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明け待つ芍薬  作者: 烏野 佐枇
4章 邂逅したる
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邂逅したる(3)

 闇夜に溶ける車は輝かしいネオンがはびこる街の中心部に向かっていく。

 その目的地はセレブ御用達の高級ホテルだった。千和は薄黒く塗られた車窓から、背の高い建物をぽかんと見上げた。もちろん利用したことなどない。テレビでよく見聞きするというだけだ。貴賓来賓のもてなしによく使われるだとか、星がいくつかのレストランがあるだとか、千和の日常には全く関係のない話であった。

 エントランスにいる全員がスーツやドレスの礼装ではないが、シャツやジーンズを着ているような人物はいなかった。きっとホテル自体にドレスコードがあるのだろう。普段の自分がこんなところに来ようものなら浮いてしまってしょうがないだろうと、一人で肩を震わせた。加えて、空間からあふれ出る瀟洒な雰囲気に圧倒され、もはや押し黙るしかなかった。


「霜月様」


 そこへ無駄のない動きでホテルマンが近づいてきた。ブラックスーツに身を包み、敵意のない柔和な表情を浮かべている。

 霜月、という名はきっと偽名なのだろう。このようなところで明らさまに名前を出すのは不用心というものだ。


「お待ちしておりました。ご案内いたします」


 ホテルマンの案内に、鷲田は二言三言を交わして仁へと一瞥した。

 歩を進め始めた鷲田に仁もついて行く。千和はハッとしてすぐさまその後ろについた。不慣れなことの連続で失念していたが、自分は今仕事中で、最重要人物の警護中なのである。多くを教えてくれないこの現場では、自分で考え、信じるしかない。

 エレベーターに乗って案内されたのは、商品サンプルなどを飾っていない高層のレストランだった。客室フロアのように長い廊下を進むと、その先に小教室ほどの完全な個室があった。天井も高く、まるで隔離されているような場所である。

 千和は様々眺めたい好奇心を押さえつつドアを通る。するとそこには先客がいた。

 長い銀色のひげをたくわえた老齢の男が座っている。年齢の割に肌艶がよく、目尻に皺はないし、切れ長の目は鋭い。仁と同じく、堅気の雰囲気ではなかった。同業者であるのは確かで、その背後には答えを示すかのように屈強な黒服がずらりと並んでいた。千和のようなボディーガードはいなかった。


「やぁ京月の若頭。ご機嫌いかがかな」


 仁が近づくと男性は立ち上がって軽く会釈をした。


「ええ、お陰様で上々ですよ。加美山さんこそ、新規事業がかなり大成功なされているようですね」


 二人の柔和な笑みが邂逅する。その後ろで千和は密かに冷や汗を流していた。加美山という名には覚えがある。前に和泉と眺めた長者番付、そこにその名があった。京月は六位、加美山は四位。仁よりも強大な力を持つ人物が目の前にいることに、微かな息苦しさを感じた。


「それで、堅苦しい話だけではつまらないからね。ディナーを用意しているよ。せっかくの星五つフレンチだ」

「それはそれは。ではお言葉に甘えて、ご相伴に預かりましょう」


 加美山が傍にあったハンドベルを鳴らすと、すぐさま料理が運ばれてきた。彩りのよい前菜は遠目からでもその麗しさが見て取れた。そして何よりも千和の目を奪ったのは、仁の上品な手つき。千和には縁もゆかりもないナイフとフォークの優雅な動きに、ただ見惚れるしかなかった。


「――お父上の体調はいかほどかね」

「現状維持が続いている、といった具合ですね。父も歳ですので、寄る年波には勝てないようで」

「一世を風靡した〝鬼人京月〟も君の時代になって大層丸くなった。おかげで今ではこうして穏やかなディナーを楽しめているというものだ」


 会合はデザートまで到達していた。その間に二人は近況、様々な業界の話、世間の動向の話、事業の話など情報交換に余念がなかった。

 彼らの後ろに立ち続けている千和は、ヒールの辛さに耐えかねていた。分からない程度に姿勢を崩したり自重を変えたりしてなんとか時間を過ごしている。立ちっぱなしの現場ならばヒールは変えてもらえばよかった。


「ところで若頭、奥の麗しい淑女はどなたかな」


 気を緩めていた最中、突然飛び出したワードに千和の心臓が跳ねる。この場に淑女、もとい女は自分一人しかいない。これは物珍しいことなのだろうか、まさか自分が話題に出されるなど思ってもみなかった。加美山の熱い視線を受けて、こっそり姿勢を正す。


「ああ、私のボディーガードですよ。専属のね」


 千和の方に一瞥さえもくれない仁の横顔は、静かに満ち足りているように見えた。


「ほぉ。前回傍にはいなかったね。新入りか。しかしながら、一見若頭の奥様ともお見受けできる。この部屋に入って来た時、イスを一つ置き忘れてしまったと冷や汗をかいたものだよ」

「それは気を揉ませてしまい申し訳なかった。レディーファーストを信条となさる加美山さんですから、例えボディーガードでも一言申し出るべきでしたかね」

「いやいや、むしろいいサプライズだった。若頭が認めたということは、彼女はさぞ有能なのでしょうな」

「ええ、期待通りですよ」


 その言葉に加美山の目が恍惚そうに細められる。それは千和を上から下までじっとりと眺めた。まるで自分の痕をつけるかのようで、千和の肌がざわりと粟立った。


「……ふぅむ、では、いくらかな?」

「―――!?」


 千和はその言葉に耳を疑った。しかし一方の仁は虚をつかれた様子もなく、単なる日常会話かのように口を開いた。


「生憎、貸し出しはしていませんで」


 すると加美山は大げさに腕を開いた。天を仰ぐような格好でハハハと高笑う。


「貸し出しなんてそんな雑な扱いは望まないさ。うちで可愛がりたいくらいの存在だということだ」

「それは光栄なことです。しかしながら、お宅には有能なボディーガードがいくらでもいるのでは?」

「それは無論だ、力量の問題ではない。だがやはり、華があるのとないのでは人生の潤いが違ってくるだろう?」


 加美山の視線が今度は仁に向いた。これまでのどんな話題よりもその目に光が宿っていた。


「ええ、それには同意しますよ。でも、私も喉が渇いた時に潤せないのでは困りますから」


 そんな彼の言葉に、加美山は複雑そうに口を閉じた。ギラついた男の瞳はまたも千和に移る。不意に千和の視線も絡み合い、ニコリと送られた不敵な笑みから目を背けられなかった。


「――さて、お話も終わった事ですし、この辺で失礼」


 仁は膝の上のナプキンをテーブルに雑に置く。そして軽い会釈で会場を後にした。千和は熱く見据えられている視線から逃れるように、早足で彼を追いかけた。

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