第一話「父さんの昔話は、嘘にしては細かすぎる。」
俺が王立エリュシオン学園で「落ちこぼれ」と呼ばれるようになるより、ずっと前。まだ自分の力に名前も付けられず、世界の壊し方も、守り方も知らなかった頃の話だ。
五つか六つくらいだったと思う。
俺は辺境の村で、父と二人で暮らしていた。暮らしていた、と言っていいのかは分からない。俺たちは旅の途中で、たまたまその村に長く留まっていただけだったから。
けれど、朝が来て、飯があって。そしていつも目の前には父がいた。それだけで、子どもの俺には十分だった。
そして時々、俺の力が、普通の顔をして普通じゃないことを起こした。
――そんな頃の話。
※※※
僕の父さんは、嘘をつくのが下手だった。
いや、話そのものは面白い。むしろ、面白すぎるくらいだった。嘘の大きさだけなら立派なものだったからだ。竜が空から落ちてきただの、山が泣いたせいで川が生まれただの、王都の空に七日七晩、消えない火の鳥が飛んだだの、話の規模だけなら村の井戸端には到底収まりきらない。
ただ―下手だった。
嘘というものは、本来もっと軽くていい。ふわっと膨らませて、笑われたらそこで終わり。煙みたいに広がって、煙みたいに消えればいい。
なのに、父さんの嘘は妙なところだけやけに重かった。竜の鱗が右の翼だけで二百八十七枚剥がれたとか、受け止めた男の左膝が三日ほど笑っていたとか、その場にいた兵士が腰を抜かして、竜より先に治療所へ運ばれたとか。
そんな細かく語られると、嘘なのに妙な手触りが残る。だから子どもの頃の僕は、父さんの昔話を聞くたびに思っていた。
嘘をつくなら、もっとそれっぽい嘘をつけばいいのに、と。
―――
その日も父さんは、村の広場でこんなことを言い出した。
「昔、空から竜が落ちてきたことがあってな」
夕暮れだった。
一日が畳まれていく時間だ。畑から戻ってきた大人たちは肩に土を乗せ、羊飼いの少年は眠そうな羊を小屋へ押し込み、どこかの家からは肉と香草を煮込む匂いが流れていた。低い屋根の連なりは西日に焦がされ、土の道には子どもたちの影が長く伸びている。
僕たちの村は、世界の端に落ちた小石みたいな場所だった。王都からは遠く離れ、大きな街道からも外れている。商人が来れば半日分の話題になり、村長の犬がパン屋の籠をひっくり返せば翌朝まで語られる。
そんな村だから、父さんの昔話はよく燃えた。退屈な日常に投げ込まれた火種みたいに、子どもたちの目を一瞬で明るくする。
「竜って、どれくらい大きかったの?」
子どもの一人が聞いた。
父さんは少し考え、村の裏にそびえる山を指差した。
「あれより少し小さいくらいだ」
「嘘だ!」
「それ竜じゃなくて山じゃん!」
「山が崩れて落ちてきたんじゃん!」
子どもたちは笑った。僕も笑った。
山より少し小さい竜。そんなものは、もう生き物ではなく災害だ。空から災害が落ちてきたなら、人間にできることなど逃げるか祈るか、もうそのくらいだと思う。
「それで、その竜はどうなったの?」
「落ちてきた」
「それは聞いた!」
「村が潰れそうだったから、ひとりの男が受け止めた」
「無理だよ!」
「死んじゃうよ!」
「普通なら、な」
父さんは、まるで明日の天気でも話すように言った。
―普通なら、な。
その一言が、いつも変だった。
父さんの話には、普通ではない人がたくさん出てくる。竜を受け止める男。雷を剣で斬る女。泣いただけで魔物を追い払う子ども。酔って城門を外した大男。
…最後のやつだけは、たぶん本当にただの酔っぱらいだけど。
「その男は、すごく強かったの?」
別の子が聞いた。
父さんは、そこで少しだけ黙った。本当に短い沈黙だった。子どもたちは気づかなかったかもしれない。僕だって、普段なら気にしなかったと思う。
色あせた銀の髪に夕日が引っかかって、淡い紅を帯びる。父さんの深く赤い目は子どもたちの方を向いていた。けれど、その赤が何を見ているのか、僕には分からなかった。
