39. 【日本】特級ダンジョンへの特急便
――千葉県某所。
風が吹き抜ける早朝、小栗家の庭では、アリスが凄まじい風切り音を立てて大剣を振るっていた。
昨日、スーパー銭湯『華〇湯』で英気を養い、望海から貰った試供品で「神の産物」のごとき輝きを手に入れた彼女のコンディションは、絶好調を通り越している。
「悠馬お兄さん、見ていてください! 今日は絶対、昨日の汚名を返上してみせますから!」
ブン、と空気を引き裂く重低音。
左右に揺れる本体のアホ毛も、意志を持っているかのようにピンと立ち、気合を露にしている。
「そうだな、期待しているぞ。……だがその前に、ちょっと寄り道だ。管理局へ向かう」
「なぜダンジョンではないのですか? 悠馬様、直行する方が効率的かと思われますが」
怪訝な顔をするノーラに、悠馬は気怠げに歩き出した。
「なに、少し確認しておきたいことがあってな。すぐに終わる」
――ダンジョン管理局 東京支部。
平日の午前中だというのに、管理局のロビーは探索者たちの熱気と怒号で溢れていた。
その喧騒をかき分け、悠馬はいつもの受付窓口へと向かう。
「えっと……望海は……あぁ、いた。おーい、望海」
「あら、悠馬。今日は早いのね……って、ダンジョンにも行かずに何油売ってんのよ。……って、ええええええ!?」
悠馬の問いかけを遮り、窓口の奥で望海が椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
彼女の視線は、悠馬を通り越して背後の2人に釘付けになっている。
「ちょっ、ちょっと! アリスさん! それにノーラさんも! 髪がキラッキラじゃない! 嘘でしょ、あの試供品だけでそんなに!? 肌もプルップルだし、何よその発光体みたいな美しさは!」
望海は窓口の仕切りを飛び越えんばかりの勢いで詰め寄る。
その目は、獲物を狙う飢えた狼そのものだ。
「はい! 望海さん、昨日は本当にありがとうございました! 生まれて初めての感覚です。髪が、こう、指の間を滑り落ちていくんです!」
「望海様、下賜いただいた品々、どれも素晴らしいものでした。……従者としてあるまじきことですが、主よりも美しくなってしまうとは。己の底知れぬポテンシャルが恨めしい限りです」
「もう、ノーラは! 主を立ててって昨日から何度もお願いしてるじゃないですか!」
「アリスお嬢様。再三申し上げますが、女性同士の美の戦いに主従は関係ございません」
ロビーの真ん中で、ツヤツヤの髪をなびかせながら口論を始める2人。
周囲の男探索者たちが、そのあまりの神々しさに足を止め、呆然と見惚れている。
「あはは……。まあ、気に入ってくれたなら何よりだわ。また、良いのがあったら渡すわ。……それより、悠馬!」
「お、おう、なんだよ」
「アンタねぇ! 2人にちゃんとした商品を買ってあげなさいよ! 試供品だけでこんなに喜んでるのよ? これで何も買わなかったら、甲斐性なしを通り越して犯罪よ!」
望海の人差し指が悠馬の眉間に突きつけられる。
「わ、分かったよ……。今日の帰り、ドラッグストアに、そうだな……コ〇モスにでも寄るよ」
「まあ、コス〇スならマシな方ね。……で、本件は何よ。わざわざ窓口まで来て」
悠馬は少し声を潜め、真剣な眼差しで望海を見据えた。
「それなんだが。その試供品くれた時に、お前が『使い方は……って、日本語読めないか』って言ってただろ?」
「ええ、言ったわ。それがどうかしたの?」
「……転移者は、日本語は読めないのが普通なのか? 会話は?」
望海は不思議そうに小首を傾げた。
「そうね。会話に関しては、なぜか成立しちゃうのよ。理由は現段階では不明よ。そして文字は、お互いに『書く文字』はただの図形にしか見えない。それがこの世界の定説よ。……なんでそんなこと聞くの?」
「いや、こいつらも同じだからな。確認したかっただけだ」
悠馬は、自分の内側で冷たい確信が深まるのを感じた。
アリスとノーラは、日本語の看板を完璧に理解している。
それどころか、悠馬の書いた文字を「綺麗な帝国語」として認識している。
悠馬はあえて、2人が文字を読めているという事実を伏せた。
