マグノリア!さっさと立ち上がって、私とドレイヴンの中間に位置取りなさい! 私が起動準備に入る間、ここを一歩も通さない事ね!」
吹き飛ばされた位置から、マグノリアが泥を吐き捨てて立ち上がる。
「了解……死なせは、しませんよ!」
マグノリアは、魔道具起動のために完全に無防備となるヴァレンタインの前に立ち、剣を構え直した。
全員が、それぞれの死地を駆ける。
その中央で、ドレイヴンは文字通り「怪物」と化していた。
――ギィィィ、ガリィィッ!!
大鎌と大剣が噛み合い、互いの命を削り合う不快な音が洞窟に反響する。
ドレイヴンの足元の岩盤が、彼の凄まじい踏み込みに耐えきれず、クモの巣状に砕け散った。
「がぁあああああッ!」
「……キ、ギギッ!」
死神の大鎌が、死角からドレイヴンの首筋を狙って薙がれる。
それを紙一重でかわし、ドレイヴンは大剣を強引に横へと叩きつけた。
――ドォォオンッ!!
至近距離で炸裂した衝撃波が空気を爆ぜさせ、死神の体がわずかにのけ反る。
だが、死神は瞬時に虚空へと消え、ドレイヴンの背後にその大鎌を現出させた。
「ぬぅんッ!」
振り向きざまの逆袈裟。
大剣の切っ先が、死神の肋骨らしき部分をかすめ、黒い霧のような血が舞う。
それと同時に、死神の鎌がドレイヴンの肩口を深く切り裂いた。
――ザシュゥウウッ!
「御屋形様っ!?」
「がははっ!かすり傷だ! まだまだ足りんぞ、骸骨野郎!」
血を吹き出しながらも、ドレイヴンの動きは鈍るどころかさらに加速していく。
極限まで練り上げられた身体強化魔法が、彼の傷口を盛り上がる筋肉で無理やり塞ぐ。
――ガガッ、ギィィイン! ガキンッ! ガァァアン!
1秒間に数回。もはや肉眼では捉えきれない速度で、2つの「死」が交錯し続ける。
命を刈り取る死神の大鎌。
己の義を通すためのドレイヴンの大剣。
打ち合うたびに生じる火花が、青白く、そして不吉に洞窟を照らし出す。
それはまるで、闇の中で踊り狂う稲妻のようだった。
一撃一撃が大地を揺らし、天井からは震動に耐えきれなくなった岩屑が降り注ぐ。
まさに英雄譚の戦場そのものだ。
その後方、ヴァレンタインの額には、見たこともないほどの汗が噴き出していた。
遠隔で魔道具を起動し、さらにドレイヴンの魔力をバックアップする。その精神的負荷は、常人の脳を焼き切るほどに計り知れない。
近くまで戻ってきたアイリと、彼女達を庇うように立つマグノリアは、目の前の光景に開いた口が塞がらなかった。
「これが……辺境伯様の、本気……。英雄譚の騎士って、実在したんですね……」
アイリが、震える声で呟く。
そう、ドレイヴンは今まで、本気を出したことなどなかった。
彼は常に、領民を、騎士たちを、そして何より愛娘を、その大きな背中で守る立場だったからだ。
だが今は違う。
奪われた娘と従者を取り戻す――そして、帝国を守る。
その猛り狂うような矜持と執念が、彼に死神をも圧倒する、異次元の力を与えていた。
「――来たわッ!!」
ヴァレンタインの叫び。
アイリが命懸けで設置した魔道具が、眩い胎動を始めた。
闇を切り裂くような白光が、ドクン、ドクンと周囲の魔素を吸い込み、爆発的なエネルギーを臨界点まで溜め込んでいく。
死神の青白い炎が、初めて「恐怖」に揺れたように見えた。
帝国の誇りと、愛と、執念。
「さぁ……地獄へ還りなさい」
……ヴァレンタインの峻烈な号令を号砲に、4人の命と役割を精緻に編み上げた、死神討滅の最終工程が始まった。
お読みいただきありがとうございます!
汗を流し、精神を削りながら魔道具を起動させるヴァレンタイン。彼女の「地獄へ還りなさい」という冷徹な号令に、反撃の狼煙が上がりました。
練り上げられた魔力、設置された魔道具、そしてドレイヴンの奥義。全ての準備が整った戦場で、一体どのような結末が待っているのか!?
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