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明け待つ芍薬  作者: 烏野 佐枇
6章 色の滲む環
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色の滲む環(5)

 首を傾げて待っていると、もう一台の車がやってきた。鷲田のではない。名前は知らないが、前に街で見かけたのを和泉が「高いやつ」と言っていたのを思い出した。つまりこれは高級車だ。洗車したてかのように汚れは無い。ライトが控えめに、だがスポットライトのように千和を照らした。


「千和、乗れ」

「っ仁さん!?」


 窓からちらりと顔を出したのは仁だった。歩道側に運転席があるということは、これは外国車だ。


「えっ……と」


 後部座席と助手席を迷う。動揺からカッコ悪く慌てていると、またも窓が開いた。


「好きな方でいい」


 はい……と消え入りそうな返事をしながら、えいやと助手席のドアを開けた。


「……可愛らしい選択をするものだ」

「からかわないでください」


 千和の精一杯の抵抗に仁は頬を緩めた。

高級な革張りシートに包まれた華奢な身体。偶然か否か、普段より洗練された服装が同伴者としての格を上げている。己の空間に馴染むその様子は仁の心を十分に満足させた。

 車は静かに走り出す。騒音など無い静かな車内には優雅にノクターンが流れていた。

千和は少し鼻を動かした。深みのある大人な香りが形のいい鼻をくすぐったのだ。まとわりついてうるさい訳ではない。羽のようにふわりとくすぐり、ひらりと消えていく。

これは芳香剤などではない、仁の香水だと千和は気づいた。普段彼は香水をつけない。となれば、これは完全にプライベートということなのだろう。自分はまたも見知らぬ場所に足を踏み入れていると、変な汗が背中を伝った。


「あの……」


千和はどうにでもなれと口を開いた。なんとかして、この不釣り合いな空間から気を紛らわせたかった。


「ん?」

「今日……珍しいですね」


 車のこと、香水のこと。どちらでも取れる言葉が精一杯だった。会話の内容は仁に任せようと思った。

そして恐らくというより、これは確実に仁の愛車である。全てが日本車とは反対の運転ながら大分手慣れているようだった。片手でハンドルを回し、リラックスしている様子である。


「たまには自分の空間で羽を伸ばしたい時だってある。ドライブは好きか?」

「ドライブは……あまり経験がありません」

「そうか。好きになってくれたら、何よりだ」


 心がくすぐったくなるような言葉は、どこまでが本心なのだろう。千和は座り心地のよい座席で居住まいを正した。


「それと、今日も昨日の続きだ」

「……っ」


 昨日の続き、と言われて分からないほど千和は子どもでもない。また同じように密室に引きこもるのだろうか、それとも……。

今後に備えようと頭を巡らせるが、予想できる知識など大して持ち合わせてはいない。

 千和は諦めた。ゆっくりと過ぎていく外の景色を眺めることにした。早くもネオンが光る繁華街を過ぎようとしている。

 やがて到着したのは街の郊外、京月邸の反対側とも言える場所だ。控えめな看板が隅の方に立っている。一応何かの店らしい。ペンションのような小さい建物がいくつも並んでいる。

 車はその中の一軒に停車した。促されて降車し、周囲を眺める。

 他の建物には車が何台か停められていて、室内に明かりも点いていた。


「なんですかここ、一軒家?」

「プライベートを確保できる、男女のための休憩場所だ」

「…………」


 千和の少ない知識でもピンとくるものがあった。もちろん来たことなど無いが、先日のスタジオに比べれば耳にしたことのある場所だった。


「二人きりでここに入って、何もせずに出てくる、なんて興覚めたこと、普通はしないだろう」

「これでダメ押しってことですか」

「そうだ。奴はきっと見張っている。このことも伝わる」

「むしろ逆上しませんかね。こんなにあからさまに行動して……」


 すると仁はおかしそうに肩をすくめた。


「逆上して自壊してくれれば一番楽なことはないんだよ。今のところ、その我慢強さだけはあるようだ」

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