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第3話 町医者の娘



 朝の光が、障子の隙間から差し込んでいた。


 朔は目を覚ました。


 見慣れない天井。


 一瞬、戦場にいるのかと思った。


 だが、身体を起こした瞬間――腹に痛みが走る。


「……っ」


 昨日のことを思い出した。


 町医者の家。


 千代。


 そして、血だらけの自分。


 朔はゆっくりと起き上がった。


 部屋の隅には、愛用の刀が置かれている。


 反射的に手を伸ばしかけて――止めた。


「……」


 昨日、千代に言われた。


 今日は休め、と。


 誰かに命令されたことなど、今までほとんどなかった。


 それなのに、不思議と逆らう気になれなかった。


「起きましたか?」


 襖の向こうから声がした。


「……ああ」


「入りますね」


 襖が開く。


 千代が盆を持って入ってきた。


「おはようございます」


「おはよう」


「……」


 千代が目を丸くする。


「なんですか」


「いえ」


「何かあるのか」


「ちゃんと挨拶できるんだなと思って」


「昨日もできていた」


「昨日は聞いてません」


「そうだったか」


 千代が小さく笑う。


「朝ご飯です」


 盆の上には、粥と漬物、それから味噌汁が乗っていた。


「食べてください」


「……俺に?」


「他に誰がいるんですか」


 朔は黙って椀を手に取った。


 一口食べる。


「……うまい」


「よかった」


 千代は嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見て、朔は少しだけ視線を逸らした。


     ◇


「千代」


「はい」


「お前は、いつもこうして患者の世話をしているのか」


「父の手伝いをしています」


「医者になるのか」


「分かりません」


「そうか」


「でも、人を治すのは好きです」


 千代は少し考えてから続けた。


「人って、怪我をすると弱くなるでしょう?」


「ああ」


「でも、治るとまた歩けるようになる」


「……」


「それを見るのが好きなんです」


 朔は黙っていた。


 千代は人を救う。


 自分は人を斬る。


 同じ世の中に生きているのに、ずいぶん違う。


「変ですか?」


「何が」


「私の考え方」


「いや」


 朔は首を横に振った。


「……羨ましいと思った」


「え?」


「人を救えることが」


 千代は何も言わなかった。


 ただ、少しだけ朔を見る目が変わった。


     ◇


 昼頃になると、家の前が騒がしくなった。


「千代ー!」


 外から声がする。


「はい!」


 千代が立ち上がる。


 外へ出ると、近所の少年が腕を押さえて立っていた。


「転んだの?」


「うん」


「見せて」


 千代は少年の腕を取る。


 小さな擦り傷。


「これくらいなら大丈夫」


「ほんと?」


「うん。でも次は走るとき、ちゃんと前を見てね」


「はーい!」


 少年が走っていく。


 朔は縁側から、その様子を眺めていた。


「……人気者だな」


「そうですか?」


「子供にも好かれている」


「子供だけじゃありませんよ」


「そうなのか」


「お年寄りにも好かれています」


「そうか」


「朔さんは、誰にも好かれなさそうですね」


「……」


 千代が吹き出した。


「冗談です」


「冗談に聞こえなかった」


「ふふっ」


 千代は楽しそうに笑った。


 朔はそんな千代を見ていた。


 戦場では、誰かが笑えば、その直後に誰かが死ぬ。


 だから笑い声は、いつも不吉なものだった。


 けれど。


 ここでは違う。


 誰も死なない。


 子供が笑っている。


 千代も笑っている。


 それだけなのに、妙に心が落ち着いた。


     ◇


「ところで」


 千代が振り返った。


「朔さん」


「なんだ」


「どうして、あんなに強いんですか?」


 朔の表情が変わった。


「……強い?」


「昨日、見ました」


「何を」


「あなたの刀」


 千代は少し迷ってから言った。


「父が言っていました。普通の剣士の動きじゃないって」


 朔は黙った。


「どこで習ったんですか?」


「……昔だ」


「誰に?」


「師匠がいる」


「どんな人ですか?」


 朔は遠くを見るように目を細めた。


「……変わった男だった」


「怖い人?」


「怖かった」


「強かった?」


「ああ」


「朔さんより?」


 少し間があった。


「……俺より強かった」


 千代が驚く。


「そんな人がいるんですか?」


「いた」


「今は?」


 朔は答えなかった。


 ただ、刀の置かれている部屋へ目を向ける。


「……もういない」


 それだけだった。


 千代は、それ以上聞かなかった。


     ◇


 夕方。


 朔は縁側に座っていた。


 庭では、風に揺れた木の葉が静かに音を立てている。


 戦場では聞いたことのない音だった。


「朔さん」


 千代が隣に座る。


「なんだ」


「明日には歩けそうですか?」


「たぶん」


「なら、明後日には帰るんですか?」


「ああ」


 千代は少し寂しそうな顔をした。


 朔はそれに気づいた。


「……何か?」


「いえ」


「言ってみろ」


「また怪我したら、来てください」


「怪我をしなくても来ていいのか?」


 千代が目を丸くする。


 朔自身も、言ってから気づいた。


 なぜそんなことを言ったのか。


 千代は少しだけ頬を赤くして――


「……そのときは、お茶くらい出します」


 そう言った。


 朔は小さく頷いた。


「ああ」


 夕暮れの空が、ゆっくりと赤く染まっていく。


 朔はその景色を見ながら思った。


 こんな時間があることを、今まで知らなかった。


 戦うこと。


 斬ること。


 生き残ること。


 それだけが、自分の人生だと思っていた。


 けれど。


 この町に来てから、少しだけ違う景色が見える。


 その理由が何なのか。


 朔には、まだ分からなかった。

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