日常、盆に返らず(2)
「なんかヤバいかも……」
少し声を震わせた和泉がもと来た方を振り返り、微かに息を飲んだのが千和の耳に入る。つられて後方を確認した千和の背中がぶわりと粟立った。前方にいるのと同じ、大きめの黒いバンがもう一台退路を塞ぐように停車していた。
「……ッこれは、史上最強にヤバいかも」
「スーパー戻ろう」
人目のある場所へと、二人は踵を返して足を速める。男の数はざっと八人。これだけの数に囲まれては、千和としても負け戦だ。
「――染原さん」
不意にその背中に呼びかけられ、二人は思わず立ち止まる。
「…………っ」
「なんで、名前……」
震える声で絞り出す。二人にとっては全くの初対面であり、こんな物騒な集団か知り合いにいる記憶もない。ただ事ではないこの状況。何とか落ち着こうと試みるが、周囲は男たちに囲まれつつあった。
「うちのボスがあんたを所望でね。一緒に来てもらいたい」
その集団の中から、一人が話しながら近づいてくる。その目は真っ直ぐ千和を見つめていた。ひょろりとした長身だが、ただ痩せているだけではないようだ。そして整った身なりとは裏腹に、表情はへらへらと軽々しい。
「私……? 一体なんなの、教えてくれても行かないけど」
怪訝そうに男を睨む。いつもは和泉が何かと執着されてきた。千和に対してそういったことが無かったわけではないが、他者が興味を持つのは圧倒的に和泉に対してだった。
「聞いてた通り強情なお嬢さんだ。でもね、逃げ場はないよ。ここは駐車場の端で、ひとけも無い。もし抵抗するなら、そこの和泉くんを人質にとってもいい」
そう言われ、千和は反射的に和泉を自身の後ろに隠す。距離を保って囲まれているため効果は薄いが、離れているよりマシである。
「ふざけないで」
「……わかるよ、大事なんだね。君にとって彼は、命と代えても構わないくらいに大事な存在」
男は軽い笑みを少し引っ込めて、至って真面目なトーンを捻り出した。それが千和の神経をざわりと逆撫でる。
「だったら何」
「こちらにおいで。君の知らない世界を見せてあげよう」
男の瞳は揺らぐことなく千和を見つめる。内面を見透かされるような、初対面であるこの人間と交わしたくない不快な視線であった。千和は気持ち悪さから精一杯の凄みを出す。
「余計なお世話」
「うーん、そっかぁ。やっぱり話しても聞かなそうだね。上からは長居も禁物って言われてるし……しょうがないな、ごめんね。強硬手段を取らせてもらうよ」
男はへらりと困ったように笑った。
すると千和の真後ろに居たはずの和泉の気配が一瞬にして遠ざかる。続いて聞こえた「う……ッ」という苦し気なうめき声。
風を切るように振り返れば、黒服に羽交い絞めにされている和泉がいた。
「……っ、このッ……!」
千和は荷物を捨てて一気に間合いを詰めた。和泉に当たらないよう、黒服の側頭部をめがけて長い足を蹴り上げる。
「ガッ……」
黒服は衝撃によろめき、そのままうずくまった。緩んだ腕から和泉を引き戻し、解放する。
「和泉、向こう行ってな」
息を荒くする和泉に鋭く指示を飛ばした。この状況では、彼を護りながら全てを倒すにはかなり骨が折れる。到底千和一人でできる範疇ではない。
「えっ、一人でやる気なの? この人数を?」
それを聞いたリーダー格の男は心底驚いたという顔と共に、素っ頓狂な声を上げる。千和を囲む黒服は男を含めて七人。細身から屈強な体型まで様々だ。
「楽勝ッ」
千和は気合を入れるように吐き捨てた。やらなければ、自分もろとも和泉に危害が及ぶ。そんなことは決してさせない、決して許さない。
手近だった黒服には、足を回してその顎に鋭くかかとをお見舞いした。見事クリーンヒットし、そいつは地面に沈んた。それを皮切りに、黒服たちは千和を確保しようと手を伸ばしてくる。
