さざめく色風。そして(3)
「結論から言うと……仁さんにプロポーズされました……」
「…………」
家に帰るなり、千和は和泉を座らせて自分も座った。神妙な面持ちで、仁との会話を伝えた。指輪の真意も伝えた。
和泉は茶化すことなく、ふざけることなく、黙って聞いていた。照れくさそうに言葉に詰まった時も変な茶々は入れなかった。
「――と、言うことです」
「うん……。うん、そうだよね。仁さんは、最初からそれが目的だったんだ」
「それ、と言いますと」
「千和を自分の奥さんにすること。それにしても、回りくどいことをするもんだね」
「回りくどい、と言いますと」
「もう。きっと仁さんは分かってたんだよ。千和が普通じゃないって」
何度も言葉尻を言い返され和泉はちょっと頬を膨らませた。しかし答えはちゃんと伝える。
「普通じゃないってどういう意味よ」
「前に言ってたんでしょ。良くも悪くも目立つ存在って」
「あぁ……まぁ、言ってたかも」
「一目見た時は他の人と同じように外見に惹かれたのかもしれない。けど、きっと色々調べた上で興味を持って、それが慕う心になったんじゃない? 仁さんレベルの人間がただの一般人を気に入るわけないよ」
わかんないけど、と和泉は肩をすくめた。
「なんにしても、いい機会だと思うよ。俺にとっても、千和にとっても」
その言葉だけで、千和は和泉の言い分を理解した。だからこそ口をギュッと結んでまたもや己を飲み込んだ。
「……でもそれは、ダメ。母さんが死んだ時に決めたでしょ。誰にも縛られず、二人だけで生きていくって」
「……でも、一番母さんに縛られてるのは千和だよ」
「……っ」
「俺を護るのは母さんの言いつけ。母さんが死んだからって、俺を護らなきゃって縛られてるのも千和」
和泉の言葉は起爆剤だった。
思い返せば、物心ついた時から意思の強い母親の言いなりだった。幼少から体術を習わされて、和泉のためだと転校もさせられた。何事も和泉の二の次で、千和の意思が尊重された試しなどなかった。
それが不意に止んだのは、母親が死んだからだった。そんな元凶はタクシーの事故で呆気なくこの世から去っていった。見事なまでに空っぽに育った千和を遺して。
「千和はどうしたいの?」
「…………」
和泉に問いかけられて、千和は言葉につまる。
答えは、気持ちは、喉元まで出てきている。だがそれを明らかにするのは恐怖だった。
黙りこくる千和に、和泉は哀れみを禁じ得ない。
少なくとも自分は、姉よりはマシな環境で生きてきた。偏っているとはいえ母親の愛情も知っている。姉のことを横で客観的に見てきたからこそ、分かることがあった。
あと一歩かもしれない。
「千和はね、もう空っぽじゃないよ」
「…………」
「密かに気にしてたでしょ、そんなこと言われて」
「まぁ……いい気はしなかったから」
仁にも加美山にも言われた言葉を気にするなと言うほうが難しかった。本人には自覚もなかった。
しかし、最も近しい人間にそれを真っ向から否定される。物分りが悪い千和ではないが、和泉の真意を汲み取れないでいた。
「千和はね、俺といると空っぽになっちゃうんだ。母さんの呪いで。でも仁さんといる時は、ちゃんと満ち足りてる。俺の姉ちゃんじゃなくて、染原千和として生きられてる」
「…………」
これでもほどけなければ、ちょっとキツイなと和泉は内心思っていた。千和が背負うものが考えていた以上に強固ならば、さらに言葉を尽くさなければならない。
凝り固まった概念と意識に、和泉の気持ちがどこまで届いているか。
「だから、言ってごらんよ。どうしたいか」
和泉の言葉に、千和は拳を握りしめた。
こういう時、唇と舌と喉と声と、それぞれどうやって動かしていたっけか。
これまで自分を見失っていたツケが回ってきていた。好きでそう生きてきたわけじゃない。でも見て見ぬふり、気付かぬふりをしてきたのは事実だ。
千和はぎこちなく声を絞り出した。
「私は……和泉と離れたいわけじゃない」
「……うん」
「でも……仁さんと、一緒にいてみたい……かも……」
「……うん。それなら、そうしよう」
「でもっ、早速一緒に住むとかそうしたいってわけではなくて、その、ちょっとしたお出かけとかおしゃべりとか……軽いことで……」
ははっ、と和泉はようやく声に出して笑った。姉がそこまで自我と欲を持っていたとは思ってもみなかった。それだけ聞ければ十分だった。
「分かってるよ。というかそれは俺じゃなくて仁さんに言わないと」
ざっくりとした報告くらいは欲しいけどね、と一応釘を打ってみる。
千和の気持ちを聞いたとはいえ、好き勝手にさせるのは少し怖い。世間知らずだからこそ、相手が京月仁だからこそ、第三者である自分が目を光らせなければと和泉は密かに思っていた。
「そして結婚の話だけど、それはちょっと待ってもらおう」
「うん……気が早いよね?」
「そう。だって君たち知り合ってどのくらい? スピード婚とかゼロ日婚ってものはよく聞くけど、オススメはしないよ」
「だって私も仁さんのプライベートとか全然知らないし。好きなのは好きだけど、もっと中身を知って好きになりたいし」
そう言う千和は、なんでもない風を装っている。しかし和泉には、慣れない会話で内心のたうち回りたいだろう彼女の気持ちが手に取るように分かっていた。
「いやぁ千和と恋愛の話をするなんて思ってもみなかったや」
「急にそんなこと言わないでくれる? 気恥ずかしい」
思わず口をついた本心に千和は口を尖らせた。
「仁さんほどの人間と恋愛するなんて、僕らの常識が通じるのかは分からないけど……見守らせてほしい」
「……見守っててよね。私が私であれるように」
そう言って千和は少し微笑んだ。弟を安心させるように。