それから父さんは、いつものように肩をすくめた。
「まあ、その話は長い。今日はここまでだ」
「えー!」
「またそこで終わるの!?」
「続き!」
「明日生きていたら話す」
「毎日生きてるじゃん!」
「それは良いことだ」
父さんは笑って、子どもたちの頭を順番に撫でた。子どもたちは不満そうだったけれど、父さんの話がいつもこう終わることを、みんな知っていた。父さんの話は、たいてい途中で終わる。大きく始まり、細かく脱線し、一番聞きたいところでぷつりと切れる。
…たぶん、話を盛りすぎて、最後の方を考えるのが面倒になるのだと思う。
「アレン」
父さんが僕を呼んだ。
「薪、割っておいてくれ」
「また?」
「昨日割った薪は今日燃えた」
「薪って儚いね」
「大人びる前に割れ」
父さんはそう言って、広場を離れた。僕も仕方なく、家の裏へ向かう。
―――
僕の名前はアレン。
黒髪で、濃い赤の目をしている。村の人たちはよく、僕と父さんの目を見比べて「親子だなあ」と笑う。父さんの目も赤い。ただ、僕の赤がまだ血の色に近いとすれば、父さんの赤は、火が燃え尽きた後の炭の奥に残る色に似ていた。
「そこだけが似てしまったな」
目の話をされると、父さんはよくそう言う。そこだけ、とは何だろうか。他にもっと言うことがあるだろう。
家の裏には丸太が積まれていた。
斧は壁に立てかけてある。持ち手は古く、何度も手入れされて黒ずんでいたが、握ると手に馴染む。父さんは普段、いろいろなことを雑に流すくせに、道具だけは丁寧に扱う人だった。
僕は丸太を一つ、台の上に立てた。
薪割りは嫌いじゃない。むしろ好きな方だった。腕を上げる。斧を下ろす。木が割れる。結果がはっきりしている作業は、僕にとって楽だった。そこには、余計な説明も、言い訳もいらないから。ただ、僕の場合、その単純さにすら裏切られることがある。
父さんには何度も言われている。
普通にやれ。
余計なことをするな。
人前では特にやるな。
――普通に
その言葉は、いつも僕の頭の中で小石みたいに転がっていた。小さくて、別に痛くはない。けれど、歩くたびに靴の中で邪魔になる。僕だって、普通にやるつもりだったのに。
斧を振り下ろす。
乾いた音がして、丸太が二つに割れた。ここまでは普通だった。問題はその次だ。
ぱかん、と後ろから音がした。僕はまだ斧を持ち上げてもいない。なのに、積まれていた丸太の一つが勝手に割れた。
ぱかん。と、続けてもうひとつ。
ぱかん、ぱかん、ぱかん。と、続けてもういくつ。
まるで丸太たちが、自分の順番を知っていたみたいだった。列に並び、名前を呼ばれ、はい次、はい次、と律儀に割れていく。
僕は斧を握ったまま固まった。家の裏に、変に整った静けさが落ちる。
振り向いた先には、詰まれていたはずの丸太ではなく薪が並んでいた。長さも、幅も、断面も、角度も、ほとんど同じ。まるで職人が一日かけて仕上げたみたいに、綺麗すぎる薪の列が。
…綺麗すぎるものは、時々怖い。
乱れていれば、失敗で済む。偶然で済む。けれど、あまりに整ってしまうと、そこに何かの意思があったみたいに見えてしまうから。
僕はしばらく薪を眺めた。それから、小さく呟く。
「……几帳面な木だったんだな」
「木のせいにするな」
背後から父さんの声がした。
振り返ると、父さんが腕を組んで立っていた。銀髪には、まだ夕日の赤が残っている。その顔は驚きよりも呆れが強かった。父さんにとってこれは、初めて見る光景ではないのだ。
「やったな」
「やってない」
「目の前に証拠がある」
「普通に割っただけだよ」
父さんは薪を一本拾い上げ、断面を眺めた。しばらくしてから、深く息を吐く。
「アレン」
「何?」
「薪は割れと言った。規格品にしろとは言っていない」
「規格品って何?」
「長さ、幅、断面、木目の揃い方。全部同じだ」