腕を掴まれたので護身術の要領でそのまま捻り返す。バランスを崩したその男の肘には、逆関節で膝蹴りを入れた。もう片方の腕を掴んできた黒服にも同じ技をお見舞いする。
多数でかかるのは止めたのか、一番屈強な黒服が一人で前に出た。どうやら柔道の経験者らしい。掴みにかかってくるので、かわしつつ距離を取っていく。ある程度離れたところで、千和は全速力で男に向かって走り出した。予想外の接近に怯んだ黒服の真正面から懐に入り込むと、片足に全体重をかけ片膝を外側に押しやった。女子の力ながら、勢いづいた力量に耐えられず「ゴキッ」という嫌な音を鳴らし、黒服は片膝をついた。
残る細身の二人は簡単に片が付いた。特殊警棒で殴りかかって来たところを武装解除し、逆に相手のみぞおちを突いて嗚咽させれば、終了である。
「……わぁ、凄いね。俺の部下が役立たずだってことが可視化されちゃったよ。どうしよう」
その様子を見ていたリーダーらしき例の男は、飽きもせずへらへらと薄ら笑いを浮かべていた。地面に伏す部下を気遣う様子もなくゆっくり千和へと近づいていく。
「あぁ、さすがに息は切れるよね」
肩で息をする千和に同情的な色を送る。
「ほら、疲れたでしょ? あの車行けば休めるよ?」
はるか後方となった黒いバンを指さす。乱闘しながらかなりの距離を移動していたようだ。
「誰が……!」
千和は一人残った男に殴り掛る。しかしヒョイと軽々避けられた。勢いのある拳が空を切り、バランスを崩す。
「んー、良い拳。でもさすがにスタミナ切れは否めないね。やっぱり女の子だ」
「…………ッ」
間近で感じる男の不気味さを振り払うように顔面を狙い、回し蹴りを放った。しかし、パシッと足首を掴まれ不安定なまま固定される。
「狙い澄ます精度は完璧。でも速さが今ひとつ。やっぱりスタミナは大事だね」
男は耳障りな講評を垂れ流す。逃れようともがいているところに手が離され、またもバランスを崩す。千和はなす術なく地面に倒れ込んだ。
「さて、そろそろ観念――」
その時、ゴンッという鈍く重い音が響いた。男は皆まで言い切ることはできず、膝からゆっくり崩れ落ちた。
「和泉……」
男の背後に太い木の棒を抱えた和泉が立っていた。スーパーの資材置き場から拾ってきたのだろうか。
「千和、大丈夫? 逃げよっ」
和泉は木材を捨て、座り込む千和に肩を貸して立たせる。連戦の疲労からか、身体の重さは異常なほどだった。
「大丈夫、歩ける……」
幸い相手からの攻撃は受けていない。酷く痛むところも無い。重い身体に鞭を打ち、足早に荷物を回収に向かう。
「――っゲホ……うぅん、いったいなぁ」
すると、男の咳払いと、ねっとりと耳にまとわりつく声が逃げる二人に手を伸ばしてきた。ハッとして振り返れば、男は既に立ち上がっており、頭をポリポリと掻いていた。
「へぇ、イイ顔してやってくれんじゃん、弟」
男の目に、今までにないギラリとした光が宿る。
千和は本能的な危険を察知して走り出す。だが恐怖に巻かれた和泉との距離が大きく開いてしまっていた。
「お礼欲しいだろ?」
その間にも男は大股で和泉まで近づいていく。
「和泉ッ!」
千和が叫び間に入ろうとするが、間に合わない。男は怯んで動かない和泉のみぞおちを遠慮なく突いた。防御など知らない和泉は身体を震わせ、そのまま膝から崩れ落ち、動かなくなった。
「…………ッ!」
コンマ数秒遅れて千和の拳が男に届く。しかし男は予測していたかのように頭を逸らしてそれを避けた。
「激情型は後々後悔するから、直しといたほうが身のためだ」
千和の空いた腹部に、和泉と同じような鋭い一撃が入った。強い衝撃で一瞬にして視界が歪んだ。受け身も取れずに地面に擦れる。そして浅い息のまま意識を手放した。




