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第11話 影月流



その日の午後。


朔たちは、朝の小競り合いがあった場所から少し離れた村へ移動していた。


戦場では、同じ場所に長く留まることが危険だった。


銃声が聞こえれば、敵がいる。


煙が上がれば、どこかで火が出ている。


人の姿が見えなくても、そこに敵が潜んでいる可能性がある。


それが、今回の戦だった。


「傷を見せろ」


隊長が言った。


「大したことありません」


「大したことがあるかどうかは俺が決める」


朔は黙って腕を差し出した。


銃弾は当たっていない。


だが、肩の近くをかすめていた。


衣服が裂け、皮膚から血が滲んでいる。


「浅いな」


「はい」


「運がよかっただけだ」


隊長は傷口を布で縛った。


「剣がどれだけ強くても、銃弾は避けきれん」


朔は何も言わなかった。


分かっている。


朝の戦いで、それを嫌というほど思い知らされた。


剣を抜く前に死ぬ。


そんな戦場が、本当にある。


以前の朔なら、その事実さえ気にしなかった。


死ぬなら死ぬ。


それだけだった。


だが今は違う。


死にたくない。


そう思うようになっていた。


理由は、まだ分からない。


ただ、胸元の巾着を指で確かめる。


千代からもらったもの。


それだけで、不思議と落ち着いた。


「朔」


隊長の声に顔を上げる。


「今夜は、この村で休む」


「分かりました」


「ただし、見張りは置く」


隊長が周囲を見る。


「敵が近くにいる可能性がある」


その言葉を聞いた瞬間だった。


遠くから馬の音が聞こえた。


一頭。


いや。


二頭。


「来るぞ」


兵たちが立ち上がった。


朔も刀に手を置く。


だが、現れたのは二人の兵だった。


一人は馬から降りると、隊長の前まで走ってきた。


「報告です!」


「何があった?」


「北側の道で敵と接触。こちらは五人、負傷者二名」


「敵の数は?」


「十人ほど。ただし、銃を持っていました」


隊長の顔が険しくなる。


「場所は?」


兵が地図を広げた。


朔も横から覗き込む。


川。


村。


田畑。


細い道。


山。


戦場は、地図の上では線と文字でしかない。


だが、実際には人が死ぬ場所だ。


「ここなら挟める」


朔が指差した。


「この用水路があります」


隊長が見る。


「分かるのか?」


「さっき通りました」


「……なるほど」


隊長は兵たちに指示を出した。


「五人を連れて行く。正面からは撃ち合うな。横から回れ」


朔も同行することになった。


村を出る。


夕暮れが近づいていた。


田には水が張られ、風が吹くたびに細かな波が立っている。


その向こう。


木立の間に、敵の姿が見えた。


「いた」


朔が低く言う。


敵は八人。


銃を持っている者が四人。


残りは刀や槍。


こちらの動きをまだ知らない。


「回り込む」


隊長が手で合図した。


朔たちは用水路沿いを進んだ。


足音を消す。


水音に紛れる。


距離が縮まる。


あと十間。


八間。


六間。


そのとき。


敵の一人が振り返った。


「誰だ!」


「撃て!」


銃声が響いた。


朔たちは一斉に伏せた。


弾丸が水面を叩く。


水しぶきが上がる。


「行け!」


隊長の声。


朔は立ち上がった。


一気に距離を詰める。


敵の一人が銃を構えた。


引き金を引く。


朔は身体を横へ流した。


銃声。


弾丸が頬をかすめる。


熱い。


だが、止まらない。


敵の懐へ入る。


刀が振り下ろされる。


朔は受けた。


一撃。


二撃。


相手の肩が動く。


次に来る方向が分かる。


朔は身体を半歩ずらした。


刀が空を切る。


そのまま相手の手首を打った。


男が刀を落とす。


「ぐっ!」


朔は追撃しなかった。


そのまま横へ移動する。


別の敵が斬り込んできた。


朔は受ける。


刀を滑らせる。


相手の力を逃がす。


そして、相手の懐へ入った。


峰で肩を打つ。


男が崩れた。


「なんだ……この剣……」


敵の男が呟いた。


朔は構え直した。


「……何?」


男は朔を見ていた。


恐怖ではない。


驚きだった。


「その動き……」


男の顔から血の気が引いていく。


「まさか……」


朔の眉が動いた。


「何を知っている?」


男は後ずさった。


「その足運び……」


朔は一歩近づく。


「答えろ」


「……影月流」


その言葉を聞いた瞬間。


朔の身体が止まった。


周囲の音が遠くなった。


銃声も。


怒号も。


水音も。


全部が消えたように感じた。


「……今、なんと言った?」


男は震えながら答えた。


「影月流……」


朔は刀を握る手に力を込めた。


その名を、この男が知っている。


それがおかしかった。


影月流は、とうに廃れた流派だった。


師匠の宗玄は言っていた。


――もう、俺たちしか知らない。


そういう流派だった。


少なくとも、朔はそう思っていた。


「お前……どこでその名を知った」


男は答えない。


朔が一歩進む。


「聞いている」


「……昔、見た」


「誰を?」


男の唇が震えた。


「お前と……同じ剣を使う男を」


朔の胸が大きく鳴った。


宗玄。


師匠の顔が浮かぶ。


だが、次の瞬間。


男が刀を捨て、逃げ出した。


「待て!」


朔が追う。


男は田へ入った。


泥に足を取られながらも走る。


朔も追った。


しかし、遠くから銃声が響いた。


――パンッ!


朔は足を止めた。


敵がさらにいる。


追えば撃たれる。


男はその隙に木立の向こうへ消えた。


「朔!」


隊長が叫ぶ。


「戻れ!」


朔は動かなかった。


影月流。


その言葉だけが頭の中を回っていた。


なぜ。


なぜ、この越後の戦場で。


自分の流派を知る者がいる。


師匠は言っていた。


「影月流は、もう終わった」


その言葉を、朔は信じていた。


だが。


もし違っていたら。


もし自分の知らない場所で、影月流を知る者が生きているなら。


宗玄は――。


「朔!」


もう一度、隊長が叫んだ。


「戻るぞ!」


朔はようやく振り返った。


「……はい」


その夜。


村の一軒家を借りて、兵たちは休んでいた。


朔だけは眠れなかった。


囲炉裏の火を見つめる。


手元には刀。


頭の中には、昼間の男の言葉。


――影月流。


朔は刀を抜いた。


月明かりが刃に映る。


師匠から教わった剣。


何千、何万と繰り返した動き。


それは、もう身体の一部だった。


だが。


その剣が何者なのか。


朔自身は、まだ知らない。


「……師匠」


小さく呟いた。


返事はない。


当然だった。


宗玄はもういない。


朔は刀を納めた。


そのとき、胸元の巾着が目に入った。


千代の顔が浮かぶ。


こんな戦場にいる自分とは、まるで違う世界にいる女。


あの家。


あの茶。


あの笑顔。


思い出すだけで、少しだけ呼吸が楽になる。


「……帰らないとな」


朔は呟いた。


影月流のことも。


師匠のことも。


自分の過去も。


まだ何も分からない。


それでも今は、


帰りたい場所がある。


翌朝。


朔たちは再び戦場へ向かった。


その背中を、


一人の男が遠くから見ていた。


昨日、逃げた敵兵だった。


男は小さく呟く。


「……あの剣」


そして、顔を上げた。


「まさか、宗玄の弟子が生きていたとはな」

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