「ただ、たまに『文字での意思疎通ができた』って噂も聞くのよね。ただ、詳しい話なんて一介の局員までは降りてこないわ」
「……そうか。新しい情報があったら教えてくれ。助かったよ」
「いいわよ。……じゃあ、これから特級かしら? 死なないようにね」
悠馬は短く手を振ると、まだ髪の毛を触り合っている2人を促し、管理局を後にした。
――特級ダンジョン 『虚無の門』入口
新宿。ビル群の合間に、それは鎮座していた。
巨大な石造りの門が、この世の光を拒絶するように不気味に口を開けている。
特級ダンジョン――『虚無の門』。
かつて幾多の英雄が挑み、そして、膨大な数の亡骸が積み上がったが、いまだ下層までは届いていない。
「じゃあ、悠馬お兄さん! 早速行きましょう!」
「待て、アリス。今日は『アイツ』を使うぞ」
悠馬が指差したのは、入り口の脇にある厳重に管理された小部屋だった。
「悠馬様、あれは? 詰所か何かでしょうか」
「いや。あの中に脱出ポータルを逆流させる『転移装置』があるんだ。それを使えば、前回倒したフロアボスの次の階まで、一気にスキップできる」
「そんな便利なものが。 なぜ今まで使用しなかったのでしょうか?」
ノーラの正論に、悠馬は少しだけ顔をしかめて懐を叩いた。
「便利な分、金がかかるんだよ。特級の中層以降となれば、1人当たり5万は下らない。3人で15万だ。上級ダンジョンでもその半額はする」
アリスとノーラは、同時に動きを止めた。
「じゅ、じゅうごまん……。それは、どれくらいの価値なのですか?」
「えっとな、牛丼が1杯400円だから……。3人合わせて、だいたい牛丼370杯分だな」
アリスの顔から血の気が引いていく。左右に揺れていたアホ毛が、見る見るうちにしおれ、力なく垂れ下がった。
「そ、そんなに使ったら……今日は晩御飯抜きなのですか? お肉、食べられないのですか?」
「安心しろ。特級ならば普通に経費回収できる算段だ。……それに、九州へ行く途中での貯金もあるからな」
「なるほど……。それで悠馬様は当初、『特級には金がかかる』と仰っていたのですね」
「ああ。だが、ここからは時間をかけたくない。……『特急』便で行くぞ」
「はっ……! 悠馬お兄さん、凄いです!『特級』ダンジョンと『特急』便を掛けるなんて、なんて高度な言語魔術……!面白いです!」
「…………」
事故った、あからさまな程のギャグ事故だ。それもオヤジ寄りの。
悠馬は耳まで赤くなるのを感じ、逃げるように小部屋へ歩き出した。
「い、いいから行くぞ! ほら、こっちだ!」
――虚無の門 中層
一瞬の浮遊感の後、肺に流れ込んできたのは、湿った苔の臭いと、肌を刺すような感覚。
今ならわかる、この感覚こそ『魔素』なのだ。
この『魔素』こそが、攻略の鍵になると悠馬は静かに心を決める。
ここから先、下層は前人未到の地。
あの日、到達出来なかった『特級ダンジョンの深層』、きっとこのダンジョンにも『深層』は存在する。
「アリス、ノーラ。ここから先は、お遊びじゃないぞ」
悠馬の声音から温度が消える。
かつて狂戦士として、ただ壊すことだけを考えて彷徨った闇。
逃げるようにトラップに身を隠し、日銭を稼ぐだけの抜け殻になっていた自分。
そこに現れた2つの『光』――アリスとノーラ、2人の望みを叶えるために進む。
いつぶりだろう、誰かの望みのために動くなど。
悠馬はいま一度、心を強く引き締めると、闇の奥から聞こえる魔物の咆哮を、真っ向から受け止めた。
「今度こそ……辿り着く」
静かな決意。それは言葉以上に重く、湿った空気を震わせた。
オグリ家騎士団。
帝国の宝と成り得る少女とその従者、そして過去を捨てきれぬ案内人。
噛み合わぬまま、動き出した運命の歯車が、新宿の地下で、激しく火花を散らし始めた。
お読みいただきありがとうございます!
かつて狂戦士と呼ばれた悠馬が、自分のためではなく、アリスとノーラの願いのために再び闇へ挑む姿には、1章からの成長を感じさせます。
新宿の地下で回り始めた運命の歯車。その先で彼らを待ち受けるのは希望か、それとも――。
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