第10話 きれいな手
その日は朝から天気が良かった。
リナは宿の頼まれごとで、街の反対側にある店まで荷物を届けていた。
仕事そのものは大したことではない。
小さな包みを一つ運ぶだけだ。
せっかくなので帰り道は少し遠回りをすることにした。
街を歩くのは嫌いではない。
この世界の人たちがどんな暮らしをしているのか、見ているだけでも面白かった。
広場の近くを通りかかった時だった。
立派な馬車が止まっている。
周囲の人たちも少し距離を空けていた。
裕福な家の人間なのだろう。
リナは特に気にせず横を通り過ぎようとした。
だが、その時。
馬車から降りてきた女性の手が目に入った。
思わず視線が止まる。
白く整った指先。
傷もほとんどない。
爪も綺麗に切り揃えられていた。
もちろんネイルなどしていない。
だが、それでも目を引く手だった。
前の世界なら珍しくない。
けれど、この世界では少し違って見えた。
周囲を見れば働く人ばかりだ。
傷のある手。
荒れた指先。
力仕事の跡。
それが当たり前だった。
だからこそ、その女性の手は印象に残った。
「綺麗だな」
思わず小さく呟く。
ネイルではない。
色でもない。
ただ手そのものが整っていた。
リナは少し考えながら歩き出した。
綺麗な服。
綺麗な靴。
綺麗な髪。
この世界にもそういう価値はある。
なのに手だけは違う。
手は働くためのもの。
それ以上ではない。
そんな空気を感じていた。
宿へ戻る途中、市場の近くを通る。
買い出しに来ていたミアが見えた。
向こうも気付いたらしい。
軽く手を振ってくる。
リナも振り返した。
ただ、それだけだった。
お互い仕事の途中だ。
わざわざ立ち止まることもない。
けれどミアの姿が見えなくなった後も、リナは少し考えていた。
ミアの手。
市場の店主の手。
さっきの女性の手。
全部違う。
それぞれの暮らしがそこにある。
前の世界では当たり前だったことを、今になって改めて考えている自分が少し不思議だった。
宿へ戻ると、夕方の準備が始まっていた。
忙しそうに動き回るミアの姿も見える。
その手は相変わらず働き者の手だった。
だが少し前より荒れていない気もする。
気のせいかもしれない。
それでも悪い変化ではなかった。
リナは荷物を置き、自分の部屋へ向かう。
階段を上りながら、ふと思った。
この世界にもきっといる。
綺麗な手に憧れる人が。
ただ、まだ気付いていないだけなのかもしれない。
窓から差し込む夕日を見ながら、リナは静かに考え続けていた。




