第三章 主君への思い
左月斎は自宅の庭にいた。
庭はあまり整えられてはいなかったが、それでもサザンカやツワブキの花が咲いていた。
冬の冷気が土の匂いを運び花弁の色をいっそう際立たせている。この寒い時期でも、地面にしっかりと根差し、ツワブキの葉はまるで蕗のように丸く 鮮やかな黄色の花びらは心の中を温かく照らしてくれているようだった。
左月斎は庭のツワブキを見つめながら、静かに呟いた。
「輝宗様はツワブキの花の如き人であった……」
その言葉と共に、胸の奥に遠い昔の光景がふっと立ち上がる。
あれは、天文二十四年の冬。輝宗が初めて戦場に立った日のことだ…
――
当時、輝宗はまだ十一歳。
幼さの残る顔立ちに、当主の嫡男としての責務だけが重くのしかかっていた。
良直は四十二歳。
すでに数々の戦場を駆け抜け、伊達家の“武”として名を知られ始めていた。
その日、吹雪は容赦なく戦場を覆い、視界は白一色に染まっていた。
敵味方の足音すら雪に吸い込まれ、ただ風の唸りだけが耳を打つ。
輝宗は震える手で刀を握りしめていた。
寒さだけではない、初陣の恐怖が、幼い胸を締めつける。
「良直……そなたは、怖くはないのか」
背中越しに聞こえた声は、震えていた。
良直は静かに答えた。
「怖くない者などおりませぬ。ですが――殿が背におられるなら、私は退きません」
「どうしてじゃ」
「殿、我が鬼庭家には、代々守られてきた掟と言うべき言葉がございます」
「それはいったいどのような言葉なのじゃ」
良直は答えた
「力は守るべき者のために」
輝宗は息を呑んだ。
その言葉は、吹雪の中で灯る焚き火のように、胸の奥を温めた。
その瞬間、雪煙を上げて敵勢が襲いかかってきた。
良直は大槍を振るい、輝宗は震える手で刀を抜いた。
二人は背中を合わせ、互いの死角を補い合いながら、吹雪の中で敵を退けた。だが、敵は次々と現れ、状況は劣勢のまま。
「まずい、このままでは全滅か…」
そう思った時、一陣の風が竜巻のように二人の周囲を巻き上げた。
視界が白く霞み風が止んだ時、周囲の敵はすべて倒れ、代わりに黒ずくめの影が一人、雪の上に立っていた。
「お二人とも、お怪我はありませんか」
「そなたは……何者だ」
「伊達家譜代の隠密、黒脛巾組の黒磁と申します」
そう言い終えると、良直は驚き
「おおっ黒磁か。久しいの。覚えておるか。良直じゃ、鬼庭の良直じゃ。伊達の騒動では助けられた。それで今はどうしておる?」
「それは…、言えませぬ」
「はっはっは、さもあらんな。聞いた私が間抜けだったな」
黒磁は深く頭を下げると、音もなく吹雪の中へ消えていった。
戦いが終わった後、輝宗は肩で息をしながら言った。
「良直……そなたが背にいてくれたから、わしは生き延びた。かたじけない」
良直は深く頭を垂れた。
「殿。私の守るべき者は、殿にございます」
良直は輝宗にそう誓った。
――
左月斎はそんな輝宗とのやり取りを思い出し懐かしんでいた。
胸の奥に、もう一つの記憶が静かに浮かび上がってくる。
――
輝宗が父の晴宗から家督を譲り受けて当主となったばかりの頃、天文の乱により急激に低下した伊達家の力と信用は未だ回復しておらず、輝宗にとっても前途多難な船出となっていた。
そんなある日、輝宗は良直を静かに呼び寄せた。
「良直、そなたを評定役に任ずる」
あまりに突然の言葉に、良直は思わず息を呑んだ。
「わ、わたくしが……評定役に、でございますか」
「そうだ」
輝宗は、良直の目をまっすぐに見つめ、続けて言う。
「そなたの目は、戦場の風を読む。そなたの心は、人の情を知る。そして何より……そなたは、わしの背を守った男だ」
吹雪の日、背中合わせに戦ったあの夜、輝宗の震える声、そして最後に見せた強い眼差し…。
輝宗は続けた。
「血筋でも家柄でもない。わしは“人”を見て家を治めたい。良直、そなたの才を、わしに貸してほしい」
良直は胸が熱くなり、言葉が出なかった。
やがて深く膝をつき、頭を垂れた。
「この命、殿のために使い切りましょう。殿が望むなら私は鬼にもなりましょう」
輝宗は静かに頷いた。
――
