第13章「分かれ道」(1)線の引き直し
話し合いの場として用意されていたのは、すでに廃校になった旧小学校の公民館だった。
窓の外には、暮れなずむ山並みが広がっている。室内の蛍光灯は全体の三分の一ほどしか点灯しておらず、そのうちの一本がちかちかと不安定に点滅していた。残りは消えたままだ。変圧器の不調が、ここにも届いている。
会議用の長机を囲むように、数人の男女が座っていた。
「またお上の回し者かと思ったが──お前か」
部屋に入った凪を見るなり、テーブルの奥で腕を組んでいた男が低い声を這わせた。
葛城透。四十代後半。眼光の鋭い、痩せた男だった。御母衣の夜、暴走する違法改造車をV2Vの緊急割り込みで強制停止させたとき、凪が対峙した相手だ。
凪は立ち止まり、真っ直ぐに葛城の目を見返した。
「あの車が誰かを殺す前に止める必要があった。それだけです」
室内の空気が一拍、凍りついた。葛城は凪を睨みつけ、凪は目を逸らさない。数秒の沈黙の間に、見えない値踏みが行われていた。
「……難しいことはわからないけど」
その緊張を横から切り裂いた声があった。
杉本沙耶。三十代の母親だった。夫の淳とともに座り、膝の上の幼児の背中をゆっくりと撫でている。
「私たちが知りたいのは、子どものワクチンと薬がちゃんと届くかどうかだけです。道があろうがなかろうが、それだけは欲しいんです」
飾り気のない声だった。だが、その声には蛍光灯の点滅よりもはるかに確かな切実さがあった。
凪はゆっくりと頷き、用意されたパイプ椅子に腰を下ろした。立ち上がらず、低い目線のまま、静かに口を開く。
「私は、ここに中央のシステムを押しつけに来たわけではありません」
葛城の眉がかすかに動いた。
「どこまでを自分たちで持つか、どこからを外に預けるか。その線を、自分たちで引けるようにするために来ました」
葛城は黙ったままだった。隣に座っていた三浦真理──眼鏡をかけた三十代の女性技術者が、わずかに顎を引いて頷いた。大庭は長く息を吐いた。肩の力が、少しだけ抜けたように見えた。
後方の壁際で背中を預けていた若い男──光だけが、腕を組んだまま面白そうに凪を見ていた。
---
休憩になった。
凪は公民館の薄暗い廊下に出て、自動販売機の前に立った。電源が落ちている。ランプは消え、硬貨を入れることすらできない。指先で投入口に触れた。金属の縁が冷たかった。
「皆、言ってることはそれぞれ正しいんすよ」
背後から声がかかった。
光だった。自販機の側面にもたれ、手元のスマートフォンを意味もなく弄っている。画面は点いていたが、圏外の表示が出ているはずだ。
「村長の焦りも、葛城さんの恐怖も、杉本さんちの心配も。でも、全部足したら現実詰み、みたいな会議ですよね」
上の世代の議論を冷めた目で見ている声だった。だが、無関心の声ではない。冷めているのは距離の取り方であって、視線の温度ではなかった。
凪は自販機の消えたランプから目を外し、光を見た。
「……詰んでいるなら、盤面を変えるしかない」
「え?」
「一つ一つの正しさがぶつかって動けないなら、線を引く場所自体が間違っている」
凪はそこで言葉を切った。廊下の奥で、蛍光灯が一つ、小さく明滅した。
「それを引き直すだけです」
光が少し目を見開いた。
凪はそれ以上何も言わず、背を向けて会議室へ戻った。廊下に残った光の気配が、背中越しに消えていくのを感じながら。




