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明け待つ芍薬  作者: 烏野 佐枇
最終章 さざめく色風。そして
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さざめく色風。そして(1)

 夢か現か、意識もハッキリしないままに薄らと目を開ける。カーテンの隙間からは爽やかな白い光がこぼれていた。


「千和っ、起きてる?」


 ドンドンドン、とドアが揺れた。騒々しさに千和は起きがけに顔をしかめる。


「なによ……」

「ちょっとニュース見てよ! 大変」


 有無を言わさず手を引かれ、リビングに連れ出された。仕方なく乱れた髪をかき上げる。

 既に点いていたテレビはザワザワと何かを伝えていた。千和は久々にテレビを見たな、と頭の片隅でどうでもいいことを考える。テーブルには和泉のカフェオレが置いてあった。


「ほら、これ」

「ん……?」


『――加美山容疑者は、京月組関係者へ暴行を加えたとして身柄を拘束されました。また、他にも余罪があるとして捜査が続いています。加美山コンツェルンの総取締役である加美山容疑者が逮捕されたことにより、経済界が混乱に陥ると思われます――』


 ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げていた。

 京月組関係者――これはまさしく自分のことだ。しかし千和には遠い世界の話に聞こえていた。コメンテーターの学者らも騒がしくしていることから、大事なのだなぁとぼんやり考えることしかできなかった。


「千和をさらったのは加美山だってことは仁さんから聞いてたけど、ここまで大事になるとは思わなかった。また権力でもみ消されるのかと思ったけど、ここまでスムーズに事が進むなんて……」

「……いい気味だよ」


 千和はテレビに映される加美山をじっと見つめた。画面越しながら、あの顔をこんなに早く拝めるとは思わなかった。

 事情聴取で連行される際なのだろう。後部座席のカーテンの隙間から、ただ前を強気に見つめていた。焚かれるフラッシュにも一切動じていない。すぐに釈放されることが分かっているのだろうか。その表情が憎たらしかった。


「でね、もう一つ驚きの事があって……」

「なに? もう何が来ても驚かないよ」

「別のニュース見てた時にもこの話が流れたんだけど、そこで言われてたのが、『京月組の関係者』じゃなくて、『京月組専務の婚約者』って……」

「……は?」


 千和は今度こそ耳を疑って和泉の顔を見つめた。和泉も訳が分からないという顔で千和を見つめ返す。


「千和のこと……? だよね?」

「いや……他にさらわれてた人がいたのかな?」

「いやでもだって、助けが来たのは千和だけなんだよね」

「うん……確かに私だけだったな……」

「千和、いつ仁さんと婚約したの?」

「なっ……、してないよそんなのっ!? どういうこと!?」


 千和にとっては加美山なんかよりも、こちらの方が重大だった。まさしく天変地異の事態。

 思いもよらないことが世間に報道されている。名前は明かされていないが、昨夜の事件とすり合わせれば、つまるところ自分だとしか思えない。しかし混乱が頬を赤くする暇さえ与えない。


「――あ」

「ん?」


 するとその時、ピンとくるものがあった。千和はただ頭に思い浮かんだことを口にした。


「指輪……」

「指輪? あの、仁さんから着けておけって言われてたやつ?」

「そうそれ……渡された時は本当に護身用だと思ってたけど、そのあと仁さんが結婚云々って話を勝手にしてて……」


 すると和泉はぽかんと口を開いて目を丸くした。


「え、それじゃん」

「いやいやでも、ただの世間話かと思ってたし、私に関係するような話じゃなかったし、大した反応もできなかったし……。そもそもそんな話、脈絡もなかったし!? でも、え……この話が本当だったらどうしよう、どうしたらいいっ!?」

「――ふふっ」


 慌てふためく千和を見て、和泉が不意に笑った。それを見逃す千和ではない。鋭く和泉を睨めつけた。


「なに笑ってんのよ」

「いやだって、久々に千和っぽいなって。最近なんか常に気張ってたし、大学で仁さんの授業受けてた時の元気な千和って感じ」


 依然としてくすくすしている和泉に不満を覚えつつも、確かにここまで気が緩んだのはいつぶりだろうと思う。


「笑い事じゃないんだから……。とにかく、これはちゃんと確認取らないとダメ。というより私的に放置はツライ! 心臓もたない」


 千和は部屋にとんぼ返りすると、そのままスマートフォンにかじりついた。

 連絡したのは鷲田。仁に会えないかとアポを取るためである。その返答を待つ間は、異常なほど長い時間に感じた。


「一息ついたところで朝ごはんでもどう?」


 やがて和泉が千和の自室に顔をのぞかせた。ちらりと時計を見れば、十時を回りそうな時刻だった。普段にしては遅起きで、遅めの昼食である。まだ件の返信は来ていないが、何もしていないより気が紛れそうだった。