そんなことを思い出しながら左月斎は横になっていた。
風が庭木を揺らし、ツワブキの花弁がひとひら落ちる、その時、闇の中を音もなく横切る黒い影を感じた。
左月斎は空気の揺らぎを感じ、すぐに目を開けると、暗闇の中から声がした。
「鬼庭左月殿」
「黒脛巾組の者だな」
左月斎は低い声で尋ねた。
「はい。子龍もしくはリュウとお呼びください」
「承知した。ところで黒磁はどうしておる?輝宗様初陣の時や、伊達家内紛の際など、大分世話になったからな」
すると子龍は少し困ったような顔をして
「はぁ、黒磁ですか…。あの方は私の父のような方ですが…正直、私にも分かりませぬ。生きているやら死んでいるやら…」
「はっはっは、そうか分らぬか、相変わらずだな、あやつも」
そう言って、左月斎は懐かしそうに天井を見上げた。
部屋の中には静寂が満ち溢れていて、聞こえるのは遠くからの犬の遠吠えと、時折吹く風によって揺らされる木の葉がこすれ合う音だけだった。そんな闇の中で、左月斎はおもむろに話を始めた。
「リュウよ、今、輝宗様の弔い合戦と称して政宗様が一万三千の兵を率いて二本松を攻めている事は知っているな?」
「はいっ」
「なかなか城が落ちず、大分てこずっている様だが、この機に乗じて佐竹義重が南奥州の大名たちを集めて、反伊達軍を作らんとしている事。そしてその大軍で伊達を潰さんと北上の動きがある事」
「それも存じております」
「すぐ戻って軍を建て直せばよいのだが、弔い合戦と称しているので、若の性格上、戻る事は無いと思う」
「……」黙って聞いている子龍 。
「わしは急いで二本松に向かい、若に此度の戦の策を献上してくるが、それでも勝てる見込みはない。佐竹義重は、中央の主力軍後方に陣取り、前線は寄せ集めの大名達に当たらせるだろう。我らの戦い方をもってすれば、初めのうちは互角に戦える、それどころか場合によっては押し勝つ場面も有り得る。しかし、相手の中軍が出てくる頃になると、多勢に無勢、寄せ集めの軍とは言え、持ちこたえるので精一杯であろう。その時、相手方で厄介なのが小野崎義昌よ。あやつが出てくると、流れが一気に佐竹に傾く恐れがある」
「正鵠を得ております」
「ただ、義昌は非常に傲慢で、人の恨みを買いやすいと聞く。リュウよ、そなたは義昌の身内の者に餌を与え、寝首を搔くよう仕向けるのじゃ。誰か適当な奴はおらんか?」
「前田沢兵部あたりがよいかと…」
「なるほど。確かに、奴ほど変わり身の早い者はおらんな」
「お任せください」
「それと、佐竹が大軍を編成すれば、一時佐竹の城は空になる。この事を餌にして、関東の北条や安房の里見など、近隣の大名どもを動かすことはできぬかのぅ」
「たやすき事です。これだけの条件がそろえば彼らにとって佐竹領を奪い取る絶好の機会となる事明白。簡単に餌に食いつくでしょう」
「佐竹と言えど背中を焼かれたら二本松どころではなくなるじゃろう。頼むぞリュウ」
「御意」
そう答えると、黒い影は再び闇の中に帰って行った。
政宗は、七日間の喪が明けてすぐに二本松城を攻めていたが、相手もしぶとく、加えて城のつくりも籠城に適したつくりであったことも手伝って、なかなか落とす事が出来ず手を焼いていた。それを外から眺めていた南奥の佐竹義重は、今が好機とふんで、南奥の諸大名たちに二本松の鎮圧のため参ずるよう書状を送った。
書状は対等な立場で書かれてはいるが、当時の力関係を考えれば、ほぼ命令に等しかった。
書状が送られてきた大名たちは
「一緒に二本松を救いましょう、などと言ってはおるが、今の力関係であの戦場の鬼と言われた佐竹義重に逆らえるものはおらんじゃろ」
「あの蘆名も内紛があって、あのざまじゃから」
「ここは嫌でも兵を出すしかなかろう」
こうして結成された軍は、佐竹義重を大将とした佐竹軍中心の軍で、さしずめ佐竹連合軍と言ってもおかしくなかった。
佐竹連合軍は二本松を目指して北上を開始。その数三万。対する政宗率いる伊達軍は一万三千。誰もが伊達はが退くものと考えていた。
そんな状況の中、伊達軍内で主要な面々が集まり、佐竹連合軍と二本松に対しての軍議が開かれることとなった。




