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凪の轍 〜リビルド〜  作者: 黒犬


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第17章「凪の夜明け」(2)窓の向こうの明かり


 その日の夜。公民館の片隅に、波多野が声をかけた十数人の住民が集まっていた。


 城崎と周の姿もある。稼働している半分だけの照明が、彼らの疲れた顔に影を落としていた。


 凪は立ったまま、手元を見ずに簡潔な言葉で提案を述べていった。


「条件は四つです。一つ、全員の医療検査の実施、隔離、および情報共有への同意。二つ、宗国製の通信機器および発電機を米国製へ全交換すること。三つ、今後の物資供給をヒューマンバックアップ制度の枠組みに切り替えること。四つ、コミューンとしての自治の継続は妨げないが、検疫と安全保障上の最低条件を満たすこと」


 会議室は静まり返っている。


「山間部のコミューンは、道だけの問題でした。だから線引きが明確だった。しかしここは電力、通信、物資、そして医療が全部絡んでいる。だから条件が多くなります。ただし、条件はすべて明文化し、隠し事は一切しません」


 凪が話しているあいだ、キャビンの仮眠スペースから降りてきた荒木が、窓の外から建物を静かに見ていた。矢島はその横で黙々と荷降ろしを継続している。


「通信機器と発電機の全交換が必要なのは」凪はさらに続けた。「宗国製の機器にあらかじめ組み込まれているバックドアのリスクを排除するためです。論理の切断ではなく、機器ごとの入れ替えが必須になります」


 その言葉の直後だった。


「我々の理念は──」


 城崎が立ち上がり、声を張り上げようとした。


「城崎さん」波多野が静かに、しかし絶対的な重さでその言葉を遮った。「理念で子どもの熱は下がらない。現実を見てくれ」


 城崎の口が半開きになり、言葉が宙に浮いた。


「彼らは、我々のデータを持って帰っただけだった」


 周が、小さく明瞭な声で続いた。感情的な非難ではなく、ただ冷徹な事実として響いたその一言は、城崎の足元を完全に崩した。


 城崎はパイプ椅子に崩れ落ちるように座った。『怒り』ではなく、『諦め』でもない。自分がすべてを懸けて守ろうとしてきたものの中心に、最初から何もなかったのだと気づいた者の、空洞のような表情だった。


 長い沈黙が流れた。


「……条件を、聞かせてくれ」


 城崎が地の底から絞り出すように言った。


 凪は彼を追い詰めなかった。ただ、一言だけ付け加えた。


「あなたが書いたマニフェストの中に、正しい部分は確かにあります」


 凪の声には同情も哀れみもなかった。


「ただ、それを自分たちで決めるためには、生きていないといけません」


 城崎は顔を上げず、ただ小さくうなずいた。


「聞いたな。どうする」


 波多野が仲間に向かって問う。反対意見を述べる者は誰もいなかった。波多野が最初に手を挙げ、それに続くように全員が顔を縦に振った。


 凪は迷わず無線機を取った。


「合意が取れました。これより、発電機の入れ替えをはじめます」


---


 凪の声に高揚はなかった。すぐに次の作業が始まる。


 外に出ると、荒木がすでに銀嶺号の荷台から工具箱を引きずり出していた。仮眠スペースで身体を休めていたはずの七十三歳の背中が、作業着のまま夜風の中に立っている。目の色が、さっきまでとは違っていた。


 第一種電気工事士の資格を持つその手が、積んできた米国製発電機の結線作業に取り掛かった。封鎖線の設営で外にいた自治体職員の中にも有資格者がおり、彼が急遽呼び出されて荒木のサポートに入った。


 ズン、という腹の底に響くような低い振動音とともに、米国製の大型発電機がシステムを立ち上げた。


 仮設の配電盤を経由し、まず優先的に照明と医療機器への給電が開始される。


 パチ、パチ、と音を立てながら、公民館の天井に残っていたすべての蛍光灯が一斉に白い光を放った。


「電圧安定。次は通信機器の組み立てです」


 凪がタブレットを開き、山間部コミューンにいる三浦と回線を繋ぐ。三浦がリモートで結線と設定の誘導を行い、凪がその内容を中継する。三浦の言葉は速く、専門的だった。しかし凪にとっては、一度聞いた数字と手順を荒木たちの言葉に変換するだけの作業だった。技術的な言葉が短く正確に飛び交い、荒木と自治体職員が配線を組み替える。


 電力が完全に戻った瞬間、沈んでいた住民たちが一人、また一人と顔を上げた。


 誰かが歓声を上げる前に、凪はもう次の作業の指示を出していた。


 矢島とともに残りの検査キットを配布し、医師に使用方法を説明する。


 ふと見ると、発電機の入れ換え後から助手席に戻り現場を見ていた荒木が、いつのまにか外に出て段ボールを一箱、肩に担いで運んでいた。


 凪はそれを見ても何も言わず、指示書の次の項目へ目を落とした。


 やれることを、やっただけだ。それ以上の言葉は浮かんでこなかった。

 でも、「やれること」の輪郭が、以前より少しだけ広くなっている気はした。

 山間部では、最後に「嘘ではない」という一点を確かめてから動いた。今夜は、確かめる前に動いていた。──それが正しかったかどうかは、ここでは判断できない。

 胸を張るような達成感もない。ただ、今夜の仕事はこれで区切りがつく。


---


 封鎖線の外側。検疫ゲートの隣に設置されたテントの中で、厚労省の検疫職員が記録用の端末に簡素な報告を打ち込んでいた。


『旧式のディーゼルトラックで封鎖線を越えた民間の調整役が、内部の交渉を一夜で成立させた。同行者は二名。いずれも民間人。使用した手段は書類と物資、そして対話のみ』


 端的な文章だった。事実だけが並んでいる。しかし、事実だけを並べたはずのその文章は、すでに一つの物語の輪郭を帯びていた。


 凪自身は、その記録の存在を知る由もなかった。


 彼女はただ、すべての責任と引き継ぎを医療チームに渡し終え、空になった荷台のアオリを閉じるのを手伝っていた。


 銀嶺号のエンジンがかかる。


 夜明け前の冷たい空気が、排気ガスとともに白く震えた。山の稜線の向こうで、空が紺色から薄い紫色へと変わり始めている。


 凪は助手席に乗り込む直前、一度だけコミューンの建物を振り返った。


 窓の向こうには、確かな明かりが点いていた。


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