「やっぱり几帳面な薪だったんじゃないかな」
「薪に人柄を見出すな」
父さんは薪を戻した。
ここまでは、いつものやり取りだった。僕が少し変なことをする。父さんが呆れる。僕がどうにかごまかそうとする。家の裏では、わりとよくあることだった。
けれど、父さんはそこで声を落とした。
「人前ではやるなと言っただろう」
僕は口を開きかけて、閉じた。
父さんは普段、だいたいのことを笑って流す。畑で転んでも、酒に負けても、村長の犬に昼飯を奪われても、笑い話にしてしまう。でも、僕のこれに関してだけは違った。
父さんは笑わない。
「人前じゃないよ。父さんしかいない」
「父さんも一応、人間だ」
「一応って、自分で言うんだ」
父さんは笑わなかった。だから僕も、それ以上はふざけなかった。
風が家の裏を通り抜ける。綺麗に並びすぎた薪が、夕日に照らされて少し赤く見えた。
普通に割っただけなのに。ただ、父さんに頼まれたことをしただけなのに。結果だけが、いつも普通から外れていく。
「悪いことをしているわけではない。それは分かっている」
父さんが言った。
「じゃあ、いいじゃん」
「よくない」
父さんは僕を見た。沈んだ赤い目だった。
「悪いことをしていなくても、見つかると面倒なことはある」
またそれだ。
見つかるな。目立つな。人前でやるな。
―普通にしろ
父さんは何度もそう言う。そう言われる度に、僕は何度も頷く。でも、普通にしているつもりなのに、普通ではないものが勝手に顔を出す。まるで、僕の中に僕の知らない誰かが住んでいて、そいつが勝手に世界の端をつまんでいるみたいだった。
「僕、誰かに迷惑かけた?」
「今はな」
「なら、いいじゃん」
「今は、だ」
その言い方だけが、いつも少し重い。
僕は斧を地面に置いた。
「父さんってさ」
「何だ」
「昔、何かあったの?」
父さんは黙った。ほんの短い沈黙だった。
父さんは、作り話ならいくらでも出てくる人だ。空から竜が落ちてきただの、山が真っ二つに割れただの、大きな街の鐘が七日鳴り続けただの、聞いてもいない話を次から次へと並べる。なのに、自分のことになると、急に言葉が少なくなる。
そして、やっと開いた言葉は、いつも同じだ。
「色々あった」
「全部それで済ませるよね」
「便利な言葉だからな」
「便利に使いすぎだと思う」
父さんは少しだけ笑った。
「いつか話す」
「それ、何回目?」
「明日生きていたら話す」
「子どもたちと同じ扱いしないでよ」
今度も父さんは少し笑った。そして、僕の頭に手を置く。その手は大きく、少し硬かった。畑仕事の手でもあり、剣を握ってきた手のようでもあった。
「お前は、まだ知らなくていい」
その言い方が、少し嫌だった。
子ども扱いされたから、だけではない。父さんが僕の知らないどこかに立っていて、そこからこちらを見ているような気がしたからだ。僕は父さんの隣にいるのに、父さんの後ろにあるものを知らない。それが、少し悔しかった。
「……いつかって、いつ?」
「お前が、聞くべき時になったらだ」
「それも便利な言葉だね」
「父親は便利な言葉をいくつか持っている」
「ずるいな」
「大人だからな」
父さんは、並びすぎた薪をもう一度見下ろした。
「これは家の中で使う。人に見せるな」
「薪まで隠すの?」
「この薪は目立つ」
「きれいな薪が目立つ村か、田舎だな」
「大人びる前に運ぶのを手伝え」
父さんから聞かされる昔話は、規模の大きい嘘ばかりだった。けれど、父さん自身の昔について、僕はほとんど何も知らなかった。せいぜい、若い頃に少し無茶をしていたとか、旅先で妙なものを見たとか、そのくらいだろうと思っていた。
だって今の父さんは、畑仕事のあとに腰を叩き、酒を一杯で諦め、村の子どもたちに大げさな作り話を聞かせる人だ。やっぱり少し変だけど、でも、それ以上でもそれ以下でもない。
少なくとも、その時の僕はそう思っていた。




