日常、盆に返らず(4)
「少し、京月組の現状を話したい」
千和はなんの事かと口を開きかけたが、それもままならなかった。柔和だった仁の顔に少しの影が差していた。大学では全く見たことの無い表情に千和は無意識に唾を飲んだ。さらに、背後に控える強面の男が少し身じろいだ気がした。
「今うちは他の組ととある分野の主権争いをしている。まぁそんなものはモガリの日常ではあるんだが……でもそれが長期化して、あまりよくない方に転がっていてね。いわゆるドロ沼化というやつだ。おかげで俺は毎日命を狙われている。脅迫状に始まり、暴行未遂、放火未遂、テロ未遂、挙げればキリがないが、まさに社会に顔向けできない状態を引き起こしてしまっている」
肩をすくめてみせ、仁は呆れたような表情を浮かべて続ける。
「事態が改善するように双方の担当各所は奔走しているが、残念ながらその兆しは見えていない。それが進まない限り、俺の命は狙われ続ける。俺がいなくなって向こうに得はないはずだが……そんなことも気にしていられないようだ。主な実行班が上層部と関係ない下っ端だからだろうな。奴らにまで事態が波及して、収拾がつかなくなっている。だがその分、簡単にあしらえる」
身近にないあまりに物騒な話に、まるで冗談のようだと千和は目を見張る。普段壇上でで爽やかに英語を話すこの准教授が、日夜犯罪に巻き込まれながら生きていたとは到底信じられなかった。
「そこでだ。長々と説明したが、率直に言えば、俺専属のボディーガードを雇いたいと考えていてね」
「ボディー、ガード……」
千和は初めて聞いた言葉のようにボソリと繰り返す。語られる間に、千和は予想もしたくない結論に辿り着きつつあった。
「長いこと探していてね、ようやく見つけたんだ」
一拍置いた仁が、千和を見つめ意味深に口角を上げた。その動きだけで、彼が何を言わんとしているのかを読み取れてしまう。
「君だよ、染原さん」
「…………」
やはり、という思いが全身を駆け巡る。千和は無駄なことは言うまいと口を固く閉ざした。もし変に口走れば揚げ足を取られかねない。
「君たち姉弟のことを調べさせてもらった」
だんまりを続ける千和に、閑話休題といった様子で仁は言葉を投げかける。
「なんとも稀有で壮絶な人生を歩んでいるね。双子の姉弟……弟は希代の美少年で引く手数多の存在。しかしメディア露出の経験は無し。父と母で意見の相違、そして離婚、母の事故死……約二十年の人生にしては、かなり苦味だ。もちろん望まぬ方面からも手が伸びてきた。そこに立ちふさがるのが実の姉。母に愛された弟のボディーガードとして片時も離れず、身を挺して護り抜いてきた。自分を犠牲にしてまで」
「…………私が護るのは、和泉だけです」
心に深く根差した確固たる信念が無意識に千和の口を動かした。
「とても固い決意のようだ」
「私の生きる意味ですから」
仁の情のこもった視線と千和の力強い視線が交差する。
「どうしてそこまでするんだ」
「どうして? 護るのに理由は要りますか?」
「ああ、要るさ。とても大事な要素だ」
仁は千和の答えを待つように口をつぐんだ。
だが千和は答えない。双子の平穏を乱そうとするこの男に自分が存在する意義を突き付けたかった。しかし、和泉を護る理由が浮かばない。これまでずっと「和泉のため」とだけ刷り込まれて生きてきた。それ以外の理由が見つからなかった。




