第六.五話「エリュシオンは、まだ何も知らない。」
王都の北に、白い丘がある。
朝になると、その丘は城下より少し早く光を受ける。白い校舎は夜の名残を払い落とすように輝き、整えられた訓練場には、まだ誰の足跡もついていない。
王立エリュシオン学園。
この国で才ある者たちが、一度は目指す場所だった。
剣の才。魔法の才。加護の有無。血に刻まれた古い祝福。
ここでは、それらが測られる。
中央棟には、人の背ほどもある水晶が置かれている。
入学を望む者は皆その前に立ち、名を告げ、手をかざす。水晶は光り、色を変え、時に沈黙する。
強い光は―優秀。
珍しい色は―希少。
何も映さなければ――適性なし。
それが、この国の常識だった。
常識というものは、便利だ。
人を並べられる。
何かの理由を作れる。
学園は今日も、何事もない顔で朝を迎える。
鐘が鳴り、教師たちが廊下を歩き始める。訓練場では、早起きの生徒が木剣を振り始めていた。白い校舎の窓には、朝日が静かに反射している。
中央棟の奥、古い記録室では、誰も開かない箱が眠っていた。
その中に、名前の消された記録が一枚だけある。
『 測定―不能 』
『 水晶―破損 』
それだけが、短く残されている。
その記録を、今でも覚えている老人がいた。
生徒たちが学園長と呼ぶ男である。正式には理事長も兼ねているが、そんな長い肩書きを口にする者はほとんどいない。
老人は、その朝も記録室の前を通った。
扉の前で、ほんの一瞬だけ足を止める。
けれど、開けなかった。
「……測れるものだけが、才なら楽なのだがな」
誰に聞かせるでもなく、老人はそう呟いた。
廊下の向こうで、朝の鐘が鳴る。
澄んだ音が、白い丘を渡っていく。
エリュシオンは今日も美しい。
才能を測り、順位をつけ、優れた者を讃え、足りない者を落ちこぼれと呼ぶ。
その水晶が、いつか自分の小ささをもう一度知ることになるなど、まだ誰も、思ってもいない。




