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第九章 風三角(かぜみつかど)

 雪混じりの風が一層強さを増していた。

 人取橋のたもとに立つ六十の兵は、皆、老いを隠そうともしない顔つきであったが、その眼光だけは若武者のように鋭かった。

 左月斎は、ゆっくりと風の流れを読むように目を閉じた。

「来る」

 その声は誰に向けたものでもない。ただ、風に語りかけるような静かな呟きだった。

 老兵の一人が、隣の男に小声で言った。

「左月様の背に立てるのも、これが最後かもしれんのう」

「ふん、わしらはとうに覚悟はできておる。若い衆に任せて隠居する身じゃ。ここで散るなら本望よ」

 二人は笑い合ったが、その笑みには、長い年月を共に生き抜いてきた者同士の深い情が滲んでいた。

 左月斎はその気配を背中で感じ取り、静かに頷いた。

「皆の者。わしらは死ぬためにここへ来たのではない。政宗様の背を守るために来たのだ」

その言葉に、六十の兵が槍を握り直した。

その時、遠くから地鳴りのような音が響いた。

 佐竹軍二万五千の軍勢が、雪煙を上げながら迫ってくる。

物見の兵が叫んだ。

「報告! 敵軍、二万五千! こちら六十?」

 その声が響いた瞬間、老兵たちは一瞬だけ静まり返った。

次の瞬間――どっと笑いが起きた。

「六十で二万五千を迎え撃つなど、聞いたことないわ。ずいぶんと手厚いもてなしじゃな」

「わしら、そんなに怖がられておったのか」

「はっはっは! 老いぼれ六十人に二万五千とは、佐竹も随分と腰が引ておる!」

「いや待て、それだけおるなら、一人五百は斬らねばならんぞ」

「五百か……わしの腰がもつかのう」

「安心せい。どうせ腰が抜ける前に斬られるわ!」

「よいか、わしらの役目は橋を渡らせぬこと。一歩たりとも退くな。ここが、わしらの死に場所よ」

 六十人は、三人ずつ前へ進み出た。

 それぞれが自然と三角形を作るように立つ。

 鬼庭家に伝わる「風三角(かぜみつかど)」の陣。

中央の者が槍を構え、左右の二人が風の揺らぎを読むように身を低くする。 老兵の一人が笑いながら言った。

「三人で一つ。昔からのやり方じゃな」

「おうとも。わしらは三人で一人分の若武者よ」

「いや、三人で一人分なら弱うなっとるわ!」

「はっはっは!」

 笑いながらも、三人の足は雪に深く沈み、絶対に退かぬ構えを作っていた。左月斎はその笑いを背に受け、ゆっくりと振り返った。

「皆の者。笑っておれ。笑えるうちは、まだ死なん」

 老兵たちは槍を握り直し、雪の上にしっかりと足を踏みしめた。

「さあ、行くぞ。政宗様の背を守るのは――わしら六十で足りる」

風が鳴いた。その風は、六十人の老兵の笑い声を乗せて、白い雪原へと消えていった。

 左月斎は、この殿軍を募る際に小十郎に条件を出していた。一つは、その者がいなくなっても後の事を任せられる子がいる者である事、そして、充分な恩賞を与える事、である。老兵軍はこうして出来た。

 突然、強い風が左月隊の中を走り抜けていった。

 左月斎は、風の向きが変わったのがわかった。今まで西から東へ吹いていた、冷たく乾燥した磐梯降ろしが、北から南へ吹く湿った風に変わり、雪の量も増え、視界が一層悪くなった。

「うむ、天も我らに味方してくれるようじゃ。この向かい風では、奴らは目を開ける事すら出来んじゃろ。地の利、我らにあり、じゃ。案ずることは無い、我らで二万の兵を蹴散らそうではないか」

「おおーっ」

 雄叫びが灰色の空にこだました。

 佐竹連合軍二万五千の先陣が、白き地を踏みしめて迫る。

 敵兵が驚いて叫んだ。

「老兵六十人で、我ら二万を止めるつもりか!」

 左月斎は深く呼吸をし、息を整えると、槍を地に突き立てた。

「我が名は鬼庭左月斎。伊達の道を、ここに架ける」

 左月斎の地鳴りのような声が響き渡った。

 佐竹軍の騎馬隊が雪煙を上げて突っ込んでくる。

 地面が震え、空気が押しつぶされるような圧が迫る。左月斎は風の流れを読むように、わずかに顔を上げた。

「風が止む。馬が来るぞ」

三人一組の“風三角”が一斉に槍を構えた。

「踏ん張れぇぇぇい!!」

 六十の足が雪を噛み、橋の前に“壁”ができた。

 騎馬隊が突っ込んだ瞬間、激しい金属音がした。

 槍の穂先が馬の前あてを正確に捉え、勢いを殺す。馬が悲鳴を上げて倒れ、騎馬武者が雪の上に転がる。

「なっ、止まった?六十で、騎馬隊が止められただと?」

佐竹軍の武将が、信じられないと言った表情をしている。

左月斎は力強く叫ぶ。

「橋は渡らせぬ。ここが、わしらの庭よ」

 倒れた騎馬武者に、三人一組が同時に動く。中央の者が槍で突き、右の者が足を払って転ばせ、左の者が短刀で止めを刺す。

動きは無駄がなく、まるで一つの生き物のようだった。

「右、来るぞ!」

「任せろ!」

「左、揺らぎが変わった!」

「見えておる!」

 三人の呼吸は完全に合っていた。若い兵にはまねできない老兵だけが持つ戦場の呼吸だった。佐竹軍の後列がざわめく。

「六十?六十で、ここまで?」

「いや、違う、あれは六十ではない。三人一組で動いているのだ」

「しかしまるで六十ではなく、二百にも三百にも見える」

「鬼庭……本物の鬼か?」

 恐怖が広がっていく。左月斎は槍を構え、風の揺らぎを読むように目を細めた。

「皆の者。ここを退けば、政宗様の背が危うい。わしらはこの橋を守るために生まれてきたのじゃ」

「誇れ!」

「うおおおおおおおお!!」六十人が一斉に吠え雪原が震えた。

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