世界が視ている(2)
「――これがレジュメ冒頭の英文。和訳は載せていませんが、皆さんが一度は目にしたことがある日本の文学作品の一部です」
とある大学の大教室。男女占めて五十人ほどの学生が後ろに固まって座している。
そこに響くのは流暢な英語と、爽やかな日本語。まるでメロディを奏でるかのように学びを施している。
そして教室の支配者は教壇の上から学生たちに目を配る。熱い視線で興味を示す者、メモを取るのに必死な者、スライドさせる指先に飽いている者、別のものに目を奪われる者、船を漕ぐのに夢中な者……。様々いるが、その中でも殊更な集中力を向けている女学生がいた。
大きく切れ長の目は熱を帯びて前方を見つめる。それを示すように愛用の三色ペンは忙しなく、姿勢は若干前のめりで、教授の言葉を一言一句落とさないよう耳を向けている。はらりと落ちるセミロングの髪も無意識に耳の後ろに追いやった。
「日本の古典を英語に訳すことは途方もない作業です。翻訳者にしてみれば、異文化のさらに異文化なのですから、問題は山積みでした」
聞きながら、彼女――染原千和は自分の意見をメモしようと一瞬、前方への集中を切らす。すると同時に、チリッとした煩わしい気配が背後からまとわりついた。嫌でも気が付いてしまい、不快感に襲われる。
「多くの言語があるということは、一つの作品を多様な視点から見られるということ。それと同時に言語の表現の限界を知ることもできます。この作品が持つ古文由来の奥ゆかしさは、英語ではどう表現されているでしょう」
無意識的に隣の席を盗み見た。隣には千和と同様に、真面目にペンを走らせる男子学生が座っている。千和が感じる不快な視線を特に気にしていない様子だが、実は彼がそれの元凶である。
千和が鋭敏に感じ取っているのは、本来彼に向けられている好奇と羨望の眼差しである。彼女に向けられたものではない。これが嫌でわざわざ後方の席に座っているのに、未だに止んだ試しがない。
一人苛立ちを覚えるが、それを解消する術はない。溜飲を飲み込んで、唯一の癒しである教授に再び意識を傾けた。




