表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界最強の俺を、幼馴染が全力で落ちこぼれにしてくる件  作者: 浪留
第三章:王立学園

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/40

第十三話「白い丘は、やがて門となった。」

ちょっと長くなってしまった。

区切りどころがわからなくて…!!


それと忘れ去られたコメディ要素を学園編から意識してみました。メインだし。

そういえば、くすっと笑えるものを書きたかったなと、思い出しました。

(本当にくすっと笑えるのかは…読者様にゆだねる方針)

 道は、何度も形を変えた。


 森の湿った匂いの中を歩く日もあれば、乾いた街道で靴の裏が白くなる日もあった。宿場町の軒先で雨を待ち、知らない村の井戸水を分けてもらい、夜には火のそばで父さんの背中を見て眠った。

 旅は、どこかへ進んでいるようで、どこにも辿り着かない時間の連なりだった。


 エルノートを出たばかりの頃、僕は何度も後ろを振り返った。振り返ったところで、何かがあるわけではない。あの昔の出来事は、もう道の向こうに沈んでいる。それでも、何かを置き忘れたような気がして、それが胸の中から出ていかなくて、何度も振り返った。


 父さんは何も言わなかった。

 ただ、僕が振り返るたびに、少しだけ歩く速さを緩めた。

 それが優しさなのか、待っているだけなのか、僕には分からなかった。父さんの背中はいつも同じように見える。広くて、静かで、そこにいればたぶん安全だった。

 けれど安全な場所というものは、時々、自分の足の長さを分からなくさせる。

 僕はそのことを、旅の中で少しずつ知っていった。



 宿場町では、同じ年頃の子どもに腕相撲を挑まれた。力を入れないように、入れなさすぎないように、けれど不自然に見えないように手首を固めた結果、僕はあっさり負けた。相手は得意げに笑い、周りの大人たちは「旅の坊主にはまだ早いな」と言った。悪意はなかった。悪意がないから、余計に残った。


 川を渡る時、僕は向こう岸まで跳べる気がした。石と石の間隔も、水の流れも、足を置く場所も見えていた。けれど父さんは、僕の手を取って浅瀬を歩いた。水は膝までしかなかったのに、手を引かれている自分が、妙に小さく感じた。


 森の夜には、誰より早く獣の気配に気づいたことがあった。枝の折れる音。湿った土を踏む重さ。風に混じる獣の匂い。僕は顔を上げたけれど、父さんが先に火へ枝をくべた。獣は近づかず、朝には足跡だけが残っていた。僕は気づいていた。でも、なぜだか気づいたとは言えなかった。


 そういうことが、何度もあった。


 できる気がする。

 分かる気がする。

 でも、言えない。


 言えないまま黙っていると、それは最初からなかったことになる。

 なかったことになったものは、誰にも見つからない。誰にも褒められない。誰にも責められない。安全だった。とても安全だった。

 けれど、安全なまま、少しずつ胸の奥が狭くなっていった。



 その荷馬車を見つけたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 街道の端で、車輪がぬかるみに落ちていた。前日の雨が道の低いところに残っていて、土は見た目よりも柔らかくなっていたらしい。二頭の馬は苛立ったように鼻を鳴らし、商人らしい男が何度も車輪を覗き込んでは、額の汗を拭っている。


「手を貸す」


 父さんはそう言って、荷物を道端へ置いた。

 商人は助かったという顔をした。僕もその横に並ぶ。荷台には布袋がいくつも積まれていて、車輪の半分ほどが泥に沈んでいた。


「坊やも押してくれるのか」

 商人が言った。


「うん」

 僕は頷いた。


 手をかけた瞬間、分かった。やっぱり、簡単に上げられる。

 少しだけ力を出せば、車輪を泥から抜くくらいはできる。荷馬車ごとでも、きっと無理ではない。泥の重さも、荷の重さも、木の軋みも、手のひらから伝わってくる。

 でも、できない。

 道には商人がいる。父さんがいる。馬がいる。遠くには、別の旅人の姿もある。


 普通に。

 普通の子どもが出せる力で。

 僕はそう思って、力を抜いた。

 抜きすぎた。


「せーの!」


 商人の声に合わせて押す。父さんの肩が荷台に入る。車体が少し揺れる。けれど、僕の手だけが、どこか役に立っていないみたいに滑った。


 もう少し力を入れる。

 でも、入れすぎてはいけない。

 車輪が軋む。泥が鳴る。商人が唸る。父さんの足元の土が少し削れる。

 僕はその全部を見ていた。

 見えていた。

 だからこそ、どれだけ力を出せばいいのか分からなくなった。


「坊や、無理するな」

 商人が笑った。


「そこは大人に任せな」

 優しい声だった。


 僕を傷つけようとした声ではない。

 でも、その言葉は、泥よりも嫌な重みで僕の体の中に残った。


 父さんが無言で荷台に肩を入れ直した。次の瞬間、車輪が大きく鳴り、泥の中から抜けた。馬が前へ進み、荷馬車は街道の固い場所へ戻る。

 商人は何度も礼を言った。

 父さんは短く頷いた。

 僕は、泥のついた自分の手を見ていた。

 何もできなかった手。

 いや、何もしなかった手。

 その違いが、分からなくなりそうだった。


 僕はできる。

 たぶん、できる。

 でも、できると言えない。

 できると言えないなら、それはできないことと、どこが違うのだろう。


 ふと、クレアの声が耳の奥で蘇った。

 また会う時は、今より少しだけ、まっすぐ構えていてください。

 あれは剣の話だった。

 たぶん、最初はそうだった。

 でも、泥のついた手を見ていると、それだけではない気がした。

 まっすぐ構える。

 それは、剣を前に出すことだけではないのかもしれない。誰かの後ろに隠れず、自分の足で立つこと。できることを、できると言える場所に立つこと。

 そんなことを考えて、すぐに少し恥ずかしくなった。

 僕はまだ、荷馬車ひとつまともに押せなかった少年として、街道に立っているだけだったから。




 その夜、火の前で、僕はしばらく黙っていた。

 父さんは干し肉を小さく裂いて、湯に落としていた。火は低く、夜は深い。旅の夜は、知らない音で満ちている。虫の声、遠い鳥の声、木の葉が擦れる音。けれど父さんのそばだけは、どこか静かだった。


