第12章「山の端のコミューン」(3)たどり着けなくなった場所
週明けの月曜。日環ロジスティクス新座拠点。
巨大な管制センターには、以前と変わらず無数のモニターが並び、光点が日本地図の上をなめらかに移動している。だが、今は画面の隅に『国内主系:正常 バックアップ:5秒前に同期済』の表示が常時点灯している。
統合運用課のデスクで、凪は目の前のタブレット端末をスワイプし、重苦しい報告書に目を通していた。
タイトルは『NERVA復旧拒否地域の動向分析』。
NERVAの復旧が進むにつれ、一部の地域では自動運転車両の受け入れを拒否する動きが散発的に起きていた。あの崩壊の恐怖──「また全部壊れたらどうするのか」という根源的な不安が、人々を極端な拒絶へと走らせている。方針は地域ごとに様々だが、根底にあるのは「線を一本に絞ることへの恐怖」だった。
凪には、彼らの気持ちが痛いほどよくわかる。自分もかつて、同じ恐怖に苛まれていたからだ。だからこそ、頭ごなしに否定することはできない。
ただ、復旧を拒んで「道を閉じる」ことに対する具体的な正解を、凪自身もまだ持っていなかった。報告書に並ぶ数字や事例をいくら読んでも、そこには「設計と落とし所」という答えが見つからない。現場に出向いて、自分たちで線を引ける人間が圧倒的に足りていなかった。
「早瀬さん」
デスク越しに、部下の宮田が声をかけてきた。
「佐伯さんから、お電話の引継ぎです」
「ありがとう。私に回して」
凪は自端末で通話を受けた。昨夜の「困った話」の、具体的な本題だった。
「改めて、大庭村長からの件を説明します」
佐伯は荘川周辺の山間部自治体で起きているインフラの連鎖劣化について語った。自動運転を拒否した結果、保守要員も入れなくなり、電気も通信も落ちかけていること。そして、その強硬路線の中心にいるのが、「葛城透」だということ。
「……あの事件の」
凪は息を呑んだ。違法改造車を使って事故を起こしかけた男。かつて自分がV2Vの緊急割り込みで強制停止させたあの車の主だ。
「ええ。執行猶予がついて、今は大庭さんの村に身を寄せています」佐伯は淡々と続けた。「あいつら──葛城たちは、あなたを恨んではいないんです。彼らの仲間に三浦という技術者がいてね。日環が公開した当時のレポートを読んで、あの暴走車を止めたのがあなただと気づいたらしい。『わかっていて止めた奴だ』と、妙に買っている」
「……」
凪は無言でモニターを見た。報告書のただの文字列が、突然、血肉を持った具体的な顔として立ち上がってきた。
「大庭村長は疲弊しています。行政からの圧力と、村を守りたいという思いの板挟みです。技術的な妥協点を見つけ、現場で説得できる人間が必要なんです」
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通話を終えると、凪は迷わず立ち上がった。
教習所で言われた言葉が蘇る。『頭で運転しすぎだ』『知っているだけでは足りない』。
報告書をデスクで読んでいるだけでは、同じことだ。課長として、そしてかつて彼らの車を止めた責任ある当事者として、現場を見るべきだ。それに……自分自身も、答えを探していた。
凪は統合運用課を統括する藤原部長の個室に向かった。
藤原に事情を説明し、現地視察を上申する。藤原は国交省とも太いパイプを持つ男であり、政府側でも山間部の「復旧拒否」は頭の痛い特異ケースとして認識されていた。
「ちょうど政府でも、彼らと対話できる現地調整役を探していたところだ」藤原は深く頷いた。「いいだろう。ただの反対運動の視察ではなく、モデルケース構築のための公式な業務として行ってこい」
許可は下りた。
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翌朝、持ち物を整理した凪は、公用車の前で管制要員の河野から声をかけられた。
「気をつけてね、早瀬さん」
「ただの視察だから。大げさにしないで」
凪は少しだけ笑って、紙の地図をバッグに押し込んだ。デジタルが死んだときの備え。あの時から新しい癖になった。それと、端末に名刺。着替えなど最小限の宿泊セットも持っている。
自動運転の公用車が新座を出発し、高速道路に乗る。
滑らかな加速。完璧な車間距離。
数時間後、車は関越から外環、そして中央道へと抜け、山間のインターチェンジを降りた。
窓の外に、晩秋の色に染まる山肌が近づいてくる。色が失われつつある寒々しい風景。
数日前に大庭が見ていた風景に、凪は今、別の方向から近づいていた。
やがて、端末から合成音声が流れた。
『村の入口まであと二十分です』
そこから先は、端末が案内できない場所だった。




