さざめく色風。そして(4)
鷲田に連絡をしたのは久しぶりのことだった。
プロポーズから一週間。心を決めたとはいえ、いざ答えを伝えようとするとどうしても緊張が勝った。
うだうだと過ごしているうちに、気づけば仁に長いお預けを食らわせてしまっていた。
家を出る時も、着る服に少し迷った。自分はもうボディーガードではない。少しでもよく見られたいと思ってしまうのは、気持ちが熱っぽくなっているせいだろうか。
「お話があって、来ました」
千和の姿を見て、仁はゆったりと立ち上がる。首元を緩めてネクタイを外したシャツ姿。今まで見た中で最も気を許しているような姿だった。
「アポイントを取ってくれた時は嬉しかった。しばらく音沙汰がなかったから」
「それは、ごめんなさい」
ソファに座って、仁は少し傷ついたように大袈裟に眉を寄せた。
きっとこれが、彼のパーソナリティなのだろう。そんなお茶目な仕草を可愛らしいと思ってしまう。
これまでと異なる気持ちが千和の頬を熟れさせる。まだなにも言えていないのに、心臓はひどくうるさかった。聞こえてしまうんじゃないかと怖かった。
千和はもじもじと感情を留めて、中々本題へと踏み出せないでいた。
仁とて鬼ではない。重責を背負わせてしまった責任もある。覚悟を決めて足を運んでくれた誠実な彼女に、助け舟はいくらでも用意していた。
「さて、心は決まったかな」
「……はい。お返事を伝えに来ました」
「聞かせてくれるかな」
千和は深呼吸をした。後戻りする気はない。何度目かの覚悟を決めた。
「単刀直入に……結婚の話は、お受けできません。……今は」
「……今は?」
仁の眉がぴくりと動いた。予想にない返事だったのだろうか。彼は続きを待っている。千和は再び口を開いた。
「はい。私は仁さんのことも、好きな食べ物のことも知りません。そのまま一生を誓うのは寂しいというか……だから、結婚は前提でも構いません。でもまずは、私に、仁さんを知る時間をください」
言ってる最中、仁の顔は見られなかった。あまりに気恥ずかしいことだった。
すると仁はふっと笑いをこぼした。ちらりと盗み見ると、目尻に優しくシワが刻まれていた。
「可愛らしいことを言う。そうだな、俺の気が急いていたのは確かだ。君の繊細な心に気付けなかったことは詫びよう」
「いえ……すみません、わがままを言って」
「俺も若い頃は青春を楽しんだものだと、今さら思い出した。そうするには老いたと思っていたけれど……千和がそう望むなら、俺も心を尽くそう」
そんな言葉に、千和の顔にようやく安心の色が見えた。抱えていた不安の重みが解消されて、緊張の糸がほぐれたようだ。
「……あの、私、デートとかしたことなくて……というか、和泉以外と出かけたこともなくて」
「はじめは色々不安だろう。行きたい場所があれば気軽に伝えてほしい。俺も千和を連れていきたいところは山ほどある」
「や、山ほど……!?」
「じゃあそうだな……この後、今日の夜は空いているか?」
「だ、大丈夫です」
「交際記念というやつだ。親睦を深めにディナーでもいかがだろう」
「……! はい、お願いします」
降って湧いた初デートに、千和は暴れ出すところだった。しかも交際記念という言葉はまるで現実には思えないほどで、都合のいい夢かのようだった。
そんな様子を、仁は満ち足りた表情で眺めていた。
「……美しく咲いてくれたものだ」
「え?」
「いや、なんでもない。……千和」
「はい?」
少し首を傾げ、澄んだ大きな黒目がなんだろうと仁の目を見つめてくる。仁はそれを真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「好きだ」
「……っ」
呼吸を一瞬忘れて、どうにかなってしまいそうだった。
唇が微かに震える。
「わた……私も、好き……です」
小さな声ながら、千和は気持ちの最上級をようやく伝えられた。
「へへ……」
そして千和は思わずはにかんだ。
その頬は芍薬が咲きこぼれたように、美しく染まっていた。