「父さん」


「何だ」


「僕は、いつまで普通にしてればいいの」


 父さんの手が止まった。

 ほんの少しだけ。

 それから、また干し肉を裂いた。


「普通でいられるうちは、普通でいろ」


「普通じゃなくなったら?」


 父さんは火を見た。

 火の中で、赤い芯がゆっくり崩れる。


「その時は、自分の名前を離すな」


「名前?」


「ああ」

 父さんは短く答えた。


「お前が何をできるかは、いつか誰かが勝手に名前をつける。才能でも、奇跡でも、災いでも、好きなように呼ぶだろう」

 僕は何も言わなかった。


「だが、それはお前の全部じゃない」

 父さんの声は、いつもより少し低かった。


「力の名前で呼ばれ始めたら、自分の名前を忘れるな。忘れれば、持っていかれる」


「何に?」


「名前をつけたがる連中に」


 父さんはそれ以上、説明しなかった。

 でも、僕には少しだけ分かった気がした。

 父さんが怖がっているのは、僕の力そのものではない。

 僕が、僕ではない何かとして呼ばれること。

 それがたぶん、怖いのだ。


 僕は火を見た。

 クレアは白い丘へ行くと言った。弱いことを知ったから、強くなる番だと言った。

 僕は、自分が弱いのかどうかも分からなかった。

 強いのかどうかも分からなかった。

 できることはある。

 でも、できると言えない。


 できないふりをしているうちに、本当にできないものが増えていく気がした。

 父さんの後ろは安全だった。

 でも、安全な場所にいるだけでは、僕はいつまでも僕の大きさを知らないままだった。


「父さん」


「何だ」


「僕も、エリュシオンに行きたい」


 言ってから、胸の奥が静かになった。

 ずっと転がっていた小さな石が、ようやく止まったような気がした。

 父さんは驚かなかった。

 火を見たまま、少しだけ息を吐いた。


「そう言うと思っていた」


「止めないの?」


「止めたい」


 即答だった。

 父さんらしいと思った。

 でも、父さんは続けた。


「だが、止めればお前は、私の後ろでしか立てなくなる」

 火が小さく揺れた。


「行けば、測られるぞ」


「うん」


「だが、測られたものが、お前の全部になるわけじゃない」


「分かってる」


「分かっていない」


 父さんはそう言って、ようやく僕を見た。

「だから、行くんだろうな」


 僕は何も言えなかった。

 白い丘は、まだ遠い。

 けれどその夜、遠かったものが、初めて行き先になった。





 それから、季節がいくつも過ぎた。

 父は剣を教えなかったけれど、倒れ方だけは教えた。魔法を教えなかったけれど、見られてはいけない時の呼吸だけは教えた。力の使い方は教えなかったけれど、力が漏れそうになる前の沈黙だけは、何度も叩き込まれた。


 俺は少し背が伸びた。

 少しだけ嘘が上手くなった。

 少しだけ、普通のふりが自然になった。

 でも、できることをできないふりで隠すたび、胸の奥には小さな傷が増えていった。

 その傷は、痛む日もあれば、忘れてしまう日もあった。


 宿場町の朝に、洗面器の水へ映った自分を見た。昔より少しだけ大人びた顔が、そこにあった。けれど目の奥には、まだ知らないものを知らないままにしている子どもが残っていた。


 父は何も急がなかった。

 ただ、道だけは少しずつ白い丘へ近づいていった。


 白い門の向こうに、王立エリュシオン学園があった。

 丘の上に建つそれは、遠くから見た時には城のようで、近づくと街のようだった。白い石の壁。高い尖塔。風に鳴る旗。門の前には、剣を提げた少年や、魔法杖を持った少女、従者を連れた貴族らしい子どもたちが並んでいる。

 誰もが、何かを持っている顔をしていた。

 家の名。

 才の証。

 積み上げてきた努力。

 あるいは、自分はここに来るべきだという、疑いのない背筋。


 俺は門の前で、一度だけ足を止めた。


「怖いか」

 父が聞いた。


「少し」

 そう答えると、父は小さく笑った。


「なら、覚えておけ」


 父は言った。

「怖い場所ほど、足元を見るな。前を見ろ」


 俺は頷いた。

 クレアの声が、ふと耳の奥で蘇る。

 また会う時は、今より少しだけ、まっすぐ構えていてください。

 俺は息を吸った。

 父の後ろではなく、白い門の前に立つ。




 ここでなら、分かるかもしれないと思った。

 俺が何を持っていて、何を持っていないのか。

 誰かに隠されるためではなく、誰かに守られるためでもなく、俺自身の名前で、俺自身の足で、何ができるのか、どこに立てるのか。


 俺は一歩、前へ出た。

 白い門の影が、足元を越えていく。



 そして俺は、王立エリュシオン学園の門を跨いだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