第14章「先行事例」(1)道はインフラのインフラだ
翌朝、冷え込みの残る公民館で、凪は一人、タブレット端末の画面に向かっていた。
傍らには、大庭が淹れてくれた番茶の湯飲みが置かれている。コーヒーではない、素朴な茶葉の香りが、この場所の静けさに合っていた。
画面には、夜のうちに整理した手書きのメモがテキストとして打ち込まれている。
『道路』『電力・通信』『医療』。
その三つの柱の上に伸ばした矢印が、一点の解決策へと収束している。
三浦の言葉を借りれば、これは"手が届く範囲を決める"提案だ。押しつけではなく、輪郭の提示でなくてはならない。
窓の外に視線をやると、山並みにはまだ白い霧が絡みついていた。今日中にすべてを決め切る必要はない。ただ、話を聞いてもらえればそれで十分だ。凪はゆっくりとお茶をすすり、深く息を吐いた。
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午前九時、集会所に再び昨日と同じ顔ぶれが揃った。
葛城透、三浦真理、大庭村長、そして杉本淳と沙耶。子どもは隣室で待たせているようだ。光も昨日と同じ壁際に立っていたが、立ち位置はわずかに輪に近づいていた。
凪は準備しておいたA4一枚の要点紙を配った。プリンターが息も絶え絶えだったため人数分刷れず、二人に一枚の割合で覗き込んでもらう形だ。
葛城は紙を受け取ったが、すぐには目を通さず、じっと凪を見た。
昨日と同じように、凪は席に座ったまま静かに口を開いた。
「昨日、三浦さんと話して確認したことがあります。完全な遮断はインフラの自然劣化を招き、完全な依存は恐怖を生む。その両極端ではない場所を探りました」
凪の声は穏やかだったが、芯が通っていた。
「まず、道路について。NERVA車両の全面乗り入れ禁止を解除します」
その言葉に、葛城の指がぴくりと動き、手に持っていた紙の端をかすかに折り曲げた。聞いている証拠だ。
「ただし、村側がいつでも一時遮断できる『スイッチ』を残します」
「スイッチ……?」大庭が目をしばたかせた。
「はい。緊急時は村の判断で自動運転車両を止める。それは後からの権利主張ではなく、最初から設計としてシステムに組み込みます。同時に、手動運転用の車両と、それを扱えるヒューマンバックアップ要員を公式に村に配置します。人が運転できる道を、制度として守るんです」
葛城の表情は動かなかったが、背筋がわずかに伸びるのがわかった。
「その上で、保守用車両──電力、通信、医療の車に関してはアクセスを常時確保します。それだけは遮断の例外です。道が開けば、劣化した変圧器の点検ができ、基地局の蓄電池も交換できます。まずは既存のものを直す」
三浦が小さく頷いた。
「それと並行して、バックアップとしての小水力とソーラーを再設計します。今のままでは、停電のたびに規模が縮んでいくだけですから。医療に関しては、外部からの医療従事者の訪問を許可することを前提に、ワクチンや薬の定期供給を再開します」
凪は一息つき、全員をゆっくりと見渡した。
「道を開くことが、電気も通信も医療も、全部に効きます。道は、インフラのインフラです」
昨夜、暗い部屋で地図を見ながら呟いた言葉が、ここで初めて他人の耳に届いた。
「補足します」
三浦が手元のノートパソコンを開いた。バッテリー駆動の画面が、薄暗い部屋で白く浮かび上がる。
「変圧器は屋外で風雨に晒され続けていて、次の冬の凍結で筐体ごと割れかねない状態です。基地局の蓄電池は停電のたびに深放電を繰り返していて……あと一冬持つかどうか」
淡々とした技術者の声が落ちた。感情的な説得よりも、その残酷な数字のほうがはっきりと空気を変えた。
「早瀬さんの設計は、私が考えていたローカル制御モデルと骨格が完全に一致しています。技術的な妥当性は私が担保します」
長い沈黙が降りた。
葛城は手元の紙を裏返し、また表に戻した。
ゆっくりと顔を上げ、凪を見る。
「……全部を信じちゃいない」
部屋の全員が息を止めたように感じられた。
「だが、自分で切れるスイッチを残すなら……試す価値はある」
葛城の声に怒りはない。疑念が消えたわけでもない。それでも、「試す」という言葉が確かに引き出された。凪は黙って頷くだけにとどめ、決して追い打ちをかけなかった。
「ふむ……」大庭がわざとらしく咳払いをして、重い口を開いた。「県への説明としては、『ヒューマンバックアップ先進地域』という形で取りまとめたいと思います。自動化一辺倒ではなく、人が主体的に関与する地域モデルの実証として、ですね」
三浦が苦笑を噛み殺した。葛城も小さく鼻で笑い、「……うまいもんだ」と呆れたように呟く。
「あの」
杉本淳が、横の沙耶と顔を見合わせてから、小さく手を挙げた。
「子どものワクチンとか、薬は……ちゃんと来るようになるってことですか?」
沙耶の目が赤くなっている。声を出さずに、ただ祈るように凪を見つめていた。
「はい」凪ははっきりと答えた。「それが一番最初に動く部分です」
沙耶が、祈りが通じたように短く、震える息を吐き出した。それが、会議室に張り詰めていた最後の強張りを解かしていくのがわかった。
「では、この方向で進めてよいということで」
大庭が最終確認を取った。
葛城は言葉で返事はしなかったが、椅子を引いて立ち上がった。それは退席の拒絶ではなく、場の区切りとしての、立礼に近い動作だった。
「実装の優先順位を整理します。変圧器の点検からすぐに動けますね」三浦が素早くキーボードを叩き始める。
決まった、とは思わなかった。──ようやく、始まったのだ。




