第8話 いつもの仕事
午後の日差しが宿の裏庭を照らしていた。
リナは洗濯物を干すための木枠の近くを歩いていた。
特に用事があるわけではない。
宿の周りを散歩していただけだ。
裏庭には大きな桶が並び、洗濯を終えた布が風に揺れている。
その中でミアが忙しそうに動いていた。
洗い終えた布を運び、一枚ずつ広げていく。
慣れた手つきだった。
宿の仕事は本当に多いらしい。
リナは少し離れた場所で足を止める。
声は掛けない。
ただ何となく眺めていた。
ミアは布を干し終えると、桶の水で手を洗った。
そして近くに置いてあった布で丁寧に水気を拭き取る。
以前なら気にも留めなかっただろう。
そう思った。
手を洗うこと自体は変わらない。
けれど拭き方が少し違う。
指先まできちんと拭いている。
ほんの小さな変化だった。
ミアは作業を続ける。
次の布を広げる。
風で飛ばされないように整える。
また手を使う。
働く手だ。
荒れるのも当然だろう。
だが今は、その手を少し気に掛けている。
それがリナには分かった。
ミアはふと立ち止まり、自分の指先を見た。
数秒ほど眺める。
そして何事もなかったように作業へ戻った。
その様子を見て、リナは小さく笑う。
人は面白い。
今まで気付かなかったことも、一度気付き始めると目に入るようになる。
それは手だけではない。
仕事でも。
趣味でも。
何でもそうだ。
前の世界でも同じだった。
サロンへ来た客が、自分の爪を見るようになる。
最初は少しだけ。
やがて鏡を見るように。
そして大切にするようになる。
無理に変えたわけではない。
自分で気付いた結果だった。
「リナさん?」
声がして顔を上げる。
いつの間にかミアが近くまで来ていた。
「何してるんですか?」
「散歩かな」
リナが答えると、ミアはくすりと笑った。
「変なところを散歩するんですね」
「そうかもね」
二人とも少し笑う。
それだけだった。
特別な話はしない。
軟膏の話もしない。
すぐにミアは仕事へ戻っていった。
リナも歩き出す。
振り返ると、ミアは再び洗濯物を干していた。
いつもと同じ仕事。
いつもと同じ景色。
けれど全く同じではない。
ほんの少しだけ変わったものがある。
それは誰にも見えないくらい小さな変化だった。
だがリナは、それで十分だと思った。
人が変わる時は、案外そういうものだから。




