第12話 赤という色
保湿軟膏は少しずつ宿の中で使われるようになっていた。
ミアだけではない。
炊事を手伝う女性も。
荷物を運ぶ男性も。
手荒れに困った時は、リナのところへ来る。
「助かったよ」
そう言われるたびに嬉しかった。
だが。
リナの頭の中では、別のことも考え始めていた。
前の世界では。
保湿だけでは終わらない。
その先がある。
艶。
そして色。
それは当たり前すぎるほど当たり前のことだった。
だからこそ、この世界へ来てから一度も考えなかった。
ある日の午後。
リナとミアは市場へ買い物に出ていた。
野菜。
干し肉。
香草。
いつもの買い出しだ。
ふと、一つの露店の前で足が止まる。
籠いっぱいに積まれた赤い実。
陽の光を浴びて鮮やかに輝いていた。
「綺麗……」
思わず声が漏れる。
ミアが振り返った。
「どうしました?」
「この実」
店主が笑う。
「珍しいだろう?」
「今年は出来がいいんだ」
リナは一つ手に取らせてもらう。
指で少し押してみる。
皮が弾け、赤い果汁が指先についた。
鮮やかな赤だった。
思わず指先を見つめる。
前の世界なら。
この程度の赤は珍しくもない。
だが。
この世界で見た赤とは少し違っていた。
自然なのに力強い。
生きているような赤。
ミアが不思議そうに覗き込む。
「そんなに気になりますか?」
「うん」
リナは短く答えた。
そのまま布で指を拭う。
布に赤い跡が残る。
その瞬間。
頭の中で、一つの記憶が蘇った。
前の世界。
何百本というネイルボトル。
赤だけでも何十種類もあった。
鮮やかな赤。
深い赤。
透明感のある赤。
そして。
それを爪へのせること。
それは自分にとって、あまりにも当たり前だった。
「そうか……」
リナは小さく呟く。
今まで考えもしなかった。
色を作ることばかり考えていた。
けれど。
まず必要なのは、この世界にある色を知ることだった。
「少し分けてもらえますか?」
店主は快く頷いた。
「料理かい?」
リナは笑う。
「ちょっと試したいことがあって」
ミアは首を傾げる。
「また何か思いついたんですね」
「うん」
「今度は?」
リナは買い物袋へ赤い実を入れる。
まだ言葉にはしなかった。
今はただ一つ。
確かめたいことがある。
宿へ戻る道すがら。
袋の中で揺れる赤い実を見ながら、リナは静かに笑った。
次に作るものが、ようやく見えてきた気がした。




