表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
幕間:二

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/40

第十二.五話「二通の手紙は、まだ名前を呼ばなかった。」

 エルノートでの別れの夜、アレンはよく眠っていた。


 火の向こうで、小さな寝息が聞こえる。昼間は別れをあれほど重たそうに背負っていたくせに、眠ってしまえばただの子どもになる。


 父は、その顔をしばらく見ていた。

 まだ、自分の力に名前を持たない顔だった。

 夜の街道は静かだった。


 町を出て、半日ほど進んだ先の野営地。細い川が近くを流れ、石を撫でる水音だけが、火のはぜる音に混じっている。

 父は鞄を開けた。

 取り出したのは、二枚の紙だった。

 一枚は厚く、白い紙だった。旅の途中で使うには上等すぎる、折り目をつけることさえ少しためらうような紙。火の色を受けても、そこだけ夜から浮いて見えた。

 もう一枚は薄い紙だった。どこにでもある、折り目のつきやすい紙。けれど父は、そちらも同じくらい慎重に火のそばへ置いた。


 父は筆を持ったまま、しばらく何も書かなかった。

 書くべきことは多い。

 書いてはいけないことは、それより多い。


 火が小さく爆ぜた。火の向こうで、アレンが少しだけ寝返りを打つ。髪の毛先は、今はもう黒い。森の祠で漏れた白も、あの夜の紋章具の光も、今はどこにも見えない。

 やっぱり、ただの子どもに見える。だからこそ、父は少しだけ目を細めた。ただの子どもとして眠っていられる時間を、どれほど守れるだろうか。


 力に名前をつける者は、いつも外からやってくる。

 呼び名は違っても、どれも似たようなものだった。名前を与えた瞬間、人はその子を、その名の形でしか見なくなる。

 父が守りたいのは、力ではない。アレンという名の方だ。




 父はようやく、厚い紙に筆を下ろした。

 文字は少なかった。少なすぎるほどだった。けれど、その数行を書くのに、長い時間がかかった。何度も筆が止まり、何度も言葉が削られた。


 父は読み返さなかった。

 読み返せば、余計な一文を書き足したくなる。

 昔の名を、昔の借りを、昔の約束を、紙の上に引きずり出したくなる。

 それをしてはいけない。


 父は封をした。

 宛名は書かなかった。

 書かなくても届く相手だった。




 次に、薄い紙を手に取る。

 こちらには、さらに長く筆が落ちなかった。


 火の向こうで、アレンの寝息が続いている。

 


 薄い紙には、厚い紙より少しだけ長く書いた。けれど、それでも短かった。

 頼みを言葉にしすぎれば、願いは命令に似てくる。

 だから父は、頼みを減らした。

 言葉を減らした。

 最後に、小さく名を書く。

 その名は、火の揺れに隠れて読めなかった。


 父は封をしようとして、ふと手を止めた。

 何かを思い出したように、もう一度だけ紙を開く。

 筆の先が、迷うように宙で止まった。

 それから、端の方に小さく書き添える。


 迷わない石は、まだ彼の手の中にある。


 父は、その一文をしばらく見ていた。

 それ以上は書かなかった。

 薄い紙を折り、封をする。



 二通の手紙が、火のそばに並んだ。

 一通には、宛名がなかった。

 もう一通には、名があった。

 けれど、どちらの手紙も、まだアレンの名前を呼んではいなかった。

 それでいい、と父は思った。

 まだ、呼ばせるわけにはいかない。



 夜明け前、街道の向こうから馬の蹄の音が近づいてきた。

 音は一つ。

 急いでいるのに、騒がしくはない。暗い道に慣れた者の走り方だった。

 父は火を小さくし、二通の手紙を懐に入れて立ち上がった。

 アレンはまだ眠っている。起こす必要はなかった。


 道の端に、黒い外套の配達人が止まった。

 顔は見えない。

 言葉もない。

 父は二通の手紙を渡した。

 配達人は封を確かめると、一度だけ浅く頷いた。

 それだけだった。

 手紙は、言葉の少ない者に預ける方がいい。


 配達人は馬首を返した。

 東の空は、まだ青くなる前だった。夜と朝の境目に、細い白が一筋だけ差している。

 蹄の音が遠ざかっていく。

 誰へ送ったのか、アレンは知らない。

 どこへ届くのかも知らない。

 そこに何が書かれていたのかも、まだ知らない。

 ただ、二通の手紙だけが、彼より先に未来へ向かった。


 父は野営地へ戻った。

 火はほとんど灰になっていた。アレンはまだ眠っている。何も知らない顔で、何も知らないまま朝を待っている。

 父は毛布を、ほんの少しだけ肩まで引き上げた。


「まだだ」


 誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。


 アレンにか。

 世界にか。

 それとも、まだ名を呼ぼうとしている誰かにか。


 夜明けの風が、灰を少しだけ揺らした。

 父は立ち上がる。

 朝が来る。

 旅は続く。


 そして、二通の手紙はもう戻らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