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明け待つ芍薬  作者: 烏野 佐枇
7章 深淵の痕、蕾の萌し
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深淵の痕、蕾の萌し(1)

 翌日。降る雨が湿度を上げて、不快な空気を作り出す。地面で跳ね返る雨粒が靴と裾を濡らすのが煩わしかった。

 千和と和泉は傘を差してスーパーに赴いていた。今日ばかりは呼び出しは御免こうむる。心行くまで我が家の冷蔵庫のことを考えたい。


「ねぇ千和、一つお願いがあってさ」

「なに」

「俺、一人で買い物してみたいんだよね」


 えッと千和は鋭く驚いた。一体どういう風の吹き回しかと、和泉の整った顔をまじまじ見つめた。そして和泉はそんな千和を大きな目で見つめ返す。


「ちょっとそんな顔で見ないでよ、穴空きそう。だってさ、昨日千和から京月組に勧誘されたって話聞いて、確かにと思うこともあったんだよ。俺は一人じゃ何もできない。きっと働くことも難しいし、なんなら買い物だって無理、というか一人でしたこともない。だから、本当に俺が一人でいたら何事かに巻き込まれちゃうのかどうかを実験してみようと思ってさ」

「そんな仁さんの言うこと真に受けなくても」

「でも千和だってそう思ったんでしょ? だから僕に話した。だって千和ってば、自分が納得したことしか口に出さないもの」


 千和はうっと面食らう。昨日に引き続き無自覚な部分が見抜かれたが、確かにそうだ。四六時中一緒に生きているだけある。


「だから、千和はスーパーの入り口で待っててよ。俺が一通りの買い物してみる。……圧がすごいから、ついて来るのは禁止ね」

「圧がすごいってどういう意味よ」

「誤解しないでよ、厄介事が逃げちゃうってこと」


 しばらくして常連のスーパーに辿り着く。使いまわしている内の一店舗だ。家からは少し距離のある店は、そこまで大きい店舗ではない。ある程度の品が満足にそろう程度だ。

 そして和泉は慣れた様子で店内へ消えて行った。


「ほんとに一人で行くのか」


 残された千和は少し唇を曲げて、和泉の消えた先をしばらく見つめていた。店内で待つことはせず、傘も閉じずに待つことにした。傘に当たる騒がしい雨音を聞いていたい気分だった。

 こうして一人で外にいることは珍しい。

 どこか憂鬱な気持ちは物思いを進ませる。和泉がいなければ自分は一体何なのか。どういう人生を歩み、生き抜いていたのだろうか。

 かつて仁にも問われたことがある。なぜ護るのか。

 わからない。

 千和の答えは未だにそうだった。そう生きろと教えられたから、そう生きてきた。その呪いをかけた張本人はもうこの世にはいないが、千和の芯は揺らがなかった。

 ちらり、と右手が光る。例の指輪が思案する千和の気を引いた。昨日もらってから着けたままにしていた。常に着けていろと言われたからしているが、普段装飾品など着けない身からすれば慣れないことだった。そのお陰か、今もこうして目に入っている。

 昨夜もことある事に指輪が気になって触ったり眺めたりしていた。しまいには、したり顔の仁に「気に入ってくれたようだね」とまで言わせ、千和は感情を飲み込むので精一杯だった。


「はぁ、恥ずかし……」


 思い出すだけで顔が熱い。傘があってよかった。隠れられるし、周りに変な目で見られない。

 すると近くで静かなブレーキ音が鳴った。ん、と思って顔を上げると目の前に黒い車が停まっていた。小さなスーパーには不釣り合いな大きいワゴン車だ。いかにも意味深で咄嗟に嫌な予感がした。

 傘を放り投げて店内に逃げ込もうとするが、退路は既に塞がれていた。どこから湧いたのか、屈強な男に出入口を塞ぐように先回りされていた。そして車からは黒服や普段着を着た男たちが素早く降車していて、既に近距離で包囲されていた。


「――っ!?」


 不意に何かを顔に吹きかけられた。目をつむって苦しさから咳き込んだ。

 ふわりと浮いた感覚があった。

 視覚を奪われた隙に千和は軽々と抱えられて、車に引きずり込まれた。抵抗できる隙もなく、そのまま放り込まれると口ぐるわを噛まされる。

 次いで意識が朦朧としてきた。指の先にすら力が入らなくなっていた。

 最後のまばたきの間に、出入り口に目を止めた。和泉はいない。きっと呑気に買い物をしているのだろう。

 どうか、気づいて。仁さんに、連絡を。

 揺れはじめた車内に体を横たえて、千和は意識を手放した。


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