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第八章 最強の殿軍

 退却の準備を進める中、左月斎のもとに六十一の兵が集まった。

 左月斎は集まった者たちの顔を見た。皆、古参の兵で、苦労を共にした、知っている顔ばかりだった。

 全員真っすぐに左月斎を見つめていて、動揺や不安な表情の者は一人もいない。むしろ皆晴れ晴れとした表情をしていた。

 そして左月斎は皆を前にして、これから挑もうとしている戦への覚悟を語り始めた。

「皆、よく聞いてほしい。これから殿を城まで退却させるために、できるだけ長く敵を足止めしておく必要がある。そこでわれら六十二人で敵が人取橋を通れぬように橋を守るという事じゃが…、はっきり申すが、この先は我らの命を以て伊達の血を繋ぐという事じゃ。だから無理強いはせぬ」

左月斎がここまで言うと、一人の老兵が言葉を発した。

辰兵衛だった。

「そんなことはとうに承知の上だ、左月の爺さんよ」

左月斎は驚き、顔を上げて

「おぬしら、知っておったのか?」

「まったく、左月の爺さんの戦好きには困ったもんだぜ。あんな名前の書いた紙を見せられた日にゃ何をしたいのかなんてすぐに分かるってもんだ。若い連中がだめなら、わしらがつきあうしかねえじゃねえか」

「そうだそうだ」

「……」

 左月斎は感動して言葉にならなかった。代わりに、全員に向かって頭を深々と下げた。

 殿軍が人取橋に向かう前に、左月斎は一人の男を呼んでいた。

 鬼庭彦五郎である。歳は二十九。鬼庭性を名乗ってはいるが、」鬼庭の血筋ではない。幼いとき捨てられていた彦五郎を左月斎が見つけて拾い上げたのだった。太っていて、腕回りや首回りが太く、人からは「怪力彦五郎」と呼ばれていた。左月斎の元に集められた兵たちは、 皆一人一人役割を指示されていたが、この彦五郎だけ何も言われていなかったので、彦五郎も不安な面持ちでいた所だった。

「左月様、あっしは何をすれば…」

 彦五郎が聞くと、左月斎は彦五郎を強い眼差しで見つめて言った。

「彦五郎殿、そなたには物凄く大事な“力仕事”をお願いしたいのだ。聞いてもらえるか」

「へい、あっしは腕ふしなら誰にも負けねえ自信があります。それに左月様の頼みとあっては断る道理がありません。何なりと申して下さい」

「では申す。戦の途中わしが合図を出すので、橋を壊して通れなくしてほしいのじゃ」

「壊すって言いますが、この人取橋は結構頑丈で、ちょっとやそっとじゃ壊れないはず」

「うむ、確かにそのままでは、如何に貴殿の力が強かろうが、びくともせんじゃろう。そこで、知り合いに橋作りに詳しい男がおったので、そいつに頼んで、ちょっとした細工をしてもらったのじゃよ」左月斎は墨と筆で描かれた図面を見せて説明した。

「橋の袂のこの部分にクサビを打ち込んである、それをこの槌で打って外してほしいのだ。そうすれば。橋は一気に崩れ落ちる仕掛けになっておる。ただ、そう簡単には外れない。そこで、力に自信のあるそなたに頼みたいのだ。彦五郎殿、この役どうか頼まれてはくれないだろうか」

「わかりました。この彦五郎、鬼庭の名にかけて必ずや」

「かたじけない。これは相手に見つかったらまずいので、合図があるまでは橋の下に身を隠しておいてもらいたい。そして橋が落ちたら、相手もすぐには追ってこれんじゃろうから、そなたもすぐ逃げるのじゃ」

「わかりました。お任せください」

 彦五郎は力強く返した。

 その後、左月斎は一人本陣へ戻り、政宗のところへ行った。そして前に進み出る。

「殿、六十一の兵、拝領つかまつりました。これにて、殿軍を務めさせていただきたく存じます」

 政宗は目を見開いた。

「なに?殿軍?どういう事だ、それはならぬ。爺を失えば、伊達の柱が折れることになる」

 左月斎は微笑みながら頭を下げる。

「殿、伊達の柱は、既に政宗様にございます。わしは、道を架ける石に過ぎませぬ」

 政宗は言葉を失い、拳を握りしめた。

 その様子を見ていた片倉景綱が、左月斎のもとに駆け寄る。

「左月斎殿、殿軍など、あまりにも危険すぎる。お止めくだされ」

 左月斎は景綱の肩に手を置き、低く囁いた。

「小十郎殿、黙っていてはくれぬか。殿のために、わしは命を使う。これは、わしの戦でござる」

 景綱は目を伏せ、しばし沈黙した後、静かに頷いた。  

「……承知した。だが、必ず、生きて帰ってくれ」

「うむ。政宗様の命運はそなた達に託します。我らは道を拓きます」

 左月斎は、六十騎を率いて人取橋へと向かった。彦五郎は誰にも気づかれないように一人で移動した。

天正十三年十一月。

 阿武隈川の流れは凍てつき、空は鉛色に沈んでいた。

 時折強い風が吹き、粉雪が風に舞い、橋の欄干に白く積もる。

 人取橋のたもとに、奥州伊達家古参の老将・鬼庭左月斎が立っていた。その後ろには六十人の兵が立ち並んでいる。

 その顔つきを見渡すと、いずれも老兵と言っていいように見えるが、 その眼光は皆鋭かった。それもそのはず、今まで何度となく戦に駆り出され、その都度生き残ってきたのだから、言わば「歴戦の猛者たち」と呼んでもいいほどの面々だった。

 左月斎はと言うと兜や甲冑は重くて動きにくいという理由から、黄色の綿帽子に錦の陣羽織という出で立ち。

 そして手には殿軍出陣の際に政宗から渡された「金色の軍配」が握られていた。

 およそ戦場には不釣り合いなその姿は、まるで時の流れから切り離された異形の存在の様だった。その鬼庭左月斎と六十の兵が、凍てつく地に馬蹄を刻みながら三万の連合軍を待ち構えた。

 そのころ、連合軍本陣の佐竹義重の元に一報が入ってきた。

「申し上げます。第一陣の物見の報告によると、人取橋の前に、槍を持った妙な格好をした老兵が一人、その後方には六十の兵が並び、わが軍の進行を遮っているとの事」

 佐竹義重は、訝しがりながら

「妙な格好とは、どんな格好なのだ?」と聞いた。

「それが、戦だというのに兜、甲冑は身に付けず、頭には黄色の綿帽子、体は錦の陣羽織をまとっているとの事」

「なに、黄色の綿帽子、錦の陣羽織、老兵、わずか六十の兵だと?まさか、左月斎か……」

周りにいる者が笑いながら

「たかだか老兵六十騎。あっという間に蹴散らされて終わりでしょう。何を考えているんでしょうな」

「なめるでない、お前らは奴の本当の恐ろしさを知らんのだ、本当の恐ろしさを…、奴こそ鬼、だ」

そう言った後に、にやりと笑い、心の中で

――今までの借りを返す良い機会が巡ってきた。待っておれ左月斎…。

義重の顔つきががらりと変わった。

「先陣に伝えよ。迂闊に手を出さず慎重に進めとな」

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