「はい、どーぞー」


 テーブルにつけば、和泉シェフによる朝食プレートがサーブされた。ふわふわのフレンチトーストに小さなグリーンサラダ、トマトたっぷりのミネストローネ。


「あー、なんか久々に落ち着いてご飯食べた気持ち……」


 和泉お手製のミネストローネが身体に染み渡る。疲労が浄化されていくような感覚だった。

 ここ数日間は、怒涛の勢いで毎日何かが起こっていた。こうして自宅でのんびりできていることの、なんと幸せなことか。


「加美山にさらわれた時、ちゃんとご飯食べてたの?」

「なんかプレート出されたけど、毒とか入ってたらイヤだし、手はつけなかった」


 あの部屋で不定期に差し入れられた食事を思い出す。見た目は悪くなかったが、食欲をそそられるからこそ警戒心が強まった。監禁が長引いていれば加美山との食事に引っ張り出されることもあったかもしれない。だがもはやそんなことはどうでもよかった。


「――とか言われてさ、本当にキモくて」


 やがて朝食は愚痴の祭りとなる。加美山の一挙手一投足を思い出す度に、不快感がありありと思い出された。


「しかも首……普通に最悪。痕消えたかな」

「今のところそんなにわかんないよ。昨日はちょっと目立ってたけど」


 千和色白だからねと和泉は眉を寄せた。

 昨夜の千和を見て最も驚いたのが首元の赤い痕だった。何があったかは容易に想像できた。そして今しがた彼女の愚痴祭りで、大体何が起こったかを理解できた。

 和泉は柔和な表情で、千和のマシンガントークに相槌を打つ。しかしテーブルの下では、拳を強く握りしめていた。


「で、溝田さんが助けに来てくれてさ。一瞬絆されそうになった。吊り橋効果ってやつ? けど、あの人は普通に敵! 和泉殴ったから」

「まぁ千和の敵は、俺の敵でもあるからね。気持ちは分かるよ」


 そんな言葉に千和はついぱちりと目を瞬いた。


「あら、珍し。もういいよとか言わないんだ」

「……今までさ、千和がやられるってことなかったじゃん。だから正直ピンと来てなかったんだけど、今回明確に危害を加えられてるのを見て、なんかこう……ハラワタが煮えくり返ってるというか」


 和泉の素直な言葉に、千和はへぇと唇を歪めた。面白いものを見て心が沸き立つような気持ちだった。


「あんた聖人君子かと思ってたけど、意外とドス黒いもん持ってるじゃん」

「言い方。主犯の加美山はもちろんだけど、そこに巻き込んだのは他でもない仁さん。俺は、どちらも許せないよ。そしてまた、婚約者疑惑を出して千和を惑わせてるし、さらに許し難いね」

「父親みたいなこと言うじゃん」

「俺らは姉弟であり父親であり母親なのー」


 和泉は食べ終わった食器を重ねて立ち上がった。

 これだけ親しいからこそ、離れられないからこそ、やはり自分たちは特殊なのだと和泉は思う。自分も千和も、殻にこもって外の世界を見ようとしなかった。しかしそれをこじ開けるようにして、介入してきた京月仁という男。

 単なる一般人を引き入れ、間髪入れずに、加美山という強大な権力を狩り獲った。

 どこまでが虚構で、どこまでが真実なのか。


「……あ、返信来た」

「鷲田さん、なんだって?」

「最短でも二日後、だって! 長くないっ!?」


 そわそわと落ち着きのない千和を横目に、和泉は食器を洗う。

 なるほど、外の世界は危ないことだらけだ。

 でも、と和泉は一瞬手を止めた。

 千和が楽しそうなのは、悪くない。

 二人分の食器となれば、少ないものだ。これがもし半分になるのなら、きっと嬉しいことなのだろう。だが反対に、それはとても寂しいことでもあるなと和泉は心の隅で考えた。

 

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