第29話 宝石とは違うもの
エレナが宿を訪れたのは、約束の日の昼だった。
馬車が止まる。
ミアは窓から見てすぐに気付いた。
「来ましたよ」
リナも顔を上げる。
「本当だ」
今日は最初から目的が決まっている。
エレナは宿へ入ると、少しだけ緊張した様子で笑った。
「こんにちは」
「こんにちは」
ミアが迎える。
エレナはいつもと違い、どこか落ち着かない。
それが少し可笑しかった。
食事を済ませた後、三人は窓際の席へ集まった。
リナは道具を並べる。
エレナは興味深そうに見ていた。
「本当に始まるんですね」
「始まるよ」
リナは笑った。
爪を見る。
手入れは行き届いている。
やはり育ちの良さが分かる。
「綺麗な爪だね」
エレナは少し驚いた。
「分かるんですか?」
「うん」
リナは頷く。
「ちゃんと手入れしてる」
エレナは少し照れた。
褒められると思っていなかったらしい。
施術が始まる。
爪を整える。
表面を整える。
エレナはその一つ一つを見ていた。
「面白いですね」
「そう?」
「こういうことを考えたことがありませんでした」
リナは少し笑う。
前の世界では当たり前だった。
だがこの世界では違う。
だから新鮮なのだろう。
赤を塗る。
エレナはじっと見ている。
そしてぽつりと呟いた。
「不思議です」
「何が?」
「宝石とは全然違うんです」
リナは手を止める。
エレナは言葉を探しながら続けた。
「私たちは綺麗なものと言えば宝石とか飾りを思い浮かべます」
それは貴族らしい感覚だった。
「でもこれは違います」
エレナは自分の手を見る。
「自分の手なのに、少し違って見えるんです」
リナは少し嬉しくなった。
その感覚はよく分かる。
ネイルは宝石ではない。
服でもない。
自分自身を少しだけ変えるものだ。
それをエレナはちゃんと感じ取っていた。
やがて赤が完成する。
最後に艶を重ねる。
保護液はまだ改良途中だ。
理想には遠い。
それでも十分綺麗だった。
「できた」
エレナはゆっくり手を見る。
窓から光が差し込む。
赤が静かに輝く。
しばらく誰も喋らなかった。
最初に口を開いたのはミアだった。
「似合ってます」
エレナはようやく笑った。
「本当ですね」
何度も角度を変える。
表情がどんどん明るくなる。
「綺麗です」
その言葉は素直だった。
リナも安心する。
喜んでもらえるのが一番だ。
帰る時間になった。
エレナは小さな袋を差し出した。
リナは受け取って中を見る。
思わず目を丸くした。
「え?」
予想していたよりずっと多い。
「こんなにも?」
エレナは少し不思議そうな顔をした。
「足りませんか?」
「いや、そうじゃなくて」
リナは慌てる。
「多いよ」
エレナは少し考える。
そして微笑んだ。
「私はそれだけの価値があったと思っています」
リナは言葉に詰まった。
「でも……」
「受け取ってください」
エレナは穏やかに続ける。
「とても嬉しかったので」
その言葉は以前の客たちと同じだった。
結局、リナは受け取る。
「材料代ってことで」
エレナは笑った。
「はい」
馬車へ乗り込む直前。
エレナはもう一度自分の手を見る。
「友人たちが何と言うか楽しみです」
その言葉にミアも笑った。
きっと驚くだろう。
街の人たちもそうだった。
エレナは手を振る。
馬車がゆっくり動き出す。
リナは見送った。
ただ一人の客が満足して帰った。
今はそう思っている。
けれど。
エレナの周囲には、街の人々とは違う世界が広がっていた。
そしてその世界にもまた、驚く人たちが待っているのだった。




