第20話 置いていかれたもの
市場での出来事から数日。
ミアの赤い爪は、思った以上に人の目を引いていた。
貴族の間では珍しくない。
だが庶民の間ではほとんど見かけない。
だからこそ気になる。
そんな反応だった。
「それ、どこでやったの?」
ミアは何度も聞かれた。
そのたびに、
「宿の人に」
と答える。
ある日。
布を扱う女性が宿へやって来た。
昼食を食べるためだった。
食事を終えたあと、帰る前にミアへ声を掛ける。
「少し聞いてもいい?」
「はい?」
「その爪」
やはりその話だった。
女性は少し照れくさそうに笑う。
「私もやってみたいんだけど」
ミアは一瞬だけ考えた。
そしてリナを見る。
食堂の奥で食器を片付けていた。
「聞いてみます」
女性は嬉しそうに頷いた。
その日の夕方。
宿の裏庭。
リナは事情を聞いていた。
「どうするんですか?」
ミアが尋ねる。
リナは少し考える。
やること自体は問題ない。
むしろ他の人で試せるのはありがたい。
色の見え方も違うはずだ。
「やってみようか」
答えはすぐに出た。
「いいんですか?」
「うん」
リナにとってはその程度の話だった。
翌日。
女性は約束通り宿へやって来た。
少し緊張した様子で椅子に座る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
リナも少し緊張していた。
ミア以外では初めてだ。
慎重に爪を見る。
形。
長さ。
表面の状態。
そして丁寧に赤を塗る。
時間はそれほど掛からなかった。
やがて作業が終わる。
「どうですか?」
女性は恐る恐る手を見る。
しばらく言葉が出なかった。
光の下で指を動かす。
何度も見る。
そして小さく笑った。
「綺麗」
それが最初の言葉だった。
リナは少し安心する。
女性は帰るまで何度も爪を眺めていた。
帰り際。
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「いえ」
リナは笑って見送った。
それで終わりだと思っていた。
だが。
食堂へ戻った時だった。
机の上に小さな布袋が置かれている。
「これ」
ミアが指差した。
リナは手に取る。
中で硬い音がした。
開ける。
銅貨が数枚入っていた。
「え?」
思わず声が漏れる。
「さっきの人です」
ミアが言った。
「置いていきました」
「いや、そんな」
リナは慌てる。
受け取るつもりなどなかった。
そもそも請求もしていない。
だが女性はもう帰ってしまっている。
「どうします?」
ミアが聞く。
リナは布袋を見つめる。
銅貨は大した額ではない。
それでも。
保湿軟膏の時とは違った。
欲しいと言われた。
喜ばれた。
そしてお礼まで置いていった。
それは初めてのことだった。
「……困ったな」
そう言いながらも、口元は少し緩んでいた。
ミアが笑う。
「嬉しそうですよ」
「そう見える?」
「見えます」
リナは銅貨をもう一度見る。
お金そのものではない。
価値を認められたことが嬉しかった。
その感覚は久しぶりだった。
窓の外では夕日が沈み始めている。
赤い光が食堂へ差し込んでいた。
リナは布袋をそっと閉じる。
そして静かに思う。
まだ仕事ではない。
けれど。
誰かが価値を感じてくれた。
その事実だけは、確かに心に残った。